120.「汚れた絆」
 「何も知らなかった自分が、大人になると互いが互いを演じてることを知る。人間
って互いが互いを演じているだけの存在だということが納得できれば、たとえ人が
それ以上のものを、もしくは今まで求めていたものが失われたとしても、お互いの
哀しみは少ないと思う。たとえば人と裏切りやすれ違いで遠く離れてしまっても、
一度出会ってしまったらもうそこに絆が生まれてしまって、終わりはない」
「GB」(1992/7月号) 26歳 04/07/16
 「絆」ってものは相手とわかりあえてわかちあえた瞬間だけに起こるっていう
ものじゃなくて、さんざんののしりあって別れたとしても、もうお互いの間にはそ
こに絆が生まれてずっと続いていくんだってことなんでしょうね。そう考えると彼
の考え方ってもちろん今までの自分の経験の中の悲しみや苦しみから来てい
るんだろうけど、今ある常識にとらわれない、すごく自由な発想だよなあって思
えます。ある意味「絆」によって自分はここまで生きてこられたって言っても、そ
れは過言ではないのかもしれない。ただ孤独には変わりないんですけれど・・・。
 
118.「原色の孤独」
 「みんな自分を守ろうとするんだろうし、愛情を育もうとするんだろうし、決してす
べてが偽善的でもなければ悪いというわけでもないけれども、もしこの世の中で主
張したいことがあるなら、それに命を賭けることができるのかってことが言いたい。
孤独でない反体制なんてファッションにしか見えない。孤独を恐れてみんなで戯
れるっていうことよりも、別に孤独なんてあたりまえなんだから、みんな元気を出し
てがんばってみろよって」
「GB」(1992/7月号) 26歳 04/07/14
 この『原色の孤独』っていう曲は「生きている奴らは皆イカサマな賭博師さ」って
いう一節がなんか引っかかって、割と苦手な部類の曲なんですけれど、ただこの
コメントからわかるのは、何かを主張するのに群れなんか作らないでもっとひとり
ひとりがとことんまで孤独になって命を賭けてみろよ!ってことを彼はこの曲で言
いたかったんだなあってこと。社会に対する何かに対して反抗する時、人は同じ
反抗心を持った人たちと群れを作って主張する。政党なんかもそうだしデモ行為
なんかもそうですよね。社会に何かを訴えるには確かに多勢に無勢では届かない
のかもしれないけど、重要なのはそのひとりひとりが本当に真剣にそのことだけ
を考えて行動してるのかってこと。同じ群れの中にまた意見の食い違った人が現
れて、なんだか主張したいことがうやむやになりがちになるってのも当然のこと。
だから最終的には孤独に打ち勝ってでもその主張を続けられるのかってこと。

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