2007年度の月報です。
※下線の付いたさんびかは「改訂版こどもさんびか」です。
4月
主題「使徒信条 (5)」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
1 | ヨハネ 19・28~30 「 十字架ってなんだろう? 」 | 6 | 2、85、16 |
8 | イースター礼拝 ルカ 24・1~12「 復活したイエスさま 」 | 7 | 4、91、16 |
15 | マタイ 10・26~31 「 知られる喜び 」 | 8 | 10、58、16 |
22 | 創世記 2・7~8, 21~25 「 生命をお与えになる神さま 」 | 4 | 5、58、16 |
29 | ヨハネ 1・14~18 「 神さまを知る 」 | 11 | 6、58、16 |
8日 イースター(復活日)、進級式
明解カテキズム 第14章 使徒信条
(11) 三日目に死人のうちよりよみがえり
- 問35
- 「三日目に死人のうちよりよみがえり」の意味を説明してください。
- 答
- お墓に納められたイエス様は、約束通り、三日目、すなわち日曜日の朝復活されました。 それによって、イエスさまがまことに神の子であられたことがすべての人に明らかになりました。
- 死んだ人間が復活するなど到底信じられません。キリスト教信仰を持つために、この部分を省いてよいでしょうか。
- 主の復活の場面は、新約聖書にはどのように描かれていますか。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より
5月
主題「聖書」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
6 | ヨハネ 5・36~40 「 聖書を手にとって読みなさい 」 | 9 | 13、47、16 |
13 | 出エジプト記 19・1~6 「 神さまのみ声を聞く 」 | 11 | 14、47、16 |
20 | 創世記 1・31~2・4 「 神さまに造られた私たち 」 | 10 | 1、112、16 |
27 | ペンテコステ礼拝 Ⅱテサロニケ 2・13~17「 もえろよ、もえろよ、主の弟子たちよ 」 | 12 | 3、93、16 |
明解カテキズム 第2章 聖書
- 問5
- わたしたちは、聖書の言葉をどこで聴くことができますか。
- 答
- 教会の礼拝においてです。礼拝で聖書が読まれ、説教がなされるとき、生ける神さまと主イエス・キリストがはっきり示されます。
- 聖書はだれが書いたのですか。
- 聖書が難しいと感じるとき、どうしたらよいのでしょうか。
聖書は、教会の礼拝において、説教されることによって神さまの言葉になります。聖書の言葉の説教は、今も生きて働いておられる復活の主イエス・キリストをはっきりと指し示します。 今から二千年前、しかも日本とは隔たった古代のイスラエルに生きたイエスさまが、わたしたちの教会の礼拝に臨んでくださり、わたしたちを愛し、罪を赦し、慰め励ましてくださいます。
復活の主イエス・キリストは、目には見えませんが、聖書の言葉を聴くことによって、はっきりとここにおられることを知ることができます。目をつぶって耳を澄ましてみましょう。日曜学校の先生やお友達がそこにいるのが分かるでしょう。笑い声や息づかい、話し声が聞こえてきます。 聖書もまた、主イエスご自身の言葉と主について語られた言葉を通して、よみがえられたイエスさまが、わたしたちの真ん中に折られることを示します。聖書を読むと、そこに神さまの霊とともに、その霊によって生きた人々も息づかいを感じることができます。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より
6月
主題「創造」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
3 | 創世記 4・1~16 「 聞いていますか、神さまの声 」 | 13 | 2、15、16 |
10 | ヨハネ 21・15~19 「 赦されて、もう一度従う 」 | 15 | 4、53、16 |
17 | マタイ 27・45~56 「 神さまの愛 」 | 16 | 5、83、16 |
24 | マタイ 17・1~8 「 神さまからの決定的な宣言 」 | 14 | 6、130、16 |
明解カテキズム 第3章 創造
- 問6
- 聖書は、わたしたちの世界と人間についてどのように語っていますか。
- 答
- わたしたちとわたしたちの世界は、神様に善いものとして造られました。特に人間は、神の似姿(像、似たもの、かたどって)として造られました。
- 善いものとは、どういうことでしょうか。
- 神の似姿とは何でしょうか。
わたしたちの世界は、神様によって造られました。しかも、神さまは造られたすべてのものを見て「良しとされました」。世界が善いものとして創造されたとは、神さまがいつも世界とそこに生きるすべてのものを「みこころにとめてくださる」ということです。神さまは、わたしたちの世界を愛し、神さまのご計画の内に導いてくださいます。
