123.「高校中退」

 「あまり深く考えていないというか、人生成り行きというか。ほかから見て大変なことも
当の本人から見れば、成り行きだとしか言えないことって多いと思うんです。学校を
辞めたということを、何かそこに特別な思想が生まれてくるんじゃないかとか言われて
も、そうかなと逆に僕自身考えちゃうというか(笑)」
「ロッキング・オン」(1984/8月号) 18歳 06/05/10
 この年齢にして、すごく自分を冷静に見つめてるなあって思いますよね。自分がど
んな状況に追い込まれたって、周囲が心配するほど当の本人はそれほど大変だと
感じちゃいないんだよっていうことなんだけど、それってすごくわかる。周りの人って
それを体験してるわけじゃないから余計大げさに感じるものだしね。第一、学校辞
めたぐらいのことで新しい思想が生まれるなんて・・・ね(笑)。ただ、彼が高校中退
したことで、社会からの彼のイメージの固定化に拍車をかけてしまったっていうのは
事実だし、正直残念なところですね。
 

33.「誤解(1)」

 「今までいいと思ってて、みんないいって言ってるんだけど、あるひとつのことで誰
かがイヤだって言い始めると、そういう人に限って”実はあたしもイヤだったのよ”っ
ていう。そういうのってすごい簡単だと思うわけ。それが解ってから、ボクはボクなん
だって気持ちがすごく強くなったんだ。迷いが少し消えた。以前は、誤解がイヤだっ
たから、すごく解りやすいことばで補ってた」
「パチ・パチ」(1985/11/9) 19歳 02/05/27
 ある文章ひとつをとっても、受け取る側の解釈によって、それはAにもBにもなるこ
とがある。それが伝える側に立つ人の難しいところだと思うんですけど、彼は「誰か
の言葉ひとつで、それは共感にも非難にも変わる」ことがわかってから、「自分は自
分」だから、どんな意味として相手に伝わったとしてもそれはそれでよしとしよう、と
吹っ切れます。こんな割り切り、ボクにもできたらなあ。
 

63.「誤解(2)」

 「僕だって友達と一緒にいる時はバカな話もするし、普通の人間だけど、誤解され
んのが嫌だから・・・。僕の歌と、そういう場所で言うことが食い違っていたら聞いた人
も戸惑うだろうし、僕が僕でなくなってしまうような気がする」
「GB」(1984/9月号) 18歳 04/05/20
 彼が出演したラジオで「歌う使命感」の話をしていたら、ファンから電話で「もっとや
わらかい話をしてください」と言われたそうです。それに対してのコメントなんですが
自分のイメージっていうものを大切にしたかったんでしょうね。っていうより大衆の場
で、いくらステージ上ではないからって歌とは反対のことや、クダけた話をしてしまっ
たら、それこそ自分の作った歌がウソになってしまうと考えたんでしょうね。自分をで
はなくて、歌たちに対しての敬意を払いたかったんだと思います。
 

66.「心の叫び」

 「誰が見てもドロップアウトしているように映るけれど夢はやっぱりある、というような。
そういう風に、生きること自体が素晴らしいという歌を歌っていきたい。それほどメッセ
ージとして歌っているわけじゃなくて、ただ。ほんとに心の中の叫びです。単純な意味
でのメッセージソングを作りたいって意味じゃないんですよ」
「GB」(1985/4月号) 19歳 04/05/23
 彼は最初からメッセージソングを作りたいっていうわけではなくて、自分が思った
ことを歌にして、それを聴いた人がおのおの考えてくれるような、そんな歌を作りた
かったんじゃないかな。「10代の代弁者」って言われていたけど、代弁していたので
はなくて、問題を投げかけていただけだったんだと、今では思えます。つまりは「オ
レはこうだけど、君はどうなの?」・・・その繰り返しだけだったんではないかと。
 

38.「心を開く」

 「ボクが曲を作り始めた時、心を閉ざしている世界から始めたわけでしょ。そして3枚
目を作ったときに、心を開くことが大切なんじゃないかと思い始めたんだ。心を閉ざし
ている人、すべてのことに対して自信のない、形のない人たちにとっては(「命と引き
かえに人を愛す」と言った彼自身の)ああいう言葉は危険なんだなって分かった」
「パチ・パチ」(1986/1/9) 20歳 04/04/25
 「命と引きかえにお前らを愛す」という、こういう表現を使うアーティストっていうのは
昔も今もどこを見まわしても他にはいませんよね。彼はこの表現を使ったことで、彼
がいっしょに前を向いて歩いて行こうと思っていた同世代のリスナーたちに寄りかか
られてしまった感じがします。きっとこの言葉に嘘はなかったし、ホントにみんなとい
っしょに何かを見つけたいと思っていたに違いないんですけど、寄り添われても、自
分が寄り添える相手を見失ってしまった・・・きっとそんな悲しさもあったのでは?
 
