2011年度の月報です。
※下線の付いたさんびかは「改訂版こどもさんびか」です。
4月
主題「創造」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
3 | ルカ 11・1~13 「 イエス様と一緒に祈ろう 」 | 9 | 5、60、25 |
10 | イザヤ書 63・16 「 確かな方に祈る 」 | 10 | 6、20、16 |
17 | ヨハネ 19・16~27 「 イエス様の十字架 」 | 18 | 8、82、16 |
24 | イースター礼拝 ヨハネ 20・1~18「 復活を信じる 」 | 8 | 7、91、16 |
明解カテキズム 第3章 創造
- 問6
- 聖書は、わたしたちの世界と人間についてどのように語っていますか。
- 答
- わたしたちとわたしたちの世界は、神さまによって善いものとして造られました。特に人間は、神の似姿(像、似たもの、かたどって)として造られました。
- 善いものとは、どういうことでしょうか。
- 神の似姿とは何でしょうか。
わたしたちの世界は、神さまによって造られました。しかも、神さまは、造られたすべてのものを見て「良しとされました」。世界が善いものとして創造されたとは、神さまがいつも世界とそこに生きるすべてのものを「みこころにとめてくださる」ということです。神さまは、わたしたちの世界を愛し、神さまのご計画のうちに導いてくださいます。
わたしたち人間もまた、神さまによって造られました。神さまの「似姿(にすがた・かたち)」に創造されました。神さまのかたちに人間が造られたとは、わたしたちが神さまに向き合い、神さまの呼びかけに答えることができるということです。サムエルは、神さまの呼びかけに、「どうぞお話しください。僕は聞いております」とすぐに答えました。神さまがわたしたちに呼びかけてくださるのは、神さまがわたしたちを愛しているからです。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より
5月
主題「イエスの教え」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
1 | 詩編 145・1~13 「 神さまを重んじて生きよう 」 | 1 | 1、119、16 |
8 | 使徒言行録 1・6~11 「 み国を来たらせたまえ 」 | 13 | 9、92、16 |
15 | ルカ 22・39~46 「 イエスさまのように祈ろう 」 | 9 | 4、49、16 |
22 | 列王記上 17・2~7 「 神さまを信頼する 」 | 12 | 11、21、16 |
29 | マタイ 18・21~35 「 あなたがたは罪から自由だ 」 | 15 | 10、124、16 |
明解カテキズム 第7章 イエスの教え
- 問13
- イエスさまはどのようなことを教えられましたか。
- 答
- 神さまを信じることの幸いと、神と人を愛して生きる道を教えてくださいました。
- 主の祈りを祈ってみましょう。
- イエスさまの教えの言葉は、聖書のどこに書かれていますか。
イエスさまは、地上のご生涯の間に、神さまを信じることの幸いをまず教えてくださいました。最も大切な戒めとして、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6章5節)とイエスさまご自身が人々に教えられました。なぜなら、神さまを愛し、信じることは、わたしたちが罪から救われ、神さまと共に歩む幸いを与えてくれるからです。
イエスさまの教えは、新約聖書の福音書に記されています。聖書によって、わたしたちはイエスさまがどのような方であり、どのような教えを人々に伝えられたかを知るのです。
そして、イエスさまは、たとえ話や説教とともに、わたしたちに祈りの言葉である「主の祈り」を教えてくださいました。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より
6月
主題「教会の信仰」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
5 | Ⅰペトロ 5・8~11 「 いつでも神さまと一緒に 」 | 7 | 10、92、16 |
12 | ペンテコステ礼拝 エフェソ 1・13~14「 聖霊によって 」 | 12 | 8、93、16 |
19 | 歴代誌上 29・10~13 「 神をほめたたえる幸い 」 | 9 | 6、43、16 |
