◆入試とビジネスというすり替え〜国語力の問題2〜 2004.1.15
   

 国語力の問題について、少しばかり追記しておこうと思う。
 Mainichi INTERACTIVEが、「携帯電話の設問に業界から疑問の声」と題して2003年センター試験物理1Aの問10をめぐる問題を記事にしている。内容は、(最初にモバイルカメラ付き携帯端末を開発した)J−PHONE側の指摘を交えながら、大学入試センターが出した答えに対して間接的に批判するというものだ。《入試の物理の問題だから、純粋に技術的な観点からみるべきか、それとも実際のビジネスを想定した解答も正解にすべきか。問題作成者の意図によって異なってくるが、「問題の設定そのものが分かりにくい」との声も業界関係者からは出ており、受験生にとっては悪問だったと言えそうだ》と記事は締めくくっている。「入試では答えが一つでも、現実のビジネス世界では複数正解のあることが背景にありそうだ」という冒頭近くの文章に窺えるように、入試での答えとビジネスでの答えの違いを浮き彫りにしようという狙いのようだが、言葉の詐欺のように思える。それは、記事のなかで2つのすり替えが行なわれているからだ。
 第1のすり替えは、携帯電話の専門家によるものである。
 若干紛らわしい部分はあるが、問題文を読めば理解できるように、問10は「画像情報もやりとりできるために必要な技術」を答えさせる問題である。ところが、専門家は「モバイルカメラ付き携帯端末の開発にあたって欠かせなかった技術」を答えさせる問題にすり替えている。
 第2のすり替えは、記者によるものだ。
 大学入試センター側の答えと専門家の答えが違っているのは、単純に、正しく問題文を読んでいるか、誤読しているかの問題である。もう少し言うなら、設問を読んでいるか、違う設問にすり替えているかという問題である。ところが記者は、「純粋に技術的な観点からみるべきか」「それとも実際のビジネスを想定した解答も正確にすべきか」と、入試とビジネスとの問題にすり替えている。
 第1の、専門家によるすり替えについてはとやかく言うまい。自分たちの方が携帯電話をわかっているという思い込みもなく、まともな国語力を持っていればニュースになる価値もない馬鹿馬鹿しい話だ。
 だが、第2の、記者によるすり替えはどうか。大学入試センターが主張する答えが「正しく問題の意図を読み取った」場合に得られる答えだとするなら、専門家が主張する答えは「勝手に問題を書き直し、自分で想定した」問題に対する答えなのだ。間違っているのは専門家の方なのである。なのに、携帯電話の専門家よりも言葉については専門家であるはずの記者が、こんなすり替えを、詐欺のようなまねをやってもいいものなのか。
 この記事がやっているのは、料理の話でいえばこういうことである。
 「玉子焼きをつくる上で一番大切なことは?」という設問があったとする。それに対して、「料理をつくる上で一番大切なことは心」として、心が正解と専門家が主張した。記者は、試験という場と、実践という場は違いがあるようだ、と締めくくった──。
 善良な人ならば、馬鹿も休み休み言えと言うだろう。「すり替え」に対して、さらに「すり替え」を行なうのかと。試験と実践という違い以前に、勝手に読み違えているだけ、専門家が誤読してすり替えているだけだろう、と。
 今回にしても同じだ。問題は、「純粋に技術的な観点からみるべきか」「それとも実際のビジネスを想定した解答も正確にすべきか」という比較ではない。「入試では答えが一つでも、現実のビジネス世界では複数正解のあること」なども背景にありはしない。「正しく問題の意図を読み取った答えを正解とするべきか」「勝手に自分で想定した問題の答えを正解とすべきか」という、馬鹿馬鹿しい問題なのだ。にもかかわらず、その馬鹿馬鹿しさを指摘できないどころか、容認して別の問題にすり替えるへたれっぷり。記者にも国語力はあるのか。いな、それ以前に言葉のプロとしての自覚があるのかどうか。言葉の暴力ならぬ、言葉の詐欺と言われても仕方あるまい。なんとも情けない始末である。

  本来、専門家の批判は、批判ではなく注釈であるべきだった。「問題の答えはあれで合ってるんだけどね、モバイルカメラ付き携帯電話を開発していく上では、ヒットということを考えると、本体を小型化・軽量化する技術が欠かせなかったんだ」。そういう豆知識的コメントであれば、なんら問題はなかった。それを飛び越えて、設問を曲解したところに彼らの問題──国語力の問題──がある。

タイトル一覧に戻る
トップページに戻る