日曜学校 月報集

2017年度の月報です。

下線の付いたさんびかは「改訂版こどもさんびか」です。

2018年度

4月

主題「受難と復活、主の祈り」

聖書と説教 交読文 さんびか
2マタイ 27・15~26
「主イエス、死刑判決を受ける」
72、38、16
9マタイ 27・45~56
「主イエス、十字架で死なれる」
63、37、16
16
イースター礼拝
マタイ 28・1~10
「主イエス、復活される」
813、91、16
23ルカ 11・1~4
「あなたがたはこう祈りなさい」
212、17、16
30マタイ 6・5~13
「天にまします、われらの父よ」
11、40、16

今月のみことば

「メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか」

(ルカによる福音書 24章26節)

イエスさまの十字架の上での苦しみは、私たちの罪による苦しみです。その罪による死からイエスさまが復活されたことによって、それを信じるすべての人に、罪からの救いがもたらされました。

5月

主題「主の祈り」

聖書と説教 交読文 さんびか
7Ⅰペトロ 2・11~12
「願わくは御名をあがめさせたまえ」
154、4、16
14マルコ 1・14~15
「御国をきたらせたまえ」
1614、113、16
21マルコ 14・32~36
「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」
59、33、16
28マタイ 6・25~26
「われらの日用の糧を今日も与えたまえ」
311、102、16

今月のみことば

神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。

(マルコによる福音書 3章35節)

4月から「主の祈り」について学んでいます。主の祈りは、イエスさまがこう祈りなさいと教えてくださった、祈りのお手本です。

皆さんは、神さまに何をお祈りしていますか? 何をお祈りしてもよいのですが、神さまは私たちの思いと本当に必要なことをすべてご存知です。ですから、お祈りする時はいつでも、イエスさまが教えてくださったように、まず神さまを信頼して、御心(私たちではなく、神さまの思い)のとおりに一番善いことが行われますようにと祈ることが大切です。

6月

主題「主の祈り」

聖書と説教 交読文 さんびか
4
ペンテコステ礼拝
使徒言行録 2・1~13
「 教会の誕生 」
128、93、16
11
子どもと大人の合同礼拝
ルカ 23・32~34
「 赦しの希望 」
交読詩編
51・12~14
讃美歌21
351、189、194、
18Ⅰコリント 10・13
「 われらを試みにあわせず、悪より救い出したまえ 」
1710、60、16
25フィリピ 2・6~11
「 国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり 」
146、79、16

※11日は9時30分から分級、10時30分から礼拝です。

今月のみことば

その後、わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し、老人は夢を見、若者は幻を見る。

(ヨエル書 3章1節)

「ペンテコステ」は、クリスマス、イースターに続く、キリスト教の祝日の一つです。旧約聖書で預言され、イエスさまが天に昇られる時に約束してくださった、聖霊(神さまの霊、聖霊なる神さま)が私たちのところに降ってこられた日です。

この聖霊のお働きによって、世界中にイエスさまの罪からの救いの業が正しく宣べ伝えられ、多くの教会ができました。

それで、ペンテコステの日は教会の誕生日とも言われています。この聖霊は、今も働いて私たちを導いてくださっています。

7月

主題「主の祈り、使徒信条」

聖書と説教 交読文 さんびか
2ヨハネ黙示録 22・20~21
「 アーメン 」
134、18、16
9ローマ 10・9~10
「 我は信ず 」
43、49、16
16創世記 11・1~3
「 天地の造り主 」
141、112、16
23マタイ 19・23~26
「 全能の父なる神 」
1112、119、16
30ヨハネ 1・14~18
「 その独り子、我らの主イエス・キリスト 」
105、79、16

今月のみことば

このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ている。

(ローマの信徒への手紙 5章1節)

私たちの神さまに対する罪は、イエスさまの救いの業によって取り除かれました。このことを信じる時、神さまとの間に、本当の平和を得ることができます。それだけでなく、人と人との間にも平和が与えられます。神さまのほうから、このようにしてくださったのです。