わたしたち人間もまた、神さまによって造られました。神さまの「似姿(にすがた・かたち)」に創造されました。神さまのかたちに人間が造られたとは、わたしたちが神さまに向き合い、神さまの呼びかけに応えることができるということです。 サムエルは神さまの呼びかけに、「どうぞお話ください。僕は聞いております」とすぐに応えました。神さまがわたしたちに呼びかけてくださるのは、神さまがわたしたちを愛しているからです。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より
7月
主題「創造」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
1 | マタイ 21・1~11 「 あなたのろばにしてください 」 | 17 | 7、82、16 |
8 | マルコ 6・45~52 「 主イエスが一緒にいてくださる 」 | 1 | 8、54、16 |
15 | マタイ 6・9~13 「 イエスさまが共にいて 」 | 3 | 10、19、16 |
22 | マタイ 16・13~20 「 本当の家族に会えるところ 」 | 2 | 9、53、16 |
29 | ヨナ書 1・1~7 「 ヨナの逃亡 」 | 4 | 11、119、16 |
明解カテキズム 第3章 創造
- 問7
- 人間は、そのような善いものとして生きていますか。
- 答
- いいえ、私たちは、神さまによって創造されたにもかかわらず、神さまから離れ、神さまのことを忘れ、神さまに背いて、堕落したと聖書は記しています。
- 堕落したとは、どういうことでしょうか。
- 私たちが、神さまに背いていたなら、私たちは神さまから罰を受けるほかはないでしょうか。
神さまによって最初に造られた人間たち、すなわちアダムとエバは、食べてはいけないと命じられた園の中央の木の実を取って食べてしまいました。神さまのご命令に背き、してはいけないことをしてしまうこと、そしてそのような自分の心が歪んだままであること、すなわち人間が堕落したことを罪と呼びます。 創世記は、アダムとエバが神さまから身を隠し、神さまとの関係を断ち切っていく様子を描いています。神さまから離れていく人間のあり方、またそのようなあり方を正当化し、取り繕うところに、私たち人間の本性がひそんでいます。
堕落するとは、単に殺人や不道徳を行うことではなくて、人間の罪の背後に、神さまとの関係の破れがあるということです。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より
8月
主題「イエス・キリストとその生涯」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
5 | ルカ 5・27~32 「 教会に招かれた私たち 」 | 6 | 13、119、16 |
12 | ローマ 1・1~7 「 イエス・キリストのものとなる 」 | 5 | 14、20、16 |
19 | マタイ 18・18~20 「 わたしもその中にいる 」 | 8 | 1、105、16 |
26 | Ⅰコリント 12・27~31 「 私たちはキリストの体 」 | 7 | 3、60、16 |
明解カテキズム 第3章 イエス・キリストとその生涯
- 問9
- 神さまの愛は、どのようにして明らかになったのですか。
- 答
- それは、主イエス・キリストのご生涯を通してです。 つまり、イエスさまは、私たちの背きと罪の赦しのためにこの世に来られ、十字架にかかって死なれ、私たちに新しい生命を与えられるために復活されたことです。
- 主イエス・キリストのご生涯の始まりを説明してください。
- 主イエスは、どのようにして十字架につけられ、息を引き取られたのでしょうか。
神さまの愛は、神さまが私たちにくださった最高のプレゼントであるイエスさまのご生涯によって明らかにされました。主イエス・キリストは、インマヌエル(「神は私たちと共におられる」)という名を持って、神さまのみもとからこの世界に遣わされた神さまの独り子です。
主イエス・キリストのご生涯は、新約聖書の福音書が書き記しています。イエスさまは、ユダヤのベツレヘムの家畜小屋でおとめマリアから生まれました。クリスマスは、神の御子イエス・キリストの誕生をお祝いする喜ばしい日です。
イエスさまは、ガリラヤのナザレという町で育ち、30歳ほどになって、人々に神の国が近づいたことを宣べ伝え始めます。病人を癒し、悪例を追い出し、たくさんのたとえ話で、神の国の到来を説明しました。 しかし、やがて、ユダヤ人の指導者や律法学者たちから嫌われ、自分のことを救い主(メシア)と語っているという事実をとがめられ、逮捕されます。それだけでなく、愛する弟子の一人ユダの裏切りにあい、すべての人に見捨てられ、当時のローマ総督ポンテオ・ピラトの下で十字架につけられ、両手と両足を釘で打たれ、わき腹を槍で突かれて、苦しみの極みの中で息を引き取られました。 そのとき、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂けたと記されています。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より
9月
主題「イエスの奇跡と権威」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
