よく
批評っていうけど、結構言葉の使い方を間違っていたりする。
美少女ゲーム批評とか、機動戦士ガンダム批評とか、かっこつけたりするけど、批評と呼ぶには爆笑を禁じ得ない、
玩具としか言いようないものばかり。
理屈っぽい言い回しで偽装した個人的暴論としか言いようのないもののほうが多いように思える。論ってついてても、全然論になってなくて、そりゃ
徒然草だろ、と突っ込みたくなるものだったり。
東浩紀が、
『オタクから遠く離れて』(『朝日出版社、『郵便的不安たち』所収)でこんなことを書いてます。
僕はかつて、「アニメには批評が存在しない」と言いました。感想と批評は違います。感想は作品一本見れば生まれます。けれども、批評にはジャンルの意識がなければいけない。アニメというジャンルがいつ生まれ、それがどういう歴史を持ち、そしてそれが個々の作品にどんな圧力を与えているのか。
ここで言う感想とは、よくHPで見かける言葉に翻訳すれば、
reviewのことでしょう。批評は
critique。
東浩紀氏が指摘する通り、
批評と感想は違うのよ。でも、
《いま「オタク」文化について語っている多くの人々には、こういう視点が欠けている》。(『オタクから遠く離れて』)
うぎゃお。
レビューをやるのなら、レビューは批評とは違うんだ、あくまでも感想なんだって意識持ってやってほしいね。その意識がないってことは、ものを書くトレーニングを積んでないってことなんじゃないかしらん。
ジャンルの意識を持っていないのに、自分は批評家だと思う似非評論家。評論家じゃなくてコメンテーターだと思うんですが。
インターネットが暴言解禁しちゃったからって右にならう必要はない。ぼくらは
広言の垂れ流し、言葉の廃棄産業物を見たいわけじゃありません。