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◆欠点を直すか、長所を伸ばすか |
なべ君 | よい点を良くするか、悪い点を直すか、という考えにはコンセプトに戻る、ということでしたけど、つまり、コンセプトを実現するために、もしその悪い点がものすごく邪魔をしてるならばそっちを直すし、同じくコンセプト実現のために、よい点が足りないならそっちを直す、という感じですか? |
鏡 | 原則的にはね。ある程度作業に入ってしまっていると、直せない場合もあるけど。 | ||
なべ君 | なぜ、よい点、悪い点って考えたかと言うと、平凡に欠点のないものと、欠点だらけだけど1つすごく面白い(良い)ものがあったとき、どっちかな? と。特に素人創作では、印象にすら残らない素人創作って結構な数存在してて、それに対してなぜ印象に残らないんだろう? って。それが小説に対しても音楽に対しても大体当てはまると私は感じているんです。 |
鏡 | 印象に残らないのは、誕生の時点──企画の段階で失敗しているんだと思う。 巷にこんなゲームがありました、こんな小説がありました、ぼくもやりた~い。それじゃだめ。 自分ならどうする? その視点が入らないと印象には残りづらいよね、相当に突き抜けない限り。 |
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なべ君 | 多いですよね >ぼくもやりた~い |
鏡 | 多いね。模倣は創造の母とはいうけど、模倣だけではだめ。 | ||
なべ君 | 高校生の文芸部の部誌の小説に、よく赤ペン入れるなんて偉そうなことしてたんですが(アホ)そのとき、「上辺だけ市販小説と一緒で中身がない」って書いた。何度も書いた(笑)。 |
鏡 | 真実はいつも厳しいものだ(笑)。 | ||
なべ君 | なんて言うんだろう、素人創作ってのはプロのそれと比べれば、実績などの点で当然のように差があるわけです(もちろんその差はあって当たり前)。 同じようなものが同じような入手条件であったときに、わざわざ素人の創作を選ぶかって。 よい点を、何か独自のものを持って、とにかくそれを限界まで延ばした方が、欠点なしより、印象に残せるのではないか? とかなんとか(苦笑) |
鏡 | あのね、書き手として若い頃、まだそんなに量をこなしていない頃というのは、とにかく出すので精一杯なわけ。アウトプットするので必死なの。自分がアウトプットしたものがどうかというところまでは配慮がいかないし、見えないのよ。アウトプットする瞬間はね。 だから、まずアウトプットするのにひいひい言っているレベルから脱出することが先決なわけ。 たとえばテニスでも、足と手が合わない状態ってあるじゃない? そこでああだこうだ、いいところを伸ばすだの欠点を直すだの言っても仕方ないわけ。とにかく初歩レベルから脱出しなさいと。そこからがスタートなわけよ。そこから長所を伸ばせばいいんであってさ。 ゲームのシナリオにしても、似たような部分はあると思うのよ。 たとえば、ソフトハウスに入るまでに、おれの場合原稿用紙で5000枚以上は小説書いてきているわけ。 すると5000枚書いてきた素人さんと50枚しか書いていない素人さんでは、全然違うわけよ。50枚書いてきた素人さんじゃ、500枚書くのって初体験だからひいひい言っちゃうわけよ。とにかく書いて書いて終わらせるので精一杯なわけ。でも、5000枚も書いてきたら500枚ぐらい書いた経験はあるわけでさ、そのお話がいいか悪いかはさておき、お話を書いていくということ、つなげていくということにはそんなに抵抗ないわけ。 そういう差ってあるのよね。生産するスピードにも反映されてしまうし。ある程度の量をこなせないとどうにもならないというところは、ボリューム的にインフレーションを起こしているエロゲー業界では特にあるからね。 |
◆凄いゲームの違いとは? |
鏡 | おれね、ゲームをやっていると日本語規則と台詞にばかり目がいって仕方ないの。 | ||
なべ君 | 私なんかゲームやってると、書き手にばっか目がいってしまいますけど(苦笑)。 日本語規則って、職業病ですね(^^;; |
鏡 | 職業病というより、書き手として当然のこと。 | ||
なべ君 | でも、ゲームにのめり込むという意味では邪魔になりませんか? |
鏡 | 純粋に受け手として見てないからね、ゲームは。書き手としての意識、書き手としての視点から見ている。 | ||
なべ君 | なるほど、初めから、受け手ではないんですね。 |
