批評

【読み】 ひひょう



 英語ではcrtique。クリニックではありません。

 ラランドの《哲学辞典》によると、

 ある一つの原理または事実を評価するために検討すること

 批評という言葉は、輸入語です。だから、日本とヨーロッパでは意味が違います。

 ヨーロッパで言う批評には、たとえばフランス語の場合、《批評》と《危機》の2つの意味がある。でも、日本ってひとつだけなのよねえ。一般的には、批評というのは、すでにある価値の再検討という意味で使われているみたいです。たとえば、封建主義とか、市民主義とかね。

 こと芸術の批評に限って言うと、5つあるらしい。そのうちのひとつに美学的批評ってのがあります。作者は、なんのためにこの作品を作ったのか。なにを表現したかったのか。そのために取った手段どうだったのか。そういうこと考える批評です。

 ところが。

 これが文芸面では日本は弱かったりする。

 表現しようとすると、どうしても文体のことが問題になっちゃうでしょ? こういうのを書きたい。そのためには、どういうふうに書けばいいんだろう。どういうふうに言葉で表現すればいいんだろう。言葉を扱う以上、どうしても表現は文体へとつながっていきます。

 ところが、その文体論が日本にはないんだ。欧米にはあるんだけどね。だから、客観的な議論ってのが出来にくくなっちゃってるんです。

 言葉を大切にしない文化だなあ。

 ちなみに、批評的精神とは、

 いかなる命題も、みずからその命題の価値を検討することなしには決して受け入れない精神のこと

 理性の働きになんか似ておりますな。

 さて、この批評的精神。

 特定の価値体系が危機に臨んだとき、活発になるんですね。まで風邪みたいじゃ。

 危ないときに元気になるので、批評的精神の歴史を辿っていくと、価値体系の転換・崩壊、パラダイム・シフトが見えてくるってわけです。日本の場合とヨーロッパの場合を見てみましょう。

日本の場合

 日本の批評的精神史は4段ロケットです。

(1)12世紀後半〜13世紀前半

 なかなかこの凄いぱわふりゃーです。親鸞・道元が既存の宗派をぶった切り。なんだか、ヨーロッパの宗教改革を思わせますなあ。おまけに藤原定家なんか、歌論なんかやっちゃって。これ、ヨーロッパの人文主義を連想させます。ジャパン・ルネッサンスって言いたくなっちゃう。
,すなわち文芸批評の原則を樹立した(これは貴族社会の内部から起こり,激しい社会的変動のなかで,文化的伝統を歴史的に自覚したという意味で,ヨーロッパの人文主義に通じている)。

(2)18世紀

 主役、本居宣長。ターゲット、儒教。国学運動です。江戸時代の思想爆発。ごめん、勉強不足です。

(3)19世紀末(明治維新前後)

 ヨーロッパから輸入した啓蒙思想蹂躪です。文明批評暴発でした。でも、いま思えば文明って、ヨーロッパの文明だったんですよね。文明/野蛮は、ヨーロッパ文化/非ヨーロッパ文化の二項対立でもあったわけで。批評というよりも、否定という感じがします。

(4)第2次大戦後

 今度はアメリカから輸入の自由菌感染。封建的なもの、前近代的なものが徹底的にやり玉にあげられた。ここで日本は使用前/使用後みたいに変わってしまいました。笑えねえ。

ヨーロッパの場合

 ヨーロッパの批評的精神史は3段ロケットです。

(1)ルネサンス

 いわずと知れた、カトリック教会の中世的価値・秩序の崩壊期。宗教改革と人文主義の2大闘争で出現。エラスムスって偉そうな名前のおじさんも出てきたのもこの頃。

 神様に縛られていた人間を解放し、人間には理性があること、それが普遍的に人間にあること、そして人間の精神は自律していること、が掲げられたのでした。いろんな意味で従属しまくっている日本人とは、この時点で違っていたのかあ。

(2)産業革命(18〜19世紀)

 旧制度と言いますが、ヨーロッパ的封建主義、貴族体制の崩壊です。市民革命の時期。

 ちなみに、職業的な批評家が生まれたのは、フランス革命以後の19世紀です。

(3)2つの世界大戦

 今度は、市民社会そのものが疑いにかけられます。産業革命によって出来上がった大衆社会といってもいいかもしれません。マルクスはその代表だった。映画つくったマルクス3兄弟ではありませんよ(笑)。

冷戦崩壊後

 もう1段階のロケットとして、冷戦構造の崩壊ってのが考えられるでしょう。それまで仮想敵国だったソ連がいきなり仲良しになっちまった。ベルリンの壁は崩壊しちまうし、東西対立がいきなりなくなっちまった。

 ポストモダンは、この冷戦構造の崩壊を境に激化してます。めちゃめちゃ顕著になった。


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