1.「歌」
「おとなの目を通した言葉なんて信じない。僕は僕の言葉でこの瞬間を歌いたい」
「パチ・パチ」(1984/6/30) 18歳 02/04/25
 第1回目のキーワードは、やはり「歌」について。当時の歌謡曲全盛時代には
やはり大人の作詞家による歌が流行っていた。そこに彗星のごとく登場した彼
の歌は、大人では感じる事のできない感性を持つ、いつまでも聴き継がれるも
のとなっていった。大人は子供を自分たちの都合のいいように操る術を知って
いる。彼のこの言葉は、そんな大人たちに対するメッセージなのかもしれない
な。子供には子供の世界があって、大人には見れない子供なりの視点がある。
その視点を一番脅威に感じてていたのは、実はその大人たち自身なのかもし
れない。
 
72.「歌いたくないこと」
 「う〜ん、そうだな、自分の気持ちを救うものじゃないものを、無理に歌いたくない
ってのはありますね。抽象的だけれど。単純なロックンロールだって、もしかして、
それがボクに必要であれば歌うかもしれない」
「GB」(1985/4月号) 19歳 04/05/29
 結局、彼は「自分がこうだと思ったこと以外は歌いたくない」ってことなんですよ
ね。そりゃあそうですよね。それ以外の部分っていうのは歌にするほど苦しんで
はいないってことなんだから。彼にとって「歌を作る」っていう作業はそれほど簡単
なことじゃなくて、自分の存在意義を見つけ出すための大切な作業だったんだと
思います。歌にするほどの価値があるかどうか・・・それが基準になってたのかも。
 
13.「歌う意味」
「友達に精神的な病気を持つ子がいてね。社会に対して目を向けられない、
ホントに悲しみを背負った子。ボクはそういう人たちに、人間が持てるようなタフ
さとか、人間をかきたてるような目、社会に対する目を持って欲しいと思うんで
す。心のなかにある決してかくしきれない寂しさみたいなもののためにボクは歌
っていきたい。決してボクの歌だけで救われるとは思わないけど、ただ、歌の中
で、ボクがある角度から見たキッカケになっていきたいと思う」
「パチ・パチ」(1985/6/9) 19歳 02/05/07
 実はこのコメント、自分自身に対しても言っている言葉なんじゃないかな、と
ボクは受け取れる。この後彼は自分を取り巻く環境にどんどん心を浸食され、
自分自身が社会に対して目を向けられなくなっていく。人が人を信じるっていう
行為って、今の世の中「クサイ」とか「ダサイ」とか言われるのかもしれないけど
「大切なもの」だからこそ、面倒くさがって後回しにするような傾向が、今の社会
の中に「病気」としてあるんじゃないかな。
 
5.「歌うこと」
「声質が岸田智史に似てるっていうんで、すごくウケたんです。それまで人となか
なかうちとけなかったのに。その時、ボクが歌を歌うことによってみんなに受け入れ
られる、歌うことで孤独や傷ついた心がなぐさめられていくことができるんだって。
そう考えていくうちに、音楽ってある種、人に与えるモノがあるんじゃないかって気
づいたんです」
「パチ・パチ」(1984/6/30) 18歳 02/04/29
 小学生の時の彼は、学校へ行くふりをしては、親が仕事でいなくなった家に戻り、
ギターを弾いていたそうです。なかなか友達と打ち解けなかった彼も、中学にあが
り、人前で弾き語りをすることによって、自分の存在意義を見い出します。ボクの
存在意義ってなんだろう?彼は「歌うこと」にそれを見出すことが出来た。ボクの
存在意義は・・・このHPを運営することぐらいかなあ(笑)。
 
