Human Scramble

「人間交差点」

原作 矢島正雄/作画 弘兼憲史


『人間交差点』は
さまざまな人間の人生を問いただす素晴らしい短編集である。
人間の心の交流や、愛憎、葛藤がそこで展開し
マンガの域を越えているというか、どの作品を映画化しても
おそらく高い評価を受けることでしょう。



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第30話 動機
 台風がひとつ上陸するたび女子大生がひとり殺される。今月になってもう3人目だ。片田刑事以下、警視庁捜査
一課はもう2ヶ月も家に帰れずにいた。そんな中、片田に「次代をになう若きプロ達」という雑誌の密着取材がつく
ことになった。その女性記者はそのハードさと薄給な刑事の仕事はナンセンスだと片田に迫る。が、片田は逆に
楽して高い報酬を得ようとすることにこそ疑問を感じる。そんな折ふとしたことから犯人への手がかりを見つける。
 一生懸命勉強していい大学に入り、いい就職をして人生は安泰なものとなる。それは今や神話にすぎない。確
かに学生の時分に勉強ができたらできたでそれに越したことはないけど、最終的に「人間力」があるかどうかなん
だよな。このお話に出てきた殺人犯の最終目的地は一流企業への就職だった。本当はそこからすべてが始まる
のにね。そして身勝手にも誰かを殺して社会的評価を得ようとする。「教育」って一歩間違えると本当に怖ろしい。

第31話 掌の影
 冴木金融の社長・冴木治美は暴力団・相沢商事の会長と結託し、客の手形を取り上げては恐喝し大金を巻き
上げるという非道を繰り返していた。だがある日相沢会長が見込んで連れてきた新人・吉田が治美が思いもよら
ぬ忘れかけていた秘密の一端を口にする。このままでは相沢に弱みを握られすべてが奪われると感じた治美は
部下の塚本と共に相沢商事に取引を持ちかける。だがこの時、もうすでに治美の決心はついていたのだった。
 治美もまた親の借金のためにこれ以上ない哀しい思いをした女性だった。時代劇などでよく「借金のカタに娘
をもらっていくぜ」なんてシーンがあるけど今でもあるのだろうか?治美はそんないきさつで金融業・冴木の元に
半ば強引に嫁がされ、金融のイロハを一から叩きこまれた。彼女が冴木に対してできた唯一の復讐は彼の持病
の薬を渡さずただこと切れるのを待つ、それだけだった。ところがその場面をずっと見つめていた人物がいた。

第32話 腐敗(前編)
 検事の森脇は雪上で発見された男女の心中に不信感をもっていた。男は森脇が贈賄の疑いで調べていた北
上銀行支店長・大村。女は行員の信子。不倫のもつれから心中を図ったと思われていたが実はふたりの死亡推
定時刻はズレていた。信子は森脇が子供の頃に心中した両親の代わりに自分を育ててくれた政治家・太川源治
が自分と同じように引き取った娘だった。調べを進めていた森脇は、ある夜見知らぬ車に轢き殺されそうになる。
 たとえば何もなかった町にいきなり新幹線が通るとする。今まで平和でのんびりしていた町がにわかに活気づ
く。それは言い換えれば裏側で巨額の金が動くということだ。北上銀行は組織ぐるみで政治家たちを買収し、自
分たちの思うがままに町を支配していった。それに立ち向かったのが検事の森脇。おそらくこの人のモデルは俳
優の西田敏行じゃないかなあ。実写化の際にはぜひ彼をキャスティングしてほしい。って、また話がそれた(笑)。

第33話 腐敗(後編)
 自分を轢き殺そうとしたのは贈収賄罪を暴かれそうになった北上銀行の頭取をはじめとする一派に違いないと
にらんだ森脇は彼らの全員逮捕に踏み切った。しかし確証があるわけではないこの逮捕はあくまで先手を打った
だけ。彼らの拘留期間である22日間のあいだにふたりを殺した犯人を捕まえ、頭取一派との関係を掴まなければ
今度は森脇が名誉棄損で訴えられる。が、危険を冒してまでもそれを行った彼は、ある手がかりを手にしていた。
 ずる賢い人たちというのは手を汚さずに効率よく物事を進める人たちのことをさすのだろう。金さえ積めば思い
通りに動く人間などいくらでもいる。善人であればあるほどその人の過失を突けば思い通りになるということも知っ
ている。森脇を轢き殺そうとしたのはあまりにも意外な人物だった。その人がもし少しでもよこしまな考えを持つ人
だったら同じ結果にはならなかっただろう。バカがつくほどの善人は時として悲劇を抱え込む。残念なことだけど。

第34話 空白の走行
 タクシー運転手・土門はお客に満足して降りてもらうことにささやかではあるが生きがいを感じていた。ある日彼
は皇居周辺で初老の男を乗せた。その後を追ってきた女を振りきるように「早く出せ」と男は土門を急かし成城の
自宅まで送り届けさせた。土門はこの男を知っていた。若い頃に入社した四井商事の戸川営業部長だったのだ。
幼なじみの安田と一緒に四井商事の厳しい新入研修を受けた若き日の土門はそこで人生を狂わせることになる。
 「罪」を犯したにもかかわらず、それを忘れ去ることができるというのは一種の才能だと思う。普通は良心の呵責
に苛まれもがき苦しむものだが、その罪を告白することにより現在の自分の地位が揺らぐぐらいなら黙り通す方が
いいと思える人って逆にすごいな。土門はためらいながらも、それが世の中の仕組みだと他人の罪を引き受けた。
そして陥れられた。その苦い経験が彼の今のおだやかさにつながっているのだとしたら、それも人生・・・なのか?