2 | ヨハネ 6・36~40 「 命のパン 」 | 10 | 2、6、16 |
9 | エフェソ 5・15~20 「 光の子として歩む 」 | 9 | 4、121、16 |
16 | 詩編 100・1~5 「 喜びの叫び 」 | 11 | 5、105、16 |
23 | 創世記 15・1~6 「 神さまを信じたアブラム 」 | 12 | 7、44、16 |
30 | ルカ 11・9~13 「 神さまへの信頼 」 | 13 | 6、123、16 |
明解カテキズム 第6章 イエスの奇跡と権威
- 問10
- 地上に生きたイエスさまはただの人間だったのでしょうか。
- 答
- いいえ、違います。イエスさまは、まことの人であると同時に、まことの神である方です。
- イエスさまは、半分人で半分神だったのですか。
- イエスさまは神なのにどうして死んでしまわれたのですか。
地上に生きられたイエスさまは、わたしたちとまったく同じ体を持ち、飢え渇いたり、悩んだり、悲しんで涙を流されるような一人の人間でした。「言(ことば)は肉となった」とは、まことの言であるイエスさまが、私たちとまったく同じ肉体をとって人となられたことを意味しています。
しかし、イエスさまは単なる人間であったのではなく、まことの人であり、同時にまことの神であられました。イエスさまが、半分人であり、半分神であったと考えることは間違っています。
イエスさまが、神であるのに人間として死なれたのは、偶然の出来事でもご計画の失敗でもありません。イエスさまは、ご自分のすべての生涯と生命をささげることによって、私たち人間を救おうとされたのです。イエスさまの十字架の出来事が私たちの救いのためであったことを信じる者は、神さまの憐れみと恵みのうちに生きることができます。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より
10月
主題「イエスの奇跡と権威」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
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7 | 出エジプト記 32・1~14 「 赦されて、信頼に生きる 」 | 6 | 8、122、16 |
14 | Ⅰヨハネ 4・9~10 「 神様からのプレゼント 」 | 5 | 9、49、16 |
21 | マルコ 12・28~34 「 一番大切なもの 」 | 8 | 11、97、16 |
28 | 創世記 17・1~8 「 必ず約束を守る神さま 」 | 7 | 10、44、16 |
明解カテキズム 第6章 イエスの奇跡と権威
- 問11
- イエスさまの地上での働きはどのようなものでしたか。
- 答
- イエスさまは、預言者、祭司、王として働かれました。
- 預言者とは何ですか。
- 祭司とは何ですか。
- 王とは何ですか。
イエスさまは、旧約聖書に出てくる預言者、祭司、王のつとめを地上の生涯の中で果たされました。預言者とは、天の父なる神さまの言葉をとりついで、それを人々に語るつとめを担います。私たちの教会では、牧師もまた預言者と同じ働きをしています。
イエスさまは、ユダヤ人の会堂に入って、しばしば人々を教えられました。権威あるものとして旧約聖書の教えを宣べ伝えました。それは、汚れた霊をも従わせる力に溢れた言葉でした。 しかし預言者は、神の言を語り伝えるために、神さま以外のものを神として拝んでいるところでは、敬われるどころか嫌われ、遠ざけられることもあります。イエスさまはまことの預言者であられたゆえに世界から迫害され、見捨てられ、十字架にかけられたのです。
旧約の祭司は、聖所や神殿で犠牲の供え物をささげ、人々のために執り成し祈るつとめを担います。しかし、どれほど偉くすぐれた祭司でも、自分もまた神さまに背き、罪を犯すことがありますから、自分の罪を赦していただくために犠牲をささげる必要があったのです。
しかし、まことの祭司であるイエスさまは、罪とはまったく無縁な方でしたので、自分のために犠牲をささげる必要は無かったのです。イエスさまは、ご自分を十字架上で犠牲としてささげることによって、ただ一度の罪の赦しを行ってくださいました。 まことの大祭司としてのイエスさまの犠牲によって、私たち人間の罪はすべて赦され、私たちはもはや犠牲をささげるというような儀式を続ける必要はなくなりました。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より
11月
主題「イエスの教え」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
4 | マタイ 6・6~9 「 天におられる私たちの父 」 | 9 | 12、19、16 |
11 | 子どもと大人の合同礼拝 マタイ 3・13~17「 私たちの主イエス・キリスト 」 | 詩編 | 讃美歌21 27、200、280、484、28 |
18 | Ⅰヨハネ 5・20 「 イエスさまはどんなお方? 」 | 12 | 13、124、16 |
25 | 出エジプト 20・1~6 「 あなたを見つめるまなざし 」 | 11 | 1、123、16 |
