135.「ファン」
 「彼らの言う尾崎豊というのはきっと自分自身のことなんでしょうね。自分自身を
愛したいがために僕みたいな馬鹿な人間をほめ讃えてくれてる。だけど、そんなこ
とやめればいいなんてことは絶対ないと思います。人間はいつだって愚かだし、愚
かでなくなったら、人間じゃなくなってしまう気もするし。それを解決していくのは、
きっとその馬鹿な部分がわかってる人だけができるんじゃないですか」
「ロッキング・オン」(1985/5月号) 19歳 06/05/22
 尾崎豊の当時のファンってすごく熱狂的だったようなんですけど、ここで彼には
転機が訪れているようです。今まで他人に理解されるかどうか不安で歌っていた
のに、この頃の彼のメッセージは何でもかんでもファンに浸透してしまっていたよ
うです。でもこの現象に関しても、彼は若者らしくなく(笑)冷静に状況を判断してい
ますね。彼が言ってることわかる気がするな。人間って確かにいつまでたっても愚
か。でもその愚かさにすごく人間味や温かさを感じるんですよね。逆にその愚かさ
こそが人間を長い間悲しみに暮れさせている最たる原因でもあるんだけど・・・。
 
132.「ブーム」
 「うーん、メジャーとかマイナーにこだわるわけではないんですが、やっぱり僕の
考えてることに一般性を持たせたいなとは考えてました。僕の考えてることって答
えのないようなものだし、答えを求めてさまよってるって状態だから、きっとそんなと
ころをわかってくれる人はいるんじゃないかな、と」
「ロッキング・オン」(1985/5月号) 19歳 06/05/19
 当時の邦楽ミュージックシーンに起こっていた”尾崎豊ブーム”に対しての発言。
つまり彼は答えを歌っていたわけじゃなくて、見つからない答えを一生懸命になっ
て探すという、ある人々からとってみれば”無駄のように見える作業”をする自分
の姿を歌っていたわけだけど、ある程度一般的な音楽としても通用するものであ
りたいとも思ってた。そこに彼の冷静なプロ意識を垣間見た気がします。でも考え
てみれば、世の中のすべての人が迷い人のようなものだしね(笑)。
 
130.「ヴォーカル録り」
 「だいたいいっぺんしか歌わない(笑)。ワン・テイク目でOK!って感じのが大部
分です(笑)。曲って初めのうちは歌ってて気持ちいいものでしょう。だからあとで
違うなというところがあっても、逆にライブっぽくていいかって納得しちゃいますね。
それに上ずったり、音程はずしちゃったりしたときにそこだけやり直すってことをす
ると、きっと音楽としてのどよめきがなくなると思うんです」
「ロッキング・オン」(1985/5月号) 19歳 06/05/17
 彼の音楽ほど、多少音程が外れていようと、深く染みてくるって音楽はありませ
んよね。逆に声がかすれたり、音程が外れたりしてしている方が染みてくる曲も
たくさんあります。役得だね(笑)。10代の最後の方の作品はかなりライブを意識
した音楽・・・というよりライブによって成熟させていった曲が大半を占めるからで
だからオリジナルじたいが精密さを欠くっていうのも、ホント珍しいアーティストだ
よなって感じます。”Scrambling Rock’n’Roll”や”群衆の中の猫””Freeze Moon”
”Forget-me-not”なんてその最たる例だよね。”音楽のどよめき”・・・名言だな。
 
77.「Freeze Moon」
 「昔はあの長くてシッチャカメッチャカの曲が、僕らの原点みたいなところがあっ
た。そういった意味では、あの曲はだんだん姿を変えていかなくちゃいけないっ
ていうか・・・。だんだん変わってはいるんですけど・・・。バカ騒ぎする中で、イカ
した青年を演じようとしている、みたいなのってある(笑)」
「GB」(1985/10月号) 19歳 04/06/03
 演奏時間20分以上、未完成なうえに未整理・・・あの字余り曲(笑)が彼の原点
だったんですね。つまり音楽的な法則に規制されることなく、自由にやるってこと
が一番大事だったのかもしれない。おそらく彼の楽曲の中で一番エネルギッシュ
な歌かもしれません。そして何より悲しいけど、はばたこうとする若者たちの視線
の向こうには、きっと何ものにも規制されない「自由」な国があったのだろうなあ。
この曲ぐらいザックバランにいけば、彼の人生はもしかしたら違っていたのかも
しれないなあ。あくまでこれはどうしようもない結果論なんですけど・・・。
 