第35話 砂時計
 デパートの婦人服売り場で働いている弓子はある日同じアパートに住むトルコ嬢の広美にふたりだけのパーティ
ーに誘われる。弓子がその安アパートに引っ越してきた時「3年経ってもここにいたらその時は広美と同じトルコ嬢
になる」と約束していたのだ。その昔ビニ本のモデルのバイトをしていた弓子はその本のカメラマン若林と深い仲に
なった。だがある日演技指導だと強引に部屋に入ってきたヤクザから弓子を守ろうと若林は彼に重傷を負わせる。
 本当にやりたいことを成し遂げたいがために今を我慢する。昔はそれが当たり前だった気がする。ところが最近
はまずやりたいことありきで、そのために苦労するということが回避されるようになってきた。もちろん一度だけの人
生、時間は限りなくあるわけじゃない。要領よく好きだことだけやって生きていくのもそれはそれで生き方だ。でもそ
んな生き方に達成感はあるだろうか。この物語のキーワードはタイトルの「砂時計」。みんな懸命に生きているんだ。

第36話 顔のない群れ(前編)
 新宿歌舞伎町の真ん中である女の溺死体が見つかった。死んだのは小山あけみ・26歳。ところがこの女性は小山
あけみではなく、当の本人は生きていた。死んだのは「添い寝のノブちゃん」と呼ばれる、やはり歌舞伎町界隈で仕
事をしていたホステスだった。保険会社の依頼で死亡した当人を調べることになった神崎法律事務所は、事務所お
抱えの探偵・乾真人に調査に当たらせる。「添い寝のノブちゃん」とは誰なのか。そこへ彼女に関する情報が入った。
 乾は幼いころ事故で両親を亡くし、十二歳の時から父親の親友だった弁護士・神崎総一郎が父親がわりとして彼
の面倒を見ていた。神崎の娘・智子とは二十年も前から兄妹同然に暮らしてきた。が、乾には金が入ると酒をあお
りフラッとどこかへ旅行する癖があった。その旅行代欲しさのため仕事をしているようなものだった。一時は警視庁
の敏腕刑事課長だったにもかかわらずだ。だがその癖には刑事だったがゆえの彼の悲しい過去が関係していた。

第37話 顔のない群れ(後編)
 「日本一大きな湖の見える土地で育った」という彼女が遺していた唯一の手がかりを元に琵琶湖に向かった乾と
智子だったが彼女に関する情報がまるで手に入らない。だがあきらめかけたところへ入った知らせから事態は一
気に加速する。ノブちゃんには戸籍がなかった。しかもノブちゃんが生まれても役所に届け出なかった彼女の父親
は逃げていった彼女の母親の名を我が子につけていたのだ。さらに東京へ戻ったふたりは驚くべき事実を知る。
 「小山あけみ」の名を借りて保険の契約をした戸籍のなかった「ノブちゃん」は他人の名を借りてでも自分がこの
世に存在していることを自身に言い聞かせたかったのだろう。さらに名を貸した小山あけみも悲惨な死を遂げる。
他人にとってはふたりが感じた幸せはとるにたらないものかもしれない。が、彼女たちはそこで「生まれてきてよか
った」と初めて生きてきた意味を実感できたのかもね。しかし乾の過去も含め、このお話はすべてに哀しすぎます。

第38話 踏切り
 今日妻が家を出てゆく。今日会社で将来を決める大事な会議がある。この六年間家庭もかえりみずにただ仕事
だけに邁進してきた吉沢は、複雑な面持ちで通勤電車に揺られていた。ところがある踏切りで事故が発生。電車
は不通となりこのままでは人生を左右する大事な会議に遅れてしまう。あらゆる手を使って会社へたどり着く手段
を講じようとするがことごとくはねのけられた彼は、電話での上司からの一言で自分の人生を振り返ることになる。
 仕事は暮らしてゆくための手段に過ぎない。ところがいつのまにかその仕事が主になり、暮らしが仕事を支える
ための手段になってしまってるところってありますよね。それが間違っているとは思えないけど時には自分の人生
を振り返る時間も必要なんだよな。踏切り事故で犠牲になった三輪車の女の子の表情は一切出てこない。描かれ
ていないからこそ、彼女の犠牲がある男の人生を救ったことに深い意味を感じる、と思うのは書き過ぎだろうか?

第39話 紺碧の宴
 博王広告に勤める清水は八年前に沖縄での海洋博を成功させたという実績を残し本部長にまで出世していた。
その沖縄支社の成績不振を改善するために再びそこへやって来た清水は、八年前と同じように勢いに任せて祭り
を起こし、地域を活性化させることが発展につながると信じて疑わなかった。そして沖縄にはもうひとつ清水が気に
かけていたことがある。あるスナックのママの妹・美沙。ふたりは海洋博での出会いを通じ男女の仲になっていた。
 地方を活性化させるには、いかにそこに人間を集めるかということに尽きるというのはあながちウソではないだろ
う。しかし肝心なのはそれが続けられなければ意味がないということ。最近で言えば「長野オリンピック」がそうかも
な。一時はよくても祭りが終わったあとに錆びれてしまっては残るのは自然を壊しまくってつくられた「負の遺産」だ
けだ。そして清水がこの土地に遺したものはもうひとつある。本来ならば誰もから喜ばれなければならない生命を。


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