※11日 子どもと大人の合同礼拝 分級 9:00~、礼拝 10:30~
明解カテキズム 第7章 イエスの教え
- 問13
- イエスさまはどのようなことをおしえられましたか。
- 答
- 神さまを信じることの幸いと、神と人を愛して生きる道を教えてくださいました。
- 主の祈りを祈ってみましょう。
- イエスさまの教えの言葉は、聖書のどこに書かれていますか。
イエスさまは地上のご生涯の間に、神様を信じることの幸いをまず教えてくださいました。最も大切な戒めは、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」という申命記6章5節の言葉であると、イエスさまご自身が人々に教えられました。 なぜなら、神様を愛し、信じることは、私たちが罪から救われ、神さまと共に歩む幸いを与えてくれるからです。
神さまと共に生きる幸いは、心の貧しい人にも、悲しんでいる人にも等しく与えられます。信じる人すべてに約束された幸いなのです。そして私たちが、神を愛し、神を信じるとき、私たちはもうすでに悲しみや貧しさに支配されるのではなくて、神さまのご支配の中を歩むことが許されています。 神さまのご支配とは、天の国、神の国が到来しているということです。イエスさまは、ガリラヤ伝道の最初に、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1章15節)と宣べ伝えられました。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より
12月
主題「教会の信仰」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
2 | イザヤ 9・5~6 「 神さまからのプレゼント 」 | 6 | 2、63、16 |
9 | ルカ 2・1~7 「 ベツレヘムの馬小屋で 」 | 10 | 4、69、16 |
16 | マタイ 1・18~25 「 神さまがわたしたちとともにおられる 」 | 11 | 3、64、16 |
23 | ルカ 2・8~20 「 神様に選ばれた羊飼い 」 | 9 | 5、67、16 |
30 | マルコ 15・6~15 「 ピラトによるイエスさまの裁判 」 | 17 | 6、73、16 |
23日 クリスマス礼拝 9:00~、クリスマス会 15:30~
明解カテキズム 第8章 教会の信仰
- 問14
- そのイエスさまを信じ、その教えに従っている人々はだれですか。
- 答
- イエスさまに呼び集められた教会の人々です。
- イエスさまの弟子と教会の人々の信仰に違いはありますか。
- イエスさまを信じる人たちは、なぜ教会に集められたのですか。
- 教会に行かなくても、イエスさまを信じることができますか。
教会は、イエスさまを救い主と信じ、その信仰に基づいて洗礼を授かり、イエスさまの教えに従って生活している人々の群れです。使徒言行録2章に記されているように、神さまの霊の働きによってこの約束が実現し、目に見える教会が生み出されました。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より
1月
主題「神を知る」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
6 | マタイ 27・32~44 「 イエスさまの苦しみを見て 」 | 12 | 7、83、16 |
13 | ヨハネ 19・38~42 「 神さまの贈り物 」 | 14 | 8、79、16 |
20 | ヨハネ 11・17~27 「 神の子、メシアです 」 | 13 | 9、87、16 |
27 | ルカ 24・44~53 「 イエスさまは天に上げられました 」 | 15 | 10、92、16 |
明解カテキズム 第1章 神を知る
- 問2
- なぜ神さまを知ることが最も大切なのですか。
- 答
- 私たちの生命は、神さまによって与えられたものだからです。
生命の源を知ることによって、私たちの生命がどのようなものであるかが分かります。
- 生命は、自分の力で生まれたり、成長したりするのではないのですか。
- 私の生命は、父母から与えられたものではないのですか。
神さまは、私たちの世界のすべてをお創りになりました。そして私たち人間を男と女に創造されました。私たちの生命の源は神さまです。創世記2章7節には、かみさまが「土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」と書かれています。
ここまで聞いて、私にはどうも承服できないと感じる人もいるでしょう。なぜなら、私たちが学校で教わるのは、人間や動物は下等な生物から進化して、現在のかたちになったということだからです。アダムやエバの物語も、作り話ではないか、物語としてなら興味はあるけれど、にわかには信じがたいと思うでしょう。
でも、そこからさらに一歩進んで考えてみてください。人間が進化して今の姿になったと考えても構いません。でも、「彼女」でも「彼」でもなく、私が「私」になった理由は何でしょうか。なぜ、私はあの人ではなく「私」なのでしょうか。聖書は、この「なぜ」という問に答えようとしています。「どのように」人間が人間になったかではなく、なぜ、「私」が「私」なのかという問なのです。