134.「骨折事件」
 「あのときは本当に高いと思った。やばいなと思ったんですよ(笑)。僕がステージ
に出たらお客さんが前に来たでしょ。あれでびっくりしちゃってね。きっとみんな、白
井貴子の前座で出たときと同じように座ってじっとしてて、こっちも『てめえら、聴いて
ねえな』って感じで演るんだろうと想像してた。ところが始まってみると、前に来てこぶ
しを振り上げている奴もいる。自分のなかでそういうことを用意してなかったから、お
客さんと自分の距離みたいなものを感じちゃって、それを埋めるためにはしゃぎ回っ
たってところがあるんです。だから、やっぱり我を忘れたんでしょうね。それに登って
下を見てみると、お客さんって、呼ぶんですよね、早く飛び降りろ!って(笑)」
「ロッキング・オン」(1985/5月号) 19歳 06/05/21
 彼は前座としてステージに立っていた時の観客に、まるで授業中に教師に「あなた
の授業にはポリシーがあるんですか」と質問した時のまわりの生徒たちと同じような
印象をもってしまったんでしょうね。まあ前座っていうのは主役ではないし、お客さん
だって彼を見にお金を払ってチケットを買ってきたわけじゃないんだから、しょうがな
いといえばそうなんだろうけど。ところがあのコンサートでは自分より著名なアーティ
ストが出ているにもかかわらず、聴衆は自分を求めてきているように感じたんでしょ
うね。うれしい反面、気が動転して結局飛び降りることしか浮かばなかった。動転し
てる時って、確かに後から考えたらとんでもない行動しちゃう時ありますよね(笑)。
 

74.「コミュニケーション」

 「みんな笑顔で聞いてくれたり、合唱したりとか。今までこういうことはやりたくなかっ
たことだったんじゃないかな。でも心の片隅でオレ、こういうコンサートやりたかったん
じゃないかなって感じて・・・。でもときどき一緒に歌われたら困るなって気分の時もあ
りますけど。ひとり抱えこみやすい性質だからね。
「GB」(1985/9月号) 19歳 04/05/31
 どちらかというと一方的に発信することだけが自分の使命感だと思っていた彼に少
し心の中で変化が起きていますね。みんなで何かを分かち合う・・・この一体感ってい
うのは何ものにも変えがたいものだったんでしょうねえ。だけど確かに一緒に歌われ
たくないっていうのも本音ですよね。それはある意味バラード曲のところで手拍子して
ほしくないってことと、同じことなのかもしれないなあ(笑)。
 

54.「これからの音楽」

 「ポップに変えてくことが僕よりもっと上手な人間がいっぱいいる。そのポップさです
りかえられてしまうところを感じてしまう。だから全てをポップにせずに僕の言うことを受
け入れられる状況を自分で作らなきゃならないことを今までは分からなかった。レコー
ド作りの中で曲調にしても詞にしても、ある種自分では納得できるんだけど具体的に
当てはめる時に、それが全てではないっていうような状況になってしまうことがある。こ
れからはその部分をクリアーするような曲調や詞にしたいなって考えてる」
「パチ・パチ」(1987/10/9) 21歳 04/05/11
 ここいら辺のコメントに、彼のちょっとした完璧主義の顔がのぞいていますねえ。確
かに自分の言いたいメッセージを軽いメロディーに乗せてしまうと、言わんとしてるこ
とが曲解されてしまうっていう危険性はありますよね。だからどの人に対しても同じよ
うに伝わるような、そんな曲調や詞にしたい・・・この後彼の詞には一部哲学用語の
ようなものも顔を覗かせてきますが、逆にこれが彼の言っていたどんな人にでも同じ
ように伝えるための手法だったかもしれない・・・う〜ん、複雑ですね。
 

26.「壊れた扉から」

「毎回、毎回、作品が出るたびにボクはケリをつけてきたわけ。学生時代、デビュー、
そして今度は社会人として、学生じゃない自分に対してひとつの扉を開けたかった。
開ける前にはその扉の向こうには夢があり、希望もあったんだけど、その扉を開けて
一歩踏み出してみるとそこはとっても殺伐とした廃墟だったんだ。今自分が開けた扉
を振り返ってみると、もうすでにその扉は廃墟の中に壊れた扉として横たわっている」
「パチ・パチ」(1985/11/9) 19歳 02/05/20
 彼の10代最後のアルバム『壊れた扉から』のタイトルについて、彼はこう語ってい
る。ボクもそうだったんだけど、高校までって大人の作った規律の中で生きていた
んだと思う。そしてそこからいち早く抜け出したかった。抜け出せば、きっと自分の
理想としている世界が広がってるんだと思ってた。でも実際は「自分の力だけで生
きる」という痛烈な現実が待っていた。だからといって前に自分がいたところに帰ろ
うと思っても、もう戻るための扉なんてないんだよね。上のコメントにはすごくボク自
身共感するものがありますね。
 