私たちは、聖書を通してイエスさまの救いの業を知り、その御心に触れることができます。

そして、この神さまの大きな愛をまだ知らない人にも伝えずにおくことができません。

8月

主題「使徒信条」

聖書と説教 交読文 さんびか
6ガラテヤ 4・4~6
「 聖霊によりて宿り、処女マリヤより生まれ 」
97、50、16
13マルコ 15・15~20
「 ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ 」
124、83、16
20Ⅰペトロ 3・18~19
「 死んで葬られ、よみにくだり 」
72、38、16
27Ⅰコリント 15・3~8
「 三日目に死人のうちよりよみがえり 」
89、91、16

今月のみことば

殺してはならない。

(出エジプト記 20章13節)

この十戒のいましめは、神さまが私たちを生きるものとなるように造られたことを思い起こさせます。「神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちよ。……」(創世記9章1節)

この御言葉に対して、嫉妬や誘惑、悪意によって死をもたらすことは、神さまの前に大きな罪を犯すことになります。ですから、私たちは自分の命と同じように他の人の命をまもり、大切にしなければなりません。

ただお一人、主イエス・キリストだけは、私たちの罪のために死なれ、そしてご復活されたことによって、その罪を帳消しにしてくださいました。

9月

主題「使徒信条」

聖書と説教 交読文 さんびか
3マルコ 16・19~20
「 天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり 」
611、92、16
10Ⅱテモテ 4・1~2
「 かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審かん 」
188、134、16
17Ⅰコリント 12・1~3
「 聖霊を信じる 」
510、35、16
24エフェソ 4・1~6
「 聖なる公同の教会、聖徒の交わり 」
1514、60、16

今月のみことば

義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

(マタイによる福音書 5章10節)

このみ言葉は、イエスさまが「山上の説教」で最初に語られた幸いの教えの一つです。「義」とは、神さまから見て正しいことです。昔の預言者たちもそうですが、何よりもイエスさまご自身が、正しいことのために迫害され、苦しまれました。

しかし、イエスさまは、その十字架の死と復活によって、人間のすべての苦しみを解決され、私たちを幸いなものにしてくださいました。

「だから、いつでも心を引き締め、身を慎んで、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。」(ペトロの手紙一 1章13節)

10月

主題「使徒信条、宗教改革の教え」

聖書と説教 交読文 さんびか
1ヨハネ 6・38~40
「 罪のゆるし、体のよみがえり、永遠の命を信ず 」
105、86、16
8ローマ 6・3~4
「 洗礼 」
13、16、16
15Ⅰコリント 11・23~36
「 聖餐 」
1312、23、16
22Ⅱテモテ 3・14~17
「 聖書のみ…神の言葉、信仰と生活の規範 」
21、47、16
29ヘブライ 7・26~28
「 キリストのみ…キリストによる啓示と贖い 」
116、89、16

今月のみことば

すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。

(ローマの信徒への手紙 3章22節)

「義」とは、正しいとされることです。私たちの世界には、いろいろな義があります。ルールを守っているから正しいとか、悪いことをしていないから正しいとか。

しかし、「神の義」は、神さまに正しいとされることですから、いくら悪いことをしていなくても、神さまに背いている(罪人である)私たちは、自分が本当に正しい人であるとは言えなくなります。

ただお一人、この罪を取り除いてくださったイエスさまを信じることによってのみ、神さまに正しいとされるのです。この信仰を持つことによって、本当の救いに与ることができるのです。

11月

主題「宗教改革の教え」

聖書と説教 交読文 さんびか
5ローマ 3・21~26
「 信仰のみ…選びと信仰による義 」
84、121、16
12
子ども祝福合同礼拝
ガラテヤ 5・22~25
「 神の約束 」
交読詩編
1・1~6
(合同礼拝)
19Ⅰコリント 1・1~4
「 万人祭司…恵みにより召されたものの集い 」
79、45、16
26エフェソ 1・20~23
「 教会…キリストの体 」
162、105、16

今月のみことば

ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。

(ヘブライ人への手紙 11章16節)

このヘブライ人への手紙11章には、「信仰によって、~しました」という言葉が何度も書かれているように、神さまの約束を真実として望み、信頼した旧約聖書の人たちのことが書かれています。

私たちも、イエスさまが神さまの約束どおりに私たちの罪を贖うために十字架にかかって死に、その死から復活してくださったことを信じています。

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。」(ヘブライ人への手紙11章1~2節)