55.「Place」
 「場というのは大きく分けてふたつある。曲を作るという場とそれを発表する場。曲
を作る場というのは一般生活というか日常生活の場で、そこで奇をてらったりてらわ
なかったりと、生活の中でもがく。喜んだり、悲しんだりして作っていく。発表の場とい
うのは作った曲を投げかける場なんだけど、ここには作った自分ともうひとつ、投げ
かける自分がいる」
「パチ・パチ」(1988/9/9) 22歳 04/05/12
 曲を作るっていう作業は誰からも見られることなく、どちらかというと暗闇の中で
行われる作業ですよね(特に彼の場合はそんな感じがします(笑))。そして自分が
思ったり考えたりしたことをメロディーに乗せて・・・作る場っていうのははっきりい
ってしまえば”独りよがり”な場。そこで作った曲を聴衆に聴いてもらって共感して
もらえるかどうか・・・おそらく彼にとってもドキドキの作業だったでしょうね。投げか
けても返ってこなかったら・・・そんな不安でいっぱいだったんでしょうね。
 
25.「プレッシャー(1)」
 「でも、いろんな人がいる中で、ボクが抱えてる苦労は、とるに足らないことなんだ
よね。けれど、ボク自身が乗り越えるべく持ってる精神状態って大切だと思うんだ。
だから、ボクの人生の中では、今は、おもしろい時期かもしれないと思ってる。ひと
りの人間のかかえられる人生観は、ひとりのものでしかないんですよね」
「パチ・パチ」(1985/8/9) 19歳 02/05/19
 歌うことへの使命感に追いつめられ、彼は時折ステージで荒れる。それは19歳
の少年に突きつけられたプレッシャーからなのかもしれない。でもそれを乗り越え
ていこうとする意識というか体勢というか、そういう衝動は大切なものなのかも知
れない。ルーチンワークのような毎日を過ごしてる今のボクには痛烈な言葉です。
もっと問題意識を持って実際に行動しなければと改めて思ってしまいました(笑)。
 
138.「プレッシャー(2)」
 「僕はある意味で他人に冷たい人間なんですよ。純粋な愛みたいなものでその
人と話し合うことはできるかもしれないけど、最終的に人生を決めるのはあなたな
んですよって思う方だし。だから『どうしよう、あんなこと言われて』って意識はない
んです。俺は俺、君は君、もちろんそこにはそんな言い方で収まらない愛情を持
ってるつもりですが、そういう醒めた目でファンを見てる。だから今はそれほどプレ
ッシャーにはなってないです」
「ロッキング・オン」(1985/5月号) 19歳 06/05/25
 正直そうなんですよね。そこまでファンひとりひとりを愛してると言うのなら、彼が
この先ファンひとりひとりの人生の面倒を見れるのか?なんてのはナンセンス。
結局はひとりひとりが自分の足で、自分の人生を、自分の意志で歩いていかなき
ゃならないんだから。愛情と馴れ合いは違う・・・だからある人々から「歌の内容と
本人はまるっきり別物じゃないか」と言われたって、彼はそんな意見を持ってぶつ
かってくる人たちに対して、それほどプレッシャーは感じていなかったようですね。
作品の中の彼の主張はあくまで彼の断片にしかすぎない。人ひとりの本質なんて
歌ひとつでくくれるほど小さいものじゃないとボクは思います。
 
45.「プロデビュー」
 「『街の風景』っていうのは10分近くの曲だったんだけど、それを”5分に縮めてく
れ”と言われたときに、”あー、そういう制約の中でやるしかないんだな”と思ったと
き、全部が全部伝わることではないんだなと思って・・・伝えることができる自分に
なってから、プロになれると思った。当時ね。そういう意味で、自分の言ってること
が、全部が全部伝わってるとは思っていない」
「パチ・パチ」(1987/10/9) 21歳 04/05/02
 自分で血の滲むような思いをして作った楽曲の一部を削ってくれと言われたら、
そりゃあ少しヘコむよなあ。ただそこで彼が違ったのは、10分で伝えようとしたこ
とを、5分で伝えられるようになってこそ、そのとき初めてプロになれるっていう、す
ごいプロ意識を抱いていたってことなんですよね。できるだけ少ない時間で、でき
るだけ誰にでもわかる言葉ですべてを伝えられた時、その時自分をプロと認めよ
うっていう彼の意識がすごいなって思いました。ですが皮肉にもこの後彼の言葉
はだんだん難解さを増していってしまうのですが・・・。
 
101.「プロデュース」
 「本当に、的確に、その人の個性を理解すること。それから、その人の方向性を
きちんと考えてあげること。その許容量をきちんと自分の中で、心の度量とかそう
いったものの中で持てないとやっていけないかもしれない。もし誰か他の人をプロ
デュースするんであれば、その人の個性とその人の感性を理解してあげたうえで
方向性を決めてあげるってことを、現実化してみたいなって気はあります」
「GB」(1991/1月号) 25歳 04/06/27
 尾崎豊が誰かをプロデュースする・・・う〜ん、どうなんでしょう(苦笑)。ただ自分
とは異なった感性の持ち主をプロデュースすることによって、彼自身も変わってい
ったのかもしれないってことを考えると、もし他の誰かをプロデュースしていたら、
彼の未来は変わっていたのかもしれません。まあ一概には言えないんですけど。
ただ尾崎豊プロデュースのアーティストを見てみたかったなあっていう思いはあり
ます。いったいどんな歌を歌うアーティストだったんでしょうね〜。

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