むかつくぞ、文部省。
腹が立ってるのは
87年の入試改悪からやけど、またやってくれた。
2002年、小学校の教科書から
台形の面積を求める公式が消えるそうや。以後、中学でも高校でも教えられることは永遠になくなってしまう。算数の授業時間も、年間110時間が減少されてしまう。
別にええやん。
おれ、数学嫌いやし、算数も嫌いやし。どうせ、学校の勉強なんて役に立たへんやん。
そう言うやつもおるやろう。
馬鹿者め、とおれは言いたい。
たかだか
二十に満たない年齢で、何が自分の人生に役に立って何が役に立たへんてわかるっちゅうねん。それにやな、もし、
役に立たへん(と自分が思ってる)ことをするのが、きわめて大切なことやったとしたらどうするねん。
世の中、実用性だけやないんやで。
こんなんいらんで、ってやつ、結構ある。
一見無駄なことに見えることのほうが、あとで精神形成において重要やったりする。
学校の勉強ってのはそういうもんや。
特に
数学ってのは、見えないところで人の思考レベルを支える。数学が全然できへんやつは、論理的な思考ができない。論理的な思考ができへんやつは、まともに人と議論することができへんやろう。おまけに
数学的思考が弱いやつは、効率よく物事を行うことができへん。
会社ってのは利益団体や。
効率を追求する。効率よう儲けることが会社にとっては一番や。ほやから、効率よく立ち回れるやつを求める。
でも、数学的思考ができへんやつは非効率的にしか動けへん。
そういうやつ、だれが雇うの? ええとこが雇ってくれると思ってんの?
算数とか数学ってのは、そういう意味ですげえ大切なんよ。
ところが、文部省はそれを減らすという。ゆとりという名前のもとに。
ふざけんな、ぼけ〜〜〜っ!
と叫びたい。
切り捨ててええこととあかんことすら区別できへんのか、文部省の役人は。現場も未来も見えてへん。創造は模倣から始まるんや。
創造には、まねする見本、基準みたいなものが必要や。算数とか数学でいうたら、それは
公式になるやろう。
ところが。
その基準、公式を減らすという。
アホちゃうか。なくしてすぐ独創力が育つんか? 創造の基盤を減らしてどないすんねん。
今の大学生でも、小学生レベルの分数の計算ができへんっちゅうのに、さらに
馬鹿な大学生を量産する気か?
アホな人材を育てる制度をつくって、10年後にその尻拭いを民間にさせるな。文部省のやつ、全員民間の学校に入って現場を味わってこい。