創造の周辺<7>


  ◆ユーザーの求めるものと、自分の求めるものの交差点
  おれ、最初、普通の製造会社にいたのよ。一部上場企業だったんだけど。
だから、二番煎じの難しさって知ってる部分があって。特許とか取られてるしね。まともに勝負したらまずいぞって感覚はあったの。
メイドもの作ろうかって考えている時にも、当時にくきゅうの『無垢弐』ってゲームがあってさ。それプレイして、こりゃあかんわ、と。これを超えることはできんと。だから、同じ路線で行くとあかんぞ、というのがあったのね。
 
  なべ君 (苦笑)  
  それが売れているから、みんなが夢中になっているから、という理由で二番煎じをやるのが凄くいやなのは、メーカーでの経験があるからなんだろうね。
当時メイドものっていうと、凌辱調教一辺倒だったというのもあったしね。それに対して、なんでメイドをモノ扱いするんだ? という疑問というか怒りめいたものもあったし。あと、市場的な考えもあって、みんなメイド=調教って図式になってるから、じゃあ、メイドと恋愛するゲームをつくってやろうと。人間としてメイドと恋愛するゲームをつくってやろうと。
 
  なべ君 私がよく友人とかに言う言葉で「勝負するなら、誰も居ない競技場で自分でヨーイスタートって言って、それで一番取ろうよ」って。  
  いや、それは寂しすぎる(笑)。  
  なべ君 いや、客が誰も居ないという意味ではなくて、競技者が。
いろんな分野のすごい人(まぁパイオニア)ってみんなそうなんですよね。
 
  ひねくれ者が道を開く(笑)。  
  なべ君 ほんとほんと。この前のノーベル賞の人も言ってましたよ、似たようなこと。  
  そういう部分はわかる気がするな。結局、作り手なんてものは人が美と思わないものに美を見いだしてそれを他人に魅せる、説得するようなところがあるからね。
美しいものを美しいと言って出しても、あまり感動してくれない。
 
  なべ君 見飽きてることもありますしね。  
 

そう。そうでないものを美しく魅せてはっとさせるっていうのは、作り手として共通する部分はあると思うのね、どのジャンルにしても。ただ、そうしながら、大衆にとって共通の部分もちゃんと受け止めていく。ユーザーの求めるものと、自分が求めるものとを美しく交差させる。

 
  なべ君 自分が求めるものだけだと、ただのわがままになることもありますしね。  
  なる。徹底的に自分のものだけ追求しきればいいものにはなりうるけど、そこまで徹底して追求できる人は少ない。たいていは中途半端に終わる。  
  なべ君 それが出来るのは芸術家ですね。  
  でも、徹底的に自分を追求しきると、かえって他人に突き抜けるみたいだよ。  
  なべ君 突き抜ける?  
  そう。他人も「いいぞ!」と思えるものが出来てしまうってこと。言葉が俗だけど、普通自分のことしか考えないで書くのはオナニーと思われるわけだ。
オナニーじゃ、もちろん人は感じない。けど、オナニーも徹底的にやり抜けば、人が感じてしまうみたいなのよ。
でも、普通はほめてほしいとか凄いもの書いてみたいとか思っちゃうから、そこまで徹しきれないんじゃないかな。読む人、プレイする人に楽しんでほしくて書いている人より、ほめてほしくて書いている人の方が多いと思うのよね。
 
  なべ君 ああ──陥りやすいと思います、そこは。  
  心のどこかで「おれは凄いんだぞ」と思っている自分がいるから、「凄いね」と言われたい自分がいるから書くっていう部分って、どこかしらあると思うのね。全員ではないけど。  
  なべ君 あると思います、けっこう(^^;;;;;;;;;  
  それがいけないとは言わないけれど、それだけじゃまずい。できるだけそれを殺して、楽しんでもらうことにシフトしていかないと……やっぱりね。  

  ◆酔狂あってこそ物書き
  なべ君 結構書いてる時って楽しんで書いてますか?(シナリオを)  
  おバカなシーンを書いている時は自分で笑いながら書いてる。うひゃうひゃ! うひひっ! ってね。人が見たら危ないオヤジだよ。
 
