◆人間を知らないアニメ 2000.4.17

 『サクラ大戦』のアニメを見た。
 TV放映第二話。
 オープニング、よろしい。歌はよろしい。作詞もよろしい。

 つまり、外っ面はよろしいってこと。
 で、中身は?

 ふふふ、吠えましたぜ。
 いやあ、見てるのつらかった。一人じゃなきゃ1分で切ってるね。
 
 お話は、傷心したさくらがふらふらと歩いているところから始まる。父親らしき姿を見つけて追いかけていくさくら。
 でも、父の姿はない。
 町で知り合った子供の家に泊めてもらうことになるが、ひとりきりになった彼女は、なんと突然そこのおかみさんに泣きついてしまう。

 おれはひっくり返ったよ。いや、ひっくり返って見ていたので悶絶した。
 呻きましたよ。
 なんでって?

 あのね。
 BGM流して、キャラクターの顔をゆがめてわ〜〜って泣かせりゃお涙ちょうだいできるってわけじゃないのよ。

 よ〜く考えてみよう。
 さくらが泣きついた相手って、ぜ〜んぜん知らない人だよ。
 その日初めて会ったんだよ。
 そんな人に、優しく声をかけられただけでわ〜〜って泣く? 泣かないでしょ?
 泣くためには、相当の理由が必要なんだよ。
 ただ、きれいな絵見せて、傷心しているさくらの横顔描いて、声優さんに優しい台詞を言わせたって、全然理由にならないんだよ。それじゃあ完璧説明不足でしょうが。

 安易なプレイバックにも腹が立つ。
 父親との昔の思い出。
 ただ流しゃあいいってもんじゃない。なんで紋切り型のシーンとキャラしか考えられないのかね。
 脚本見たら、打ち切りになったガンダムのシリーズ構成していた人だったんで、すげえ納得したけど。

 シナリオでドラマも作れず人も作れず、演出もできず。
 才能がないのに、なぜテロップに名前を流しているのか、はなはだ疑問。己の浅学非才を恥じてせめて匿名にしてほしいもんです。

 絵はきれいです。
 でも、絵とBGMと声優さんの声だけでドラマを作ろうとしている。シナリオは不在。演出も不在。

 キャラクターという記号を動かそうとするからこうなっちゃうのでしょう。
 人間というとらえ方が出来ていないのです。
 さくらという女の子が泣くにはどういうきっかけが必要なのか。この子はどういう泣き方をする子なのか。そういう、さくらという一人の女の子の感情的構造に対しての洞察がまったく出来ていない。

 人間の感情がわからない人間にシナリオを書く資格はありません。
 今のアニメ業界に携わっている若手のシナリオライターには、そういう人が多いような気がします。

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