12月

主題「降誕」

聖書と説教 交読文 さんびか
3マタイ 1・18~25
「 ヨセフへの御告げ 」
930、65、16
10ルカ 1・26~38
「 マリアへの御告げ 」
1023、71、16
17ルカ 2・1~5
「 ベツレヘムへの旅 」
618、66、16
24
クリスマス合同礼拝
ヨハネ 1・1~14
「 キリストの降誕 」
(合同礼拝)
31マタイ 2・1~12
「 異邦人への救い 」
55、78、16

今月のみことば

あなたがたも知っているように、御子は罪を除くために現れました。御子には罪がありません。

(ヨハネの手紙一 3章5節)

クリスマスは、「インマヌエル」(神は我々と共におられる)と呼ばれる方が、わたしたちのところに来てくださったことをお祝いする日です。 この方、イエス・キリストによってのみ、わたしたちは罪を取り除かれ、神さまのほうに顔を向けて正しく歩むことができるのです。

1月

主題「十戒」

聖書と説教 交読文 さんびか
7出エジプト 20・1~17
「 奴隷の家から導き出した神である 」
1714、44、16
14マタイ 4・8~10
「 わたしの他に、なにものをも神としてはならない 」
128、51、16
21Ⅱコリント 6・14~16
「 自分のために、きざんだ像を造ってはならない 」
147、119、16
28マタイ 5・34~37
「 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない 」
111、123、16

今月のみことば

主に向かって歌い、御名をたたえよ。日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。

(詩編 96編2節)

今月のテーマは「十戒」です。モーセを通して与えられたこれらの戒めは、「しなければなりません」という、単なる決まりごとではありません。

旧約聖書のイスラエルの民は、この戒めを守ることができず、神さまに背くばかりでした。しかし、私たちは、この戒めに「聞かなければなりません」。なぜなら、イエスさまが来られたことによって、十戒を与えられた神さまの御心を知ることができるようにしてくださったからです。

「新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え。」(詩編 96編1節)

2月

主題「十戒」

聖書と説教 交読文 さんびか
4マルコ 2・23~28
「 安息日を覚えて、これを聖とせよ 」
156、13、16
11エフェソ 6・1~4
「 父と母を敬え 」
161、118、16
18Ⅰヨハネ 3・12~16
「 殺してはならない 」
113、112、16
25ヘブライ 13・4~6
「 姦淫してはならない 」
184、113、16

今月のみことば

「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」

(マタイによる福音書 5章7節)

十戒は、私たちが罪を犯して神さまの愛から離れてしまわないようにという神さまの御心を表し、その愛によって生かされていることを教えるために与えてくださった戒めです。

これらの戒めは、旧約聖書の時代にモーセを通して与えられたものですが、イエスさまはそれを完成するために来られました。つまり、イエスさまの十字架の死と復活による救いのみ業によって完成されたのです。私たちは、このイエスさまを信じることによって、神さまの御心に従って生きることができるのです。

3月

主題「十戒、受難」

聖書と説教 交読文 さんびか
4Ⅰテモテ 6・6~10
「 盗んではならない 」
109、128、16
11エフェソ 4・22~25
「 隣人について偽証してはならない 」
42、60、16
18ローマ 13・8~10
「 隣人の家をむさぼってはならない 」
210、137、16
25マタイ 27・32~44
「 主イエス、十字架につけられる 」
75、82、16

※お知らせ:新年度から礼拝順序を大人の礼拝に合わせて変更します。

今月のみことば

イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」。こう言って息を引き取られた。

(ルカによる福音書 23章46節)

神さまから離れて罪のほうへ向いている私たちの心を神さまのほうへ向けなおすことを「悔い改め」と言います。

イエスさまは、私たちの罪を全部背負って十字架にかかられ、罪と一緒に死なれました。そして三日目にご復活されました。イエスさまが「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」(ルカによる福音書5章32節)と言われたとおり、この出来事によって、私たちが本当に神さまのほうへ心を向けることができるようにしてくださいました。

このイエスさまを信じることによって、罪からの救いという神さまからの大きな恵みを与えられるです。