29.「コンサート」

 「ボクがコンサートでやろうとしていることは、同じようなことを考えている人じゃない
と解らないかもしれない。でもその時解らなくても、その人がボクのことなんか忘れて
しまって、でもボクと似たようなことを感じることがあった時に、何かの機会にまたボク
と出会ってくれれば、とても幸いだなって思う。ボクは娯楽として楽しむには、あまり
にもヘビーなことをしようとしているから」
「パチ・パチ」(1985/11/9) 19歳 02/05/23
 いくらシンガーソングライターが夢を売る職業だからといっても、やはり金を稼ぐ
職業には違いはないんです。それは当然と言えば当然。普段ボクたちが食べるた
めに働くように、彼らは曲を作ってそれを歌うことが”労働”なんだと思う。でも彼は
ホントに純粋に音楽とそして自分の作った音楽を聴いてくれるリスナーに向かって
真剣に取り組んでいるんだなあ、って気持ちがすごく伝わってくるコメントです。
 
139.「コンサートへの姿勢」
 「なんか一種作られた、ファンの人だけがいいよって支持してくれる、文化祭でよ
いしょされるみたいなそんな部分を(今のライブに)感じてしまう。その作られた場で
いかにも生きているってことが素晴らしいと無理矢理言わせようとしてる気がして。コ
ンサートはやりたいけど、やるんだったら混沌とした日常ってものを出せて、そのな
かでみんなで分かちあっていけるものにしたい。ただ、今はそこまで辿り着いてない
し、自分でもこの日常のなかで本当に喜べるものがなんなのかはっきりわからない
状態ですけど」
「ロッキング・オン」(1985/5月号) 19歳 06/05/26
 ただ自分に興味のある人たちだけが集まって「ああ、楽しかった」っていうだけの
ライブにはしたくないっていう本音を垣間見たような気がするコメント。竹を割ったよ
うな何の具体性もない定規で測ったような日常ではなくて、いろんな要素がぐねぐね
と盛り込まれたようなそんな複雑な日常を出せるようなライブにしたいと彼は言って
るんでしょうね。普通ライブっていうのは煩雑な日常から逃れて自分だけのちょっと
した自由時間っていう気持ちで行くんだろうけど、彼の場合は違っていて本質の部
分で分かちあいたいと願うその心が伝わってきます。というのも、彼自身がライブを
することで、彼自身も救われていたのかもしれないなって気がするからです。
 

122.「Confession for Exist」

 「ある意味かけがえのない人を失って自分ひとりでやっていかなくちゃいけないと
いう気持ちがすごく強くなった。僕が半分なくなったというか、その僕の半分は僕を
オブラートに包んでくれていた存在だったのかもしれない。後に残るのは僕が覚え
てきたものをどれだけ自分のものにするかだけが、証(あかし)になる。つまり放熱
とは生きることで、証かすというのは、キリスト教で証かすということを”告白する”っ
ていうんです。いいことも悪いこともすべて告白することを、証かすというんです。「
誕生」して、次に「生きることを証明」してるから、次はどんなアルバムを作ろうかな」
「GB」(1992/7月号) 26歳 04/07/18
 このアルバム全般に言えることは、彼にはもう支えになる人がいなくなっていた
ということ。つまりなんでもかんでも自分ひとりで立ち向かって行かなければいけ
ないんだっていう姿勢が裏側から聴こえてくるんです。「生きること。それは日々を
告白してゆくことだろう」というこのアルバムのテーマは、今まで自分が人生の中
で培ってきたものをどれだけ自分のものにしてゆけるのだろうかってことなんだろ
うと思います。最後の「次はどんなアルバムを作ろうかな」っていう響きがすごく悲
しいですが、はっきり言えることは彼が作品を作り出す時、その時その時の自分
を克明に作品に刻み込もうとしていたっていうことです。おそらく彼のようなアーテ
ィストはこの先出て来ないだろうと思いますが、彼はこのアルバムで終わってしま
ったのではなくて、彼のリスナー(当然ボクも含めて)がいるうちは、彼のアーティス
ト活動というのは、今も進行形なのだと、強く思います。

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