鏡 | これこそ職業病というやつだよ(笑)。感動しながら、あるいは泣きながら、なんでこんなにうまいんだろうとかこんなに面白いんだろうとか、考えながらプレイしちゃうからね。 だからこそ、純粋な受け手としてプレイさせてくれるゲームに出会うと、凄いと思うのよ。 |
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なべ君 | 何が違うんでしょうか? って難問ですが(苦笑)。 |
鏡 | だめなゲームと、凄いゲーム? | ||
なべ君 | いや、その、「純粋に受け手としてプレイさせてくれるゲーム」ってのは。 |
鏡 | 直線的じゃないよね。それから、世界観への入り込ませ方が違う。 たとえば、お話の謎や核心に迫っていく、あるいは触れる時の触れ方が、直線的じゃない。少しじらした形で──でも、じらしすぎずに──心地よいカーブを描いて迫っていく。 それから、キャラの説明の仕方がこなれているよね。 「はい、いまからキャラ説明です」みたいに、看板みたいにキャラ説明が出てこない。 |
なべ君 | はいはいはい。 |
鏡 | 下手な書き手は、まず、キャラ説明が下手だからね。看板みたいに説明が突っ立っている。 あと、世界観の説明ね。ファンタジーとかSFとかって、世界観の説明させるとすぐ力量出るからね。そういうところで世界観にひたれるかどうかって決まっちゃうわけよ。 |
◆作り手の緊迫感 |
なべ君 | 昔、ネットの知人の書いた小説で、最初の十数行に渡って永遠と世界観を説明してたものを思い出した(笑)。 世界観の説明が終わった後に、ずっと事実説明が続く(笑)。 またそれが日本語として間違ってるんだ(典型的な句点がない文)。 |
鏡 | 最悪。台詞でもそうなんだけど、状況説明を、説明的な口調を使わないでさりげなく入れていくのがうまさなのよ。それが心地よさなのよ。 | ||
なべ君 | そう思います。ただ実践はまた難しい(苦笑)。 |
鏡 | もちろん! そこに結構地の文の力が出る! 心地よいテンポで、心地よい言葉の配列で、心地よい文章の並べ方で、どう説明していくかだからね。そういうのはひとつの呼吸だろうし、音感だろうしね。その人のほとんどすべてが出てくる。 | ||
なべ君 | 一文一文神経を使って、どう読まれるか、どう感じるかって感じですかね。 |
鏡 | そうそう。小説の場合は、最初の1ページで勝負が決まるからよけいにシビアだよ。そこで本棚に戻されたら終わりなわけだから。 |
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なべ君 | なんでも最初は肝心だと思うんですよ。最初って、いきなり世界に引き込むわけじゃないですか。 |
鏡 | 小説にしても映画にしても、ゲームにしてもね。 ただ、ゲームの場合、保護されている部分がある。小説の場合、その気になれば売り場で全部読むことはできるけど、ゲームは不可能。売り場でイントロを覗くこともできない。流れているのはデモだけでね。今は体験版が配布されるようになったけど、それでも小説ほどシビアなわけじゃない。エロゲーは最初に絵ありきで次にシナリオという感じだからね。絵が凄く好みであれば、ユーザーは引きつけられてしまう部分がある。 だから、絵と形態で二重に保護されているわけ。ゲームソフトというのは、間違いなく店頭では冒頭を覗けなくて、でも、買った人は、たいていある程度まではプレイしてくれる。ちょっと最初だけプレイしておしまいというのは少なくてある程度まではお話を読み進めてくれる。そういう甘さや甘えはあると思うんだよね、ゲームの作り手には。 でも、本来そういう甘えはよくない。 |
なべ君 | ああ、たしかに。映画館で上映する映画は、観る人はどっちにしろ最後までは観るだろうって言うのと少し似てますね。 |
鏡 | 似てる。テレビドラマは、チャンネルを変更されるかもしれないという恐怖と戦っているからね。だからってテレビドラマの方がレベルが上だというわけじゃないけれど。でも、緊迫感というのはある。ゲームのシナリオライターには、その手の緊迫感というのはない。 |
なべ君 | 最近のテレビドラマなんか逆にそういう戦略が濃すぎてイヤですけど(笑)。 |
鏡 | シナリオもだめだめが多いしね。人間も台詞も書けてないし。エロゲーのシナリオとあまり変わらないじゃないか、と思ったりするよ。違いは緊迫感だけかしら、とかね。 |
なべ君 | いやエロゲーをそんなに低く見なくても(^^;; |