慧眼



 ケイガン、と読む。
 物事の本質を見抜く鋭い目のこと。「慧眼の持ち主」のように使う。ちなみに遠くまで見えることとは関係ない。むしろ洞察力に近い。WARP代表の飯野賢治や「日本の社会には異能者を吸い上げるシステムがない」と看破する経済学者の中谷厳教授は慧眼の持ち主である。
 反対語は、凡眼。「少年によるナイフ犯罪の原因は、ゲームのやりすぎでバーチャル・リアリティと現実の区別がつかなくなったからだ」などと指摘するのは明らかに凡眼。こんなことを言うのがある有名な大学の心理学の教授だというから、嘆かわしい限りである。この国にアカデミズムはない。あるのはバカデミズムの世界である。これから象牙の塔は、ゾルゲの塔と言いなおしたほうがいいかもしれない。
 なお、慧眼と似た言葉で炯眼がある。
 これは「眼光の鋭い目つき」のこと。目つきの悪いことではない。
 「炯眼人を射る」のように使う。ウンコ座りして睨むことではない。鋭い眼差しを当てることである。もちろん、炯眼はキューピッドではないので、射られた人間が恋に落ちるということはない。逆にびくつくことになる。
 ただ、谷崎潤一郎なども「炯眼」を「慧眼」の意味で使っており、二語の区別は曖昧になっている。


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