創造の周辺<8>


  ◆言葉の側面〜コンスタティブとパフォーマティブ
  人によって人の強さっていうのは全然違うものなのよ。同じ言葉にしてもね、人によって受け取り方って違うものなのよ。
 
  なべ君 うん。よく忘れてしまいがちです。
 
  ニュートラルに事実を言っただけのつもりでも、批判として受け止められてしまうことってあるのよ。
言葉って、パフォーマティブとコンスタティブな部分って、あってね。
たとえば「この犬は危険である」と書いてあるとする。
「犬は危険である」という事実、意味内容がコンスタティブ。
でも、パフォーマンスとして──つまり、「危険だから近づくな」という意味として捉えるのがパフォーマティブ。
くり返して説明すると、純粋にその言葉の内容、事実としての側面がコンスタティブってやつで、その言葉を発すること、その発言するという行為自体で何かを意味する、というのがパフォーマティブなわけよ。
でも、そのコンスタティブとパフォーマティブを捉え損ねるとトラブルになる。
たとえば、「わたしと仕事とどっちが大切なの?」という古典的な問いがある。
 
  なべ君 古典ですね(笑)。  
  コンスタティブ──意味内容──で取ると仕事と自分とどっちが大切なのかを純粋に問いかけているということになって、そう解釈して答えると「そりゃ、仕事だろ」って話になって喧嘩になる(笑)。
でも、彼女はコンスタティブな意味では使ってないわけ。怒ると、人の言葉というのはパフォーマティブではなくコンスタティブにしか出て来なくてさ。本当は「わたしをちゃんと大切にして」って言いたいわけよ。けど、「わたしと仕事とどっちが大切なの?」という出方をしてしまう。そしてその表現は、パフォーマティブには取ってもらえない。コンスタティブに解釈されてしまう。で、喧嘩になる。こういうパターン、多いわけよ。
で、台詞を扱うというのは、このコンスタティブとパフォーマティブを肌で理解しているってことになると思うんだよね。 そこをすくい取って、微妙な台詞を書くのがシナリオライターなんであってさ。
たとえば、モンテーニュの『エセー』に有名な一節があるのよ。
ある貴族の話なんだけどね。
自分の娘が死んだ時に、泣かないわけよ、その貴族は。
ところが、馬が死んだ時には泣いちゃうわけ。
で、知人が咎めて言うわけよ。「おまえは馬の時には泣いたくせに、なんで娘の時には泣かないんだ」と。
すると、貴族はこう答えたわけよ。
「はじめ(娘)の時は、あまりにも悲しみが深くて涙が出なかった」
名言だと思うのね。
人の感情の表れ方というのを、みごとに描き出している。
 
  なべ君 悲しければ泣くという短絡的発想からは到底出てきませんね。  
  出てこないね。
でも、痛い時もそうなんだよね。
本当に痛すぎる時ってのは、声に出てこない。
あまりにも強烈に膝をぶちつけた時って、声止まるからね。
 
  なべ君 出ないです、ほんと。  
  そういう部分をきっちり書くのが人間を書くことにもつながるし、血の通った台詞を書くってことになると思うのね。  
  なべ君 うん、そう思います。  
  以前、あるゲームで自殺しようとしている女の子を書いたことがあるんだけど、その子が自殺直前で発見された時に叫ぶ場面があるわけ。
女の子だから、あまり汚い台詞はやめようと思って「来ないで!」とか書いちゃおうかと思ったんだけど、待てよ、と。そう書いちゃうと、人間にはならんぞ、と。そこまで切羽詰まってたら、もうその女の子は女の子するのをやめて、女を捨てて「来るな〜っ!」って叫ぶだろうって思ったことがあるのよ。
でも、あまり意識せずに台詞を書いてる人というのは、そこでもまた再生しちゃうだけなんだよね、台詞を。96年以降のアニメを見ていると、そういう台詞への意識というのがまったく欠落している気がして悲しくなってくる。そして、そういうのを見てクリエイターになっていく人たちがいる。いやな連鎖だな、って思うのね。
 
  なべ君 アニメのシナリオって最近特に悪いと思いますよ、質が。いろいろな面で。  

  ◆吸収するものは選べ
  さっきのインプットの話に少し触れるんだけど、質の悪いものに触れていると──つまり質の悪いものを吸収していると──アウトプットが悪くなっちゃうよね。インプットするものがゲージュツである必要はないけどさ、それでもクオリティとして高いものである必要はある。少なくとも、吸収するものに対してグルメである必要はある。  
  なべ君 たしかにあると思います。
あとは、質の悪い物を反面教師としてインプットするとか(笑)
 
  でも、ティーンエイジャーの頃に吸収したものの大半は、反面教師よりは創造のベースになるからね。
1つ2つ、反面教師があるのはいいけど、反面教師しかないのはもはや絶望。
スポーツと同じで、悪い手本を見ているといいフォームにならない。
基本的にはクラシックというか古典というものに触れてみるというのも手だと思うのよ。
 
  なべ君 その心は?  
  良質であるがゆえに残っている、古典として成立している、という部分はあると思うのね。  
  なべ君 たしかに、すごく思います。  
  コピーをコピーしてしまうと劣化してしまうわけだから、そうなるとオリジン(起源、原型、元祖)へ近づけば近づくほど、コピーの宿命から遠ざかることができる。古典をやったから直接的にどうのこうのということはなかなかないと思うけど、間接的に響いてくるんじゃないかと思うの。  
  なべ君 創作って直接的に……ってことはほとんどないし、貯金というかそういうのって重要ですよ。  
  インプットの貯金?  
  なべ君 そうそう。  
  大切だと思う。赤川次郎もそんなこと言ってたんじゃないかな。
台詞だってそうだと思うよ。
1MB書くと、だいたい主人公とヒロイン合わせて1万個近く台詞書くのよ。
 