15.「歌う理由」
「ボクが歌うのをやめられなかったっていうのは、やっぱり歌っている時にだけ
自分っていうものが理解された気がしたから」
「パチ・パチ」(1985/6/9) 19歳 02/05/09
 自分を”甘えることが欠落した人間”とした上で、彼はこう語ってる。自分を理解
してくれる人間っていうと、ボクの場合はやっぱり母親じゃないかと思うんですけど
彼は両親を中学の頃から他人視していたところがあったようです。かといって自分
は付き合いベタだから、友人ということもない。そうなると「歌うこと」というものが、
自分の存在価値を示してくれる唯一のものと彼は思ったようです。でもボクが思う
に彼の父親も母親もお兄さんも、彼を理解しようとしてくれていたんだと思う。
悪いけどこれは彼の独り善がりな意見だと思いますね。自分一人の力だけで人は
生きていくことなどできないのだから・・・。
 
80.「”歌”という選択」
 「自分で何かやりたいなと思ったとき、やっぱり最初に言葉があった。自分が何
かをやろうと思ったというより、何かしなきゃ、何かを言わなきゃって自分を追いつ
めてきた環境というものがあって。学校とかね。そこでまず最初にあったのは言葉
です。でもそれを伝えてったりするとき、言葉だけでは足りないと思った。言葉だ
けでは発表の”場”がないですけど、それが歌ならば”場”が自分のまわりにありま
した。そういう歌を商売にしようとしてるオーディションとかレコード会社があった」
「GB」(1986/1月号) 19歳 04/06/06
 自分が何かを誰かに発信しなければならない状況に追いこまれたということを
彼は語っています。でもそれを発表しなければ彼にとって意味がなかったんです
よね。発表しないですむのなら、日記でも書いてればいいわけだから。それを発
表することによって、今の状況を少しでも改善したいっていう思いがこれらの言葉
からあふれていたんだと思います。そして彼の”歌”は大衆の中に流れてゆくよう
になったのですが・・・。
 
46.「歌への怖さ」
 「誰か友達のことを題材にして歌を書くときにね・・・こういう優しさで包んであげたい
んだっていう風に伝えていくことで、歌としてクリアーできることなんだよ。ただ、それ
を何てのかな・・・あまりにも単純に歌ってしまうことの怖さみたいなものはあるんだ」
「パチ・パチ」(1987/10/9) 21歳 04/05/03
 彼は優しさをテーマにした曲をいざ歌おうとした時、いかにも優しさをウリにした
曲を書くことで、100%自分の思いを伝えられるかといえばそうでもない、という危
惧を抱いています。本当の優しさっていうのはハッピーな気分の時よりも、実は苦
しかったり悲しかったりした時に向けられる優しさの方がより伝わるっていうのを
彼はわかっていたんですね・・・っていうか、ボクがそういう風に聴くタイプだから
(笑)。簡単に歌ってしまうと、逆にその内容が陳腐なものになってしまう・・・この繊
細さも好きなんですよね。
 
12.「売れ線」
「日本では、わりと自分たちのやりたいことはこうだから、受け入れられなくても
オレたちはこれでいいんだ、みたいのがあるでしょ?売れ線で悩むなんて、そ
んなのカンケーねえぜ!っていうのがカッコいいみたいのがあるでしょ?でも
ホントはそうじゃないと思う。自分たちのスタイルをいかに伝えていくかとか、そう
いうことでもっと悩むべきだと思うんです」
「パチ・パチ」(1985/5/9) 19歳 02/05/06
 彼は欧米のブルース・スプリングスティーンにしろジャクソン・ブラウンにしろ、
強いメッセージ性を持つアーティストが受け入れられているのは、芸能界に左右
されない売れ線っていうのを持っているからだという。確かに多くの聴衆に聴か
せてこそ、その楽曲の持つメッセージというのは伝わるんだと思うな。例えば浜田
省吾や中島みゆきは全くといっていいほどテレビに出演しない。なのに今でも第
一線で活躍している理由は、やはり独自のライブスタイルや、アルバムのスタイ
ルが聴衆に受け入れられているからだと思う。彼は芸能界には左右されない、
独自の売れ線をこの頃から模索していたのかもしれないなあ。

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