なぜ、「私」が「私」なのか。それは神さまが、名を持つ「私」という、かけがいのない生命を創造してくださったからです。確かに、私たちは父と母の子として生まれます。母のお腹に生命の鼓動が鳴り始めたとき、そのことを計画し、やがてその生命を育み成長させてくださるのは、神さまであると聖書は教えています。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より
2月
主題「神を知る」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
3 | 使徒言行録 2・33~35 「 離れているのに、愛してくださるイエスさま 」 | 16 | 11、92、16 |
10 | ヘブライ 9・24~28 「 再び来られるイエスさま 」 | 18 | 12、135、16 |
17 | ヨハネ 15・26 「 聖霊なる神さまとイエスさま 」 | 17 | 1、95、16 |
24 | エフェソ 1・3~10 「 選ばれた者の群れ・教会 」 | 1 | 2、107、16 |
明解カテキズム 第1章 神を知る
- 問3
- どうしたら神さまを知ることができますか。
- 答
- 神さまは目に見えない方ですが、イエスさまを通して神さまを知ることができます。神さまは、ご自分の御子イエス・キリストを私たちに与えてくださいました。 私たちはこの御子イエス・キリストによって神さまを知ることができます。
- 神さまが、イエスさまを私たちにくださったというのは、どういうことですか。
- なぜイエスさまを通してでなければ、神さまを知ることができないのですか。
どこに行ったら神様に出会えますか。神さまはどこにおられるのでしょうか。神さまは目に見えない方ですから、お友達に会うように出会うことはできません。でも、神さまは私たちのために、神様に出会う道を教えてくださいました。それは、イエスさまという「真理の道」を通っていけばよいのです。
それでは、その道はどこから始まっているのですか。私の家から遠いのでしょうか。あそこの角を曲がったら次にどのように行けばよいのでしょうか。
早くその道にたどり着きたい気持ちはよく。分かりますでも、神さまに出会う道は、玄関を出て、右に曲がって、さらに直進して……というふうにしてたどりつける道ではありません。神さまに出会う道は聖書の中にあります。目に見えない神さまですから、聖書が記す神さまの言葉を通して、私たちは神さまのもとへ導かれます。 ちょうど飼い葉桶に寝かされている赤ん坊のイエスさまのように、聖書の中に神さまの独り子がおられるのです。この「しるし」を通して、神さまは、私たちが天の神さまに出会う道すじを示してくださったのです。
聖書の中に示された神さまの子を通して神に至る道を見つけ出した人は幸いです。その道は、永遠の生命に至る道です。その道をたどる人は、一人も滅びることなく、神さまの救いへと入れられます。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より
3月
主題「イエス・キリストとその生涯」
日 | 聖書と説教 | 交読文 | さんびか |
---|---|---|---|
2 | Ⅱコリント 13・11~13 「 イエスさまが一番 」 | 3 | 3、82、16 |
9 | Ⅱコリント 5・19~21 「 神さまとの仲直り 」 | 2 | 4、83、16 |
16 | ルカ 22・47~53 「 イエスさまの受難 」 | 5 | 5、84、16 |
23 | イースター礼拝 ヨハネ 20・11~23「 よみがえられたイエスさま 」 | 7 | 6、88、16 |
30 | Ⅰコリント 15・50~55 「 よみがえりの日 」 | 8 | 7、89、16 |
23日 イースター合同礼拝 分級 9:00~、礼拝 10:30~
明解カテキズム 第5章 イエス・キリストとその生涯
- 問9
- 神さまの愛は、どのようにして明らかになったのですか。
- 答
- それは、主イエス・キリストのご生涯を通してです。つまり、イエスさまは、私たちの背きと罪の赦しのためにこの世に来られ、十字架にかかって死なれ、私たちに新しい生命を与えられるために復活されたことです。
- 主イエス・キリストのご生涯の始まりを説明してください。
- 主イエスは、どのようにして十字架につけられ、息を引き取られたのでしょうか。
主イエス・キリストの十字架の上での苦しみと死は、地上の生涯を送られたイエスさまが徹底してご自分を低くされ、僕のように、人々に仕えてくださったことを示しています。イエスさまは進んで人間の救いのために試練を受けてくださいました。同時に、ご自分の生命さえも差し出して、父なる神さまの裁きと怒りが私たち人間に及ばないようにしてくださった深い愛の出来事です。 この出来事は、イエスさまの愛の決断であるとともに、天の父なる神さまの救いのご計画でもありました。神さまは、ご自分の独り子を遣わして、それによってわたしたちが生きるようにしてくださったのです。
イエスさまの誕生、そして十字架と復活の出来事は、神さまの愛そのものであると言うことができます。
「子どもと共に学ぶ明解カテキズム」より