26 | ヨハネ黙示録 1・4~8 「 神さまへの信頼を口にする 」 | 16 | 1、105、16 |
明解カテキズム 第8章 教会の信仰
- 問14
- そのイエスさまを信じ、その教えに従っている人々はだれですか。
- 答
- イエスさまに呼び集められた教会の人々です。
- イエスさまを信じる人たちは、なぜ教会に集められたのですか。
- 教会に行かなくても、イエスさまを信じることができますか。
イエスさまの弟子の一人ペトロは、「あなたはメシア(救い主)です」と信仰を言い表しました。イエスさまは、この信仰の告白の上に教会を建てると約束してくださいました。
教会は、イエスさまを 救い主 と信じ、その信仰に基づいて洗礼を授かり、イエスさまの教えに従って生活している人々の群れです。使徒言行録二章に記されているように、神さまの霊の働き(聖霊)によってこの約束が実現しました。
教会のかしらは、わたしたちのために死んで復活された神の御子イエス・キリストです。イエスさまを信じる人々が、教会に集められたのは、そこに信仰の共同体、かけがえのない交わりの場をつくるからです。教会には、信仰を同じくする人々の交わりがあり、悔い改めと助け、祈りがあります。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より
7月
主題「人間の惨めさと罪」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
3 | 出エジプト記 20・1~20 「 十戒をいただく 」 | 2 | 13、46、16 |
10 | 申命記 7・6~8 「 神さまの宝の民 」 | 16 | 2、5、16 |
17 | Ⅰヨハネ 4・19~21 「 わたしたちも愛している 」 | 3 | 5、15、16 |
24 | エレミヤ書 17・5~8 「 神さま、わたしは苦しいの 」 | 4 | 9、119、16 |
31 | 使徒言行録 17・16~29 「 神さまはどこにおられるの 」 | 14 | 7、93、16 |
明解カテキズム 第12章 人間の惨めさと罪
- 問23
- そのような人間の惨めさは、何によってわかりますか。
- 答
- それは神さまがくださった律法によってわかります。
- 律法とは何ですか。
- 律法は、わたしたち人間に何を求めるのでしょうか。
わたしたちが神さまの言うことを聞かないとき、わたしたちは神さまから遠くに離れ、罪にとらわれた惨めな状態にあります。これは、わたしたちを愛し、救ってくださる神さまの律法(十戒)の言葉を聴いたときに初めてわかります。
律法を聴くときに、自分自身の罪が明らかにされます。しかし同時に、神の御子であるイエスさまが来られたことによって、その罪が赦され、律法の下ではなく、福音の恵みの下に生きることが許されていることを知ります。
わたしたちが信仰によって、イエスさまとしっかりと手をつなぎ、イエスさまと共に天へと続く道を歩むなら、わたしたちはイエスさまと結ばれて「新しい人」になり、罪に支配されず、平和と喜びのうちに歩むことができます。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より
8月
主題「使徒信条 (3)」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
7 | 創世記 2・7 「 魂に聞こえてくるよ 」 | 10 | 11、112、16 |
14 | 使徒言行録 10・44~48 「 聖霊が与えてくださる喜び 」 | 15 | 3、93、16 |
21 | ローマ 8・14~17 「 私たちは神さまのもの 」 | 13 | 5、123、16 |
28 | ガラテヤ 5・22~25 「 イエスさまに愛される喜び 」 | 12 | 4、35、16 |
明解カテキズム 第14章 使徒信条 (3) 父
- 問27
- なぜ、神さまを「父」と呼ぶのですか。
- 答
- 全能の神さまは、イエス・キリストの父です。しかし、イエスさまご自身が、神さまを「父よ」と呼ぶことをわたしたちに許してくださっているからです。
- わたしたちの人間のお父さんと「父なる」神さまは、どう違うのですか。
神さまを父と呼ぶことができるのは、神さまの独り子であるイエスさまだけです。しかし、わたしたち人間は、神さまの恵みによって、自分の父を「お父さん」と呼ぶのと同じように、天の神さまを「父よ」と親しく呼ぶことが許されています。