  なべ君 ふぇー……多いー。  
  だから、普通に書いちゃうと、50KBくらいで切れちゃうのね、台詞のストックが。そうすると、インプットも仕事になってきちゃう。自分の場合、大学時代、特に3年生から4年生にかけてもの凄いペースでアニメ見てたからね。当時LD化されていた80年代のアニメばかり。1日で36話を見て、2日かけて50話のアニメを見て……って。中学の時は年間200冊純文ばかり読んでたし。それでストックができたというのはあるんじゃないかな。
自分もアニメだけだったらだめだったと思う。
だから、今クリエイティブな仕事を目指す人には、アニメ・ゲーム・少年コミックのサークルからはみ出してほしいのね。その外にあるものから影響を受けてほしいのね。
 
  なべ君 宮崎駿かな、誰だか忘れてしまったけど、言葉も正確には忘れたけど「自分の経験から生み出せ」って。なんというのか、もっと色々な経験をしろって。「作品から作品を作るな」って(それが真から別として)。  
  実体験をしろってことなんでしょ?
人が描いた空を見て空を描くな。自分で空を見て空を描けってことでしょ? それ、凄くあると思うよ。
コピーのコピーは、所詮劣化の運命しかたどらない。
 
  なべ君 これは庵野某監督が言っていた言葉を宮崎駿氏が言っていてた言葉で、庵野氏の世代はTV全盛で、コピーを作ってるって、その下の世代はコピーのコピーを作ってるって。どんどん薄まっていく……って。  
  庵野さん自身、確かそう言ってたね。自分は最初のコピー世代だって。今はコピーっていうより、サンプリングって感じがするけどね。  
  なべ君 サンプリングってすごく言い得て妙ですね。  
  サンプリングというのは、椹木野衣という人が『シミュレーショニズム』(ちくま学芸文庫)で指摘していることなんだけど。
キャラクターやキャラクター配列をサンプリングしてつくっている、あるいは世界観をサンプリングしてつくっている、という感じがあるね。
 
  なべ君 継ぎ接ぎコピーというか、新聞継ぎ接ぎの犯行声明文じゃないけど(例えは悪いけど)。  
  で、サンプリングするのがポストモダン的書き手。新しい書き手。それがいいとか悪いとかいうことじゃなくてね。  

  ◆暴走する商業主義がエンターテインメントを潰す
  なべ君 質の悪いものが増えてるってのは、大量生産ってのもあると思いますけどね、アニメの場合。  
  あるね。
週何本までだったらいいクオリティのものを生産できるっていう限界数をはるかに超えて作っているみたいだからね。
 
  なべ君 商売として大きくなりすぎてしまった。素材はないのにも関わらず。
 
  資本主義というか商売主義のいやな部分が浸食しているね、いろんな部分で。スポーツもそうだし。  
  なべ君 最近私は、アニメ化のことを「原作の消費」って言ってるんです。  
  原作の消費?  
  なべ君 アニメとして消費されて商品サイクルとして食われていく……というイメージ。  
  原作が食いつぶされていくイメージ?
商業主義の餌食になるって感じ?
 
  なべ君 それに近いですね。すべてがすべてではないですけど。
昔より作品を大切に、ってのは減ったなぁって。商業主義自体を否定する気はないんですけど。
 
  でも、商業主義はでしゃばりすぎている。視聴率主義もね。それは果たしてユーザーにとって望ましきことなんだろうか、と考えちゃうね。。  
  なべ君 そう思いますよ。よい作品ってのは商業的に成功しにくいらしく、ますます減りそうな感じです。  
  だから、インディーズというのが出てくる隙間があるんじゃないか、って気もするね。  
  なべ君 インディーズっていうと「ほしのこえ」とか?  
  音楽の世界をイメージしているんだけどね。
『ほしのこえ』が凄いアニメかどうかは、少し疑問を抱いているのよ、個人的には。個人制作としても制作者としても凄いと思うけど、じゃあ、作品単体としては……って思ってるところが少なからずある。
 
  なべ君 疑問は私もさんざ書いていいました(苦笑)。まだ打ち込んでない、前回の対談で(苦笑)。  
  『ほしのこえ』がアニメ業界におけるインディーズを果たして開くのかどうかは、慎重論なのよ、おれは。それは『ほしのこえ』がすぐれている/すぐれていないに関係なくね。「おれにもできそうじゃん」と安易な作り手を安易に引き寄せてしまうんじゃないかと、ちょっと心配。  
  なべ君 いや、実際ある(苦笑)。  
  もう引き寄せちゃってるの?  
  なべ君 ええ、恐らくは(苦笑)。  
  ううん……まあ、それで乳揉みまくりの良質エロアニメが出てくれるのならいっか(笑)。  
  なべ君 (笑)。引き寄せちゃうと問題ですか?  
  良質の作り手が引き寄せられるとは限らないと思うのよ。ただでさえ作り手のレベルが構造的に落ちているアニメの世界で、アマチュアに近い人たちも参入してしまって商品を出してしまうというのは、果たしてどうなんだろう……ってね。良質の乳アニメが出るのなら全部オッケーだけど(笑)。
──乳が出たところでそろそろまとめに入りますか。
 
  なべ君 創作がメインでそれだけな感じになったけど、余裕があればもうちょっと広い話も出来たらよかったかなぁと思いました。そんなところです。  
  乳!(笑)  
  なべ君 では今日は本当にありがとうございました。  
  こちらこそ、ほんと長い間ありがとうございました。
※対談終了までに6時間経過していた。
 


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