7月。和泉は声優デビューしました。
といっても、ただ雑魚キャラ2人をやっただけ、それで生きていくわけではありません(笑)。初めて声優さんのする仕事をしたよ、というだけのことです。
でも、分厚いガラスと防音壁に閉ざされたブースの中に入って机に座り、マイクを前に声を出すという体験は、知的興味を喚起されるものでした。それで自分なりに気がついたことがチラホラあります。
1つ目。絶叫する技術。
声優さんは喉が強いです。和泉なんかは、絶叫を4、5回繰り返すと潰れてしまいます。喉がガラガラ、イガイガしてきちゃいます。でも、声優さんは、おいしい絶叫シーンを10回こなしたところで潰れやしません。自然に声が出ると潰れないそうですが……。
2つ目。不安をやり過ごす技術。
ブースの中にいると、不安なんです。
なぜか?
ブースの中は自分一人です。机があって、マイクがあって、キューランプ(しゃべっていいときになると赤いランプが点く)があって、あとは防音壁と分厚いガラスだけ。まるで自分しかいない潜水艦に閉じ込められているよう。いえ、もっと言えば宇宙船の船外活動をしている感じです。
ブースの中からは、決してスタッフの声を聞くことは出来ません。ディレクターがトークバックのボタンを押していない限りは、分厚いガラスに遮られて、笑い声も話し声も一切聞こえてきません。ですから、しゃべり終わって、「少々お待ちください」とディレクターさんに言われてからは無音。スタッフが何やらひそひそ話していても、笑っていてもなんのことだかわからない。
わからないと人間不安になるもので、何かまずかったのだろうか、おれのことを笑っているのだろうかと被害妄想、疑心暗鬼になってきます。慣れている声優さんは、椅子に寄っ掛かってぼ〜〜っとしていましたが、新人さんはずっと台詞を読んでいました。和泉はブースのなかで「何をしゃべってるんや」と騒いでいました(笑)。
ピン取りのときは待っている間にいかにリラックスするか。それもまた声優さんのひとつの技術なのでしょう。
3つ目。リップノイズを立てない技術。
リップノイズというのがあります。口を開いたときに舌が離れる拍子に鳴る音、唇が離れるときに鳴る音のことです。
これが100%鳴ってしまう人は、プロの声優としてやっていけない。
まだプロに成り立ての人の場合、リップノイズが増えてしまいます。そのため、収録の時間も倍増してしまう。でも、ベテランの人になると、凄く少なくなってきます。
4つ目。自分の声を愛すること。
自分の声は恥ずかしいです。後で聞いてみると、赤面ものです。ああ、どこをどう聞こうがおれの声だ……と耳まで赤くなる。それを自分が知っている人も聞いているんですから、さらに赤くなる。
でも、プロの声優さんは自分の声を愛しています。恥ずかしいことなんてないそうです。確かに、自分の文章が恥ずかしいのにプロの物書きなんか出来ないですね。
久美沙織さんは、自分の作品を愛せることも作家の資格だ、と発言されていますが、作品を声と読み変えても同じ。
自分の声を愛せることもまた、声優になれるひとつの資質なのでしょう。
5つ目。笑う技術。
笑うことは凄い難しいです。「わはははは」「ふっふっふっ」「うへへ」。
あなたはどれくらいの笑いを演じられますか。おまけに、そこに「悲しみ」「よろこび」などといった感情を付け加えられますか?
声優さんの表現手段は、声だけです。文字しかない物書きと凄く似ています。
それゆえに、声ひとつで感情や性格を出し切る技術をいっぱい持っています。同じ「うん」という台詞ひとつにしても、いろんなニュアンスがあります。それを演じ分けるのが声優さんなのです。
ベテランの方になると、こちらさえ読み切っていなかったニュアンスを読み切って、自分でリテイクを入れてやり直したりするので驚かされます。まさにプロです。
6つ目。声でキャラクターを立てる技術。
役を演じ分けるのは難しいです。
仮に、キザな野郎と下品な野郎を演じてみることにしましょう。普通にやると、同じ声になってしまいます。
さて、問題です。
どんなふうに自分の声を立てれば別のキャラクターになるんでしょう。悲しいことに、我々はその技術を知りません。でも、声優さんはちゃんと持っています。
「もう少しあほにしてください」とお願いすると、ちゃんと少しあほが入ってきます。我々にはとてもそんな真似はできない。声優さんが声優さんである所以です。
7つ目。表情を声に乗せる技術。
声優さんは表情変化が豊かです。表現手段が声しかないので、身振りや顔は伝わらないのですが、かといってただ座ったままでは声に表情が乗っていかないんですね。
倒れるときは倒れたしぐさ、アホなことを言うときには精一杯アホな顔をしてこそ、声に表情が乗るのです。和泉も思い切り馬鹿な顔をしてひとつ台詞をやりました。
知人には決して見せられない馬鹿顔です。
でも、そうやって自分を捨て去ることが声優というお仕事には必要のような気がします。
声で役を演じることが演技することだとすると、演技するとは、自分を捨てることです。
人は誰も、こう見られたいというイメージを持っています。でも、そのイメージを捨てられない人、つまり、「自分を捨てられない人」は、声優さんには向かない人なのでしょう。自分を捨てられない人の場合、どう録っても「自分を捨てきらない」部分が絶対声に出てしまいます。結果、中途半端になってしまうのです。