神さまは、「アッバ、父よ」と呼ぶ霊を送って、わたしたちが神の子どもであることを知らせてくださっています。神さまの子どもとされているとは、父なる神さまのたくさんのすばらしさや宝物をいただけるということを意味します。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より
9月
主題「信仰の表明」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
4 | レビ記 19・12 「 神さまを正しく呼ぼう 」 | 1 | 6、105、16 |
11 | マタイ 12・1~8 「 安息日は安息の日 」 | 8 | 13、3、16 |
18 | ルカ 2・51~52 「 神と人に仕える 」 | 11 | 10、97、16 |
25 | 創世記 9・1~7 「 命を育み、守られる神さま 」 | 5 | 7、110、16 |
明解カテキズム 第10章 信仰の表明
- 問19
- 神さまを礼拝するとき、わたしたちは心の中で、祈り信頼していればよいのでしょうか。
- 答
- いいえ、違います。神さまを正しく礼拝し、祈るとは、心の中だけではなくて、口に出して、救いと幸いは神さまからだけ来ることを言い表すことです。
- 口に出して、言い表す言葉をどうやってみつけるのですか。
わたしたちが神さまを信頼するとき、それは心の中だけのことではありません。神さまへの信頼は、わたしたちの決意や行動となって必ず現れます。
教会の礼拝に出かけるのも、自分自身と大切な時間を神さまにささげることにほかなりません。全身全霊で神さまを信じ、従うということが、神さまを信頼することです。ですから、心の中でだけそう思っているというのではなく、口に出して、「神さま、わたしはあなたを信じます」と言うことが大切です。
神さまを信じていることを言い表す言葉は、わたしたちが見つけ出すのではなくて、聖書と教会がわたしたちに伝えてくれます。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より
10月
主題「神への信頼」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
2 | Ⅰコリント 6・12~20 「 聖霊の住まいである体 」 | 16 | 4、114、16 |
9 | Ⅰテモテ 6・6~10 「 私たちに必要なすべてを与えてくださる神さま 」 | 9 | 9、59、16 |
16 | 詩編 15・1~5 「 あなたの口からどんな言葉が出ていますか 」 | 2 | 10、41、16 |
23 | 出エジプト記 16・12~21 「 神さまありがとうございます 」 | 4 | 3、101、16 |
30 | ガラテヤ 3・23~25 「 イエスさまを愛して、信じて 」 | 11 | 1、100、16 |
明解カテキズム 第11章 神への信頼
- 問21
- どうしてわたしたちは神さまに信頼することができるのですか。
- 答
- 神さまは、すべてを知っておられる方であり、わたしたちに必要なすべてのものを与えてくださるからです。
- 神さまを信頼したいと思いますが、そのために何か証拠がありますか。
- 神さまがすべてを知っておられるとはどういうことですか。
神さまは、わたしたちの求めているもの、今のわたしたちに何が必要かをよくご存知です。さらに神さまは、わたしたちの心の中までも知っておられます。かたちだけ善い行いをしても、わたしたちの心が偽りであることもあります。神さまは、わたしたちの心の中の誤りも見逃すことがないのです。
神さまは、わたしたち人間が救われねばならない存在であることをご存知です。わたしたちが真剣に神さまの名を呼び、「神さま、助けてください。神さま、罪深いわたしを救ってください」と願うとき、必ず助けと救いをお与えくださいます。
神さまが、わたしたちを必ず助けてくださる方であることは、神さまが独り子イエス・キリストをわたしたちの世界にお送りくださったことに最もはっきりと示されています。このイエスさまの十字架と復活の出来事によって、神さまの救いが実現しました。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より
11月
主題「使徒信条」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
6 | イザヤ書 46・3~4 「 神が支えてくださる 」 | 1 | 2、113、16 |