  なべ君 笑。私なんかセリフ書きながら自分で読んでたり(^^;;  
  読む? 声にして?  
  なべ君 そう、実際に演じて(苦笑) どんなもんかなぁ……とか。いや危険危険(アホ  
  物書きなんて、どこかしら酔狂の部分がないとだめだと思うよ。自分の中に狂気や馬鹿があるから書けるっていうかね。  
  なべ君 面白いものを作るときは、やっぱり自分も楽しまなきゃってのは、素人創作的発想ですかね?  
  いや。書き手はどうあがいても一番目の読者だからね。書くと同時に読んでいるわけだから。
絵描きさんだって、苦しい場面を描く時は苦しい顔をしているっていうし。楽しい場面を描く時は楽しい顔をしているっていうからね。
 
  なべ君 その時の気持ちが絵描きさんなら絵に、書き手ならシナリオなら乗ると思うんですよ。  
  乗るよ。声優さんだってそうだし。ほんとに表情からそういう感じになっていかないと、声に表情のらないし。  
  なべ君 そうですよね。って前にこんな話をしたら、誰かに「あまっちょろい」って言われたので(苦笑)。  
  だって、漫画家さんだって、ネーム切りながらおいおい泣いてたって話もあるし。内田春菊さんなんだけどね。  
  なべ君 よく泣きながらってのは、たまにコミックの柱で見かけますね。  
  ただ、泣きそうな場面を書いている時というのは、気をつけた方がいいところだよね。自分の感情が先走りしすぎちゃって、他人が読むと泣けないってことがあるからね。そういう時ってのは、結局プロセス、つなぎが甘いわけだから、そこに戻るしかないんだよね。
 

  ◆言葉に対して格闘すること
  おれね、言葉への意識って、みんなどれくらいあるんだろうって思うのね。  
  なべ君 どういう意識ですか?  
  たとえば、バドミントンしている女の先輩を書こうとするじゃない。
その時に、その先輩の髪のはねる様を、どれだけ言葉を使って表現しようともがくか。
言葉に対して格闘しているか、ってことなんだけどね。
本気で言葉で表現しようとしているかなって。
ゲームだったら、台詞にしても同じね。
 
  なべ君 適当にすませてないかって?  
  そう。全然こだわらず、プライドも持たずにさらさらと書いているんじゃないかしらってね。言葉で何かを表現するということに対して、思い切り粘ってますか? って思うのね。  
  なべ君 それは思います。同時に自分自身に向けても耳が痛いです(苦笑)。安易な文章生産というか、そういうのってよく見かけるんですよね。
それって、言葉だけでなくてもシナリオならシナリオ、小説なら小説全体にも言えて、本当に自分で納得して、書いてるのかなって。意識が低いって言うか。「あれはこうで……」「それはあれで……」と言い訳するなら初めから人に見せるなよーって。
 
  いい訳するって、突っ込むと言い訳するってこと? ここはおかしいんじゃないの? って指摘すると言い訳するってこと?  
  なべ君 「ここがダメ」→「いや時間なくて、ダメなのは分かってるんですが」→「やっぱりそうですか」
 
  ああ……そういうふうに反応しちゃうわけね。
あのね、そんなに粘って書いてないと思うよ。
力ある人ならまた同じレベルのものを再生産できると思ってるから「じゃ、直します」だけど、そうじゃない人は、一回限りだからね。おれも、絵の方は下手だから、同じ絵を二度と描けない(笑)。文章がだめな人も、そういうレベルなんじゃないのかな。
 
  なべ君 私は……絵はだめだけど、文章は問題ないととても言い切れないので辛い(苦笑)。  
  シナリオ書いてて、いきなりハングアップしちゃって10KB分消えちゃったことあるけど、ほぼ元通り書き直しちゃったことあるもん。  
  なべ君 「いいものを作ろう」って思ってない人って、何言っても響かないというか、感じないというか、そう感じてます。もちろん、そういう創作が気軽にできちゃうのが今の時代の良さでもあってそれを否定する気はさらさらないけど。ただ、「いいものを作ろう」って意気込みぐらい、創作やるなら持っててほしいなぁと思う。
 

次の対談へ
前の対談へ
一覧に戻る
対談一覧に戻る
トップページに戻る