補講第12回 「エンディングの重要度とは?」
 

続いての質問は、嘉藤文月さんです。

 文章は今までにそこそこ書いていましたが、エロゲーのシナリオどころか、ゲーム制
作自体初参加です。
そこで、これは前々から思っていた事なのですが……鏡さんはエンディングについて
どう思われますか?
 エンディングについてとは、エンディングにどの程度力を込めて作るかという事で
す。
(当然他の場所が手抜きになるという意味ではありません)
例えば、18禁のゲームであれば、Hシーンが重要である事は明確です。
その点エンディングに求められる重要度も、そのHシーン並みに大切な物と僕は考え
ていますが、鏡さんはどの程度重要視していらっしゃるのでしょうか? という質問です。
僕の考えとしては……やはり長時間プレイした集大成ともいえる部分ですし、Hシー
ン並みにこらなくてはいけないと思うのですよ。
それで、是非鏡さんの意見も聞いてみたいと思ってメールを送った次第です。

 非常に有意義な問いです。問いに対する答えは違ったものですが、問い自体はきわめて有意義なものです。問いを提起してくれた嘉藤文月さんに、感謝!


重要度という虚構

◆エンディングの重要度は、存在しない?
 凄く興味深い問いです。受け手の捉え方と作り手の捉え方の違いを浮き彫りにしてくれるという意味で、きわめて重要な、そして素晴らしい問いかけです。
 結論から言うと、この問いに対する答えは「無効」です。作り手はそういう考え方はしていませんし、「どの程度」というのは明確に存在するわけでも、明確に言い表せるわけでもありません。
 なぜか。

◆受け手=買い手の見方は印象論
 少し、りんごの話をしましょう。
 偶然買ったりんごがうまかったとします。すると「硬さ」がどうであった、「蜜」がどうであった、という分析を買い手は始めます。「蜜」の方が重要だ、いや、「硬さ」の方が重要だ、いや「汁け」の方が重要だ……。
 では、りんごの作り手は何を重要視しているのでしょう。推測ですが、恐らく、水をどうする、土をどうするといった技術的な問題、どういうふうに育てていくかということに技術的な側面に力点はあるのではないでしょうか。
 ゲームについても同じことです。
 作り手の見方というのは、基本的に技術論です。
 対して受け手=買い手の見方というのは、基本的に印象論です。つまり、そのゲームをプレイした印象はどうだったか、個人的にどう感じたか、ということです。一言でいえば、個人の感想ということになるでしょう。そして、それこそが、買い手である受け手にはまさに必要な情報なのです。
 買い手の情報解析の仕方というのは、基本的に要素分析です。CGは? シナリオは? エンディングは? エッチシーンは? システムは? BGMは? 声優の演技は?
 ゲームというものをそういういくつかの要素に分析して、自分が満足したかしなかったかというレベルで判定していきます。それが悪いということではありません。そういう判定の仕方こそ、買い手には必要なものだからです。けれども、そういう見方でエンディングの重要度を推し量ろうとすると、陥穽にはまることになります。

◆CGという視点から見た場合
 たとえばあるエッチCG1枚があるとします。
 あるエンディングCGが1枚あるとします。
 それぞれのCGへの注意の払い方、情熱の注ぎ方は、恐らく同じぐらいでしょう。もしかすると、演出面も含めると、その1枚のエッチCGに対する情熱が1だとすれば、そのエンディングCG1枚に対する情熱は、1.5ぐらいあるかもしれない。
 けれども、エッチCGが全体で30枚あるとします。
 エンディングCGが全体で5枚あるとします。
 情熱を掛け算で割り出すとすると、

 エッチシーン……30
 エンディング……7.5

 エッチシーンの方に力を込めているのでしょうか。エンディングの方に力を込めているのでしょうか。

◆演出という視点から見た場合

 さらに、演出という面で見てみると、また話が変わります。
 クライマックス付近は、きわめて演出的に重要な部分です。エンディングもクライマックスの延長として捉えるとすれば、音楽とのタイミング合わせやら何やらで、ほかのイベントシーンより演出的には力が入ることになるでしょう。
 この場合、エッチシーンの方に力を込めているのでしょうか。エンディングの方に力を込めているのでしょうか。

◆カラーやジャンルから見た場合

 今度は、AVGと調教SLGとRPGというものを考えてみましょう。この3つでは、エンディングの重要度は同じでしょうか?
 違いますね。
 では、抜きゲーと鬱ゲー、泣きゲーでは? エンディングの重要度は同じでしょうか?
 抜きゲーなら、恐らくエッチシーンの方がエンディングより重要でしょう。でも、泣きゲーでは? ほとんど最後におまけのように現れて去っていくエッチシーンが多い泣きゲーの世界では、「(最後の)エッチシーンはなくてもいい」という意見すら聞かれます。とすると、エッチシーンはそれほど重要でないということになります。

◆無効である1つ目の理由
 このように、ゲームのカラーやジャンルによっても、重要度は異なります。CGから見た場合の「重要度」、演出から見た場合の「重要度」というのも違います。場合分けを行わずに「エンディングの重要度」を答えるは不可能、たとえ場合分けを行ったとしてもそれぞれでの答えが矛盾していて一概に重要度を言い表すことは不可能。この問いに対する答えが無効であると答えた理由のひとつは、まずここにあります。

◆無効である2つ目の理由

 技術的な話をしましょう。
 シナリオを書いていて一番楽なのは、実はラストシーン──すなわち、エンディングの場面なのです。『あめいろの季節』にしても、『パンドラの夢』にしても、エンディングの場面を書くのにはさほど苦労していません。
 プレイ後の印象を決めるという意味では、エンディングは確かに重要です。「すげえ鬱になるエンドらしいぞ」と聞かされると躊躇するユーザーがいるだけに、注意を払わねばならない部分です。エンディングの形については、物語の必然性とユーザーの願いの双方を考慮したうえで決めるべきでしょうし、ほかのイベントシーンとちがってエンディングは何度か書き直しも必要になるかもしれせん。イベントシーンのなかでは重要度が高い部類でしょう。
 けれども、書き手としては、エンディングそのものよりも、エンディングにいたるまでに十分盛り上げること、すなわち、エンディングにいたるまでの「プロセス」を書ききることの方が重要なのです。専門的にいえば「つなぎ」です。いくらエンディングを用意しようと、エンディングに至るまでのプロセスが十分に描かれていないのでは意味がありません。そんなものを見ても感動してくれる人は少ないでしょう。大切なのはプロセスを書くことの方です。それがうまくできねば、人の心を揺り動かすことはできません。エッチシーンがどの程度重要であるとかエンディングがどの程度重要であるとか、そういう次元の問題ではないのです。
 これが、問いに対する答えが無効であるという2つめの理由です。

◆印象論から技術論へ
 買い手の分析の仕方と作り手の分析の仕方は違います。買い手の見方と作り手の見方も違います。ものを買う時には印象論は有効ですが、つくる時には無効です。技術論でなければ有効打とはなりません。
 エンディングが重要なのは確かなことです。でも、「どの程度」重要なのかということは、それほど重要なことではない。受け手の印象論からスタートしている限り、答えには近づけないでしょう。そして技術論からスタートした時、問いに対するまったく違う答えを見出すことになるでしょう。

 

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