13 | 子どもと大人の合同礼拝 Ⅰコリント 8・6「 主イエスの父である全能の神 」 | 詩編 105・37~45 | 讃美歌21 28、171、 470、533、27 |
20 | 使徒言行録 10・34~43 「 一番短い信仰告白 」 | 7 | 5、124、16 |
27 | 使徒言行録 4・10~12 「 イエスさまは神の独り子 」 | 8 | 11、65、16 |
※13日 子どもと大人の合同礼拝 分級 9:00~、礼拝 10:30~
明解カテキズム 第14章 使徒信条
- 問25
- 「天地の造り主」を信じるとは、どういうことですか。
- 答
- 目に見えるものも、目に見えないものもすべて神さまによって造られたと信じることです。
- 神さまは、わたしたちの身のまわりの木々や山など自然にも宿る方ですか。
- どうして神さまは世界を造られたのですか。
神さまは、世界とそこにあるすべてのものをお造りになりました。目に見えるものだけでなく、光や風、空気そして人間の息や心など目に見えないものをもすべてお造りになりました。ですから、神さまは自然の中に宿ったりしません。わたしたちの自然や世界よりも、はるかに偉大で、これらを超えておられるのが神さまです。しかし、神さまは、わたしたちの世界とそこにあるすべてのものを愛しておられるので、植物も動物もその生命すべてを養い、育ててくださるのです。
神さまは、わたしたち人間を他の被造物にまさって愛してくださいました。この神さまの愛に、わたしたちは讃美と感謝で応答します。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より
12月
主題「使徒信条」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
4 | マタイ 1・18~25 「 それでも神は共におられる 」 | 3 | 18、72、16 |
11 | ルカ 1・39~56 「 わたしも、そう信じよう 」 | 10 | 22、78、16 |
18 | ルカ 1・57~66 「 驚きのクリスマス 」 | 6 | 23、74、16 |
25 | クリスマス礼拝 ルカ 2・1~20「 ここまで来て下さった 」 | 13 | 20、70、16 |
25日 クリスマス礼拝 9:00~、クリスマス祝会 15:30~
明解カテキズム 第14章 使徒信条
- 問30
- 「我らの主イエス・キリスト」の「主」とはどういう意味ですか。
- 答
- わたしたちの主人ということです。わたしたちが唯一信頼し、すべてを委ね、従うべき方であるという意味です。
- 「主人」とはどういうことですか。
- 主なるイエスさまは、どのようにして本当の主人であることをわたしたちに示されましたか。
まことの主人は、僕が信頼して仕え、忠実に従うべき存在です。聖書がイエスさまを主人と呼ぶのは、イエスさまがどのような方であるかをはっきりと知っているからです。
イエスさまは、ただへりくだって、十字架の苦難を引き受けて、わたしたちに注がれるはずの神の怒りと裁きをご自分で受け止めてくださいました。さらにイエスさまは、死よりよみがえって死に勝利し、天に昇り、全能の父なる神の右に座られて、すべての人間の権力の上にご自分を置かれました。
この主の名を呼び求める者は、あらゆる人間の支配から解放されて、ただ神さまの恵みによって、救いへと入れられます。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より
1月
主題「使徒信条」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
1 | フィリピ 2・6~11 「 主イエス・キリスト 」 | 12 | 3、75、16 |
8 | マルコ 15・1~15 「 わたしたちの罪のため 」 | 15 | 5、82、16 |
15 | マタイ 27・32~44 「 十字架につけられたイエスさま 」 | 7 | 1、83、16 |
22 | ヨハネ 19・38~42 「 陰府にまでくだられたイエスさま 」 | 8 | 4、120、16 |
29 | ローマ 6・3~11 「 いつでも主イエスと一緒に 」 | 16 | 6、80、16 |
明解カテキズム 第14章 使徒信条
- 問33
- 「十字架につけられ」とは、どのようなことですか。
- 答
- 神さまに呪われたということです。それは、わたしたちが神さまに赦され、永遠の祝福を受けるためです。
- 十字架は呪いのしるしということですか。
- なぜ、イエスさまが呪われなければいけないのですか。
ガラテヤの信徒への手紙3章に書かれているように、「木にかけられた者は皆呪われている」と考えられていました。しかし、イエスさまは、わたしたち人間と違って、一切罪を犯すこともなく、神さまの憤りを招くような方ではありませんでした。
イエスさまが十字架におかかりになったのは、父なる神さまが罪ある者を罰するために注がれる呪いを、本来なら受けるべき私たち人間に代わって、イエスさまご自身が引き受けられるためでした。
イエスさまの十字架によって、私たちに救いの約束と恵み、永遠の祝福が与えられるのです。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より
2月
主題「使徒信条」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
5 | 使徒言行録 1・6~11 「 そばにいてくださるイエスさま 」 | 9 | 7、92、16 |
12 | ローマ 8・34 「 恵みによる支配 」 | 3 | 1、114、16 |
19 | ヘブライ 9・27~28 「 主よ、来てください 」 | 10 | 14、89、16 |
26 | Ⅰコリント 12・3 「 私たちと共にいてくださる聖霊 」 | 12 | 9、94、16 |
明解カテキズム 第14章 使徒信条
- 問36
- 「天に昇り」とは、どういうことですか。
- 答
- 復活されたイエスさまは、父なる神のおられる天に昇られました。それゆえ、今わたしたちは、直接手で触れたり、目で見たりはできませんが、イエスさまは天から聖霊を注ぎ、わたしたちの信仰を導いてくださいます。
- 天とはどこにありますか。宇宙の彼方でしょうか。
使徒言行録1章が記すように、復活されたイエスさまは、使徒たちが見ている前で天に上げられました。イエスさまが行かれたところは、神さまの右の座、すなわち神さまとまったく等しいところでした。天とは、宇宙の果て、銀河の彼方というようなわたしたちの想像する空間ではなくて、父なる神さまと復活されたイエスさまが共におられるところです。
今わたしたちはイエスさまのことを直接見たり、手で触れたりすることはできません。しかし、聖霊の働きによって、神さまの言葉を通して、生きたイエスさまと出会うことができます。
天におられるイエスさまは、弁護者としての聖霊をわたしたちのもとに遣わされました。それによって、わたしたちは本当の救い主を知らされ、イエスさまこそ主であり救い主であるとの信仰を告白し続けることができます。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より
3月
主題「使徒信条」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
4 | マタイ 16・13~20 「 教会を信じよう 」 | 11 | 4、105、16 |
11 | Ⅰヨハネ 1・1~4 「 イエスさまに結ばれる喜び 」 | 10 | 2、82、16 |
18 | イザヤ書 53・1~12 「 苦難を受ける救い主 」 | 7 | 10、130、16 |
25 | ヨハネ 11・25~37 「 イエスさまは命の道 」 | 3 | 11、83、16 |
明解カテキズム 第14章 使徒信条
- 問41
- 「聖徒の交わり」とは何ですか。
- 答
- わたしたちが、イエスさまに結ばれて、神さまから与えられた賜物をお互いに分け合うことです。
- 聖徒とはだれのことですか。
- このような交わりはどこに生まれますか。
わたしたちがイエスさまを救い主と信じるということは、イエスさまの生命に結ばれて、イエスさまのうちに生きることです。イエスさまにつながっていると、自分が弱くても、貧しくても、ぶどうの実がぶどうの木に連なっているように、その生命をいただけるのです。
「聖徒の交わり」とは、神さまによって教会に集められたわたしたちが、神の御子イエス・キリストと交わりを持っているとともに、その一人一人が教会の中で主にある相互の交わりをなしていることを意味します。
わたしたちも、教会に通って信仰を言い表し、洗礼を受けたなら、神さまの恵みと選びゆえに「聖徒」と呼ばれます。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より