109.「放熱への証(1)」
 「(『BIRTH』ツアーを終えて)もう一度最初からって気持ちでアルバムを作りた
いって思った。『十七歳の地図』を作ったときっていうのは、直に触れ合ってるの
は漠然とした社会だったわけだけど、今度は覚え始めた社会意識を抱えて直コ
ミュニケーションを図った。やがて(ツアーの観客たちである)彼らが何を求めて
るのかが僕の中で明確になってゆくようだった。そういうスタンスやアプローチが
今度のコンセプトなんだ」
「GB」(1992/5月号) 26歳 04/07/05
 今までは自分の中から涌き出てくる疑問や悩みを自分の中で昇華させて歌を
作ってきたんだと思うんですけど、このアルバムでは彼なりの社会とのバランス
感覚を軸にして作っているようです。自分のことを歌うというよりは、リスナーが
どういう思いを持っているのか?どんな歌を求めているのか?それがこのアル
バムの起点になっているようです。それは決して媚びているということではなくて
みんなが求めていることが自分が求めていること・・・っていう、彼の中で新しい
何かが生まれたのかもしれませんね。
 
110.「放熱への証(2)」
 「ツアーに行くと必ず見る光景なんだけど、東海道新幹線で東京方面へ向かう
夜の車内ってけっこう空いていて・・・新幹線の窓の外って点々とした明かりしか
見えないでしょ?去ってゆく光景を見ながら、自分はいったい何をやってるんだろ
うか?何を期待し、何を求めて歌い続けていけばいいんだろうか?ツアーの中
間点ですごく悩んだときだった。で、そのことを書き始めて、そこらへんからかな
次のアルバムのための言葉を書き始めたのって、同じ風景を見ている自分がい
て、流れてゆく風景と何も変わっていないって」
「GB」(1992/5月号) 26歳 04/07/06
 夜の新幹線の窓の外に見えるポツンポツンとした灯りってボクもすごく好きな
んです。というよりはその灯りのひとつひとつは一瞬にして自分の視界から消え
てしまうけど、その灯りひとつひとつの中にそれぞれ人が暮らしていて自分はこ
うしてどこかに帰るために新幹線の座席に座ってるけれど、そのひとつひとつ
にはその土地でがんばって暮らしてる人たちがいるんだよな・・・って感慨深げ
になってしまうんです・・・って全然尾崎さんに関係ない話を書いてしまった(笑)。
自分の前を流れてゆく風景と自分は同じ・・・やっぱり視点が違うよなあ(笑)。
 
111.「放熱への証(3)」
 「あのときは17歳の自分が同世代の人たちに歌ってたけど、今の自分は25歳、
15歳から20歳くらいの人たちに対して歌ってる。僕も彼らもあくせくと満員電車に
巻きこまれたり、夕暮れにセンチメンタルになってみたりっていうのは変わってな
いなって思った。渇望してる気持ちに向かって、僕があの頃投げかけようとして
いたものを、もう一度今の形で伝えてあげても伝わるかもしれないっていうのが始
まりであって、それが次のアルバムのコンセプトであるって感じです」
「GB」(1992/5月号) 26歳 04/07/07
 彼が手探りで歌を発表したデビュー当時と、この時では明らかに違うのはやっ
ぱり「経験」ってことなんでしょうね。『十七歳の地図』にあたるのは『汚れた絆』か
な?とか思ってみると、なんだか興味深いですね。彼はデビュー当時と同じ投げ
かけをするにしても、やはり25歳なら25歳なりの観点で歌ってますよね。朝満員
電車に揺られて夕暮れにはセンチメンタルに・・・ボクは満員電車に揺られること
はありませんが、夕暮れにセンチメンタルになるということに関しては自信があり
ます!(笑)このアルバムはそう考えると『十七歳の地図』とスタンスが似てる気
がしてくるから不思議ですねえ。
 
8.「僕が僕であるために」
 「社会に出ると、誰が悪くて、誰がいいのかわかりにくくなってる。何が真実か見え
にくくなる。世の中いつ戦争が起こっても不思議じゃないほどムチャクチャなのにね」
「パチ・パチ」(1984/6/30) 18歳 02/05/02
 彼は『僕が僕であるために』という曲の中で「正しいものは何なのか それがこの
胸に解るまで 僕は街にのまれて 少し心許しながら この冷たい街の風に 歌い
続けてる」という詞を書いている。「正しいもの」とは一体何なのだろう。それはどん
なに偉い学者でもわからないんじゃないかな?言い方を変えると、すべて結果から
判断されるんじゃないかな。ある方法を試してみて、それがいい結果に結びつけば
それは「正しいこと」だし、悪い結果になればそれは「間違ったこと」になる。だから
この世の中に、結果が出る前に「正しいこと」を知る人はいないのかもしれない。悲
しいことだけれどもね。
 
100.「僕を求めるもの」
 「『永遠の胸』でも言ってるんだけれども、その、僕を求めるものがあるならば、僕
が会えた、幸せになるために得た、すべての術を君に教えてあげようっていうよう
な気持ちを、いつまでも持ち続けたいって思う」
「GB」(1991/1月号) 25歳 04/06/26
 言いかえれば彼を求めてくれる人がいるならば、彼が幸せになるために紆余曲
折してきた末に得たものをすべて伝えてあげたいっていう思いなんでしょうね。た
だ彼がつかんだ幸せっていうのはいったいどんなものだったんでしょう?今となっ
てはそれは誰にもわかりませんが、きっと彼だけに感じる幸せであって、それを
伝えてゆくことこそが、自分にとっての使命なんだと感じたのかもしれませんね。
 
144.「ポジティブ」
 「もし間違いとかが目に入ったとしても、それをあからさまに『お前それは違うよ』
ってつっかかっていくよりは、相手の懐に入ってわからせていく方がいいんじゃな
いかと考えるようになったんです。初めの頃は僕もすごくネガティブな姿勢だった
んですけど、だんだんポジティブな生き方を見直すようになってきましたね」
「ロッキング・オン」(1986/2月号) 20歳 06/05/31
 これはすごく大事なことですよね!ひとりひとり置かれている立場も違えば、そ
こまで生きてきた経験だって違うわけだから、相手の身になって考えるってすご
く大事なことだと思います。ただやっぱり人ってそんなに単純にはできていない
から、相手の懐に入るためには相当な苦労もいると思います。彼が「命を張る」
と言っていたのは、そういう苦労もいとまない彼なりの覚悟だったのかもしれない
なあって気が、このコメントを読んでから感じるようになりましたね。
 
146.「ポジティブとネガティブ」
 「最初からポジティブに生きてる人っていうのも多いと思うんですよ。でもそういう
人って本当はネガティブにならなきゃいけないような場面でもそれをすり抜けちゃ
う人が多いと思うんです。だからそういう人には逆にネガティブな面にもちゃんとか
かわってほしい、という気持ちがありますね。あまり自分ばかり大切にし過ぎるんじ
ゃないかという気がします。ひどい時にはポジティブな者同士が自分たちを守るた
めに互いに繋がったりとか、いじめなんかもそういうプロセスなんじゃないですか」
「ロッキング・オン」(1986/2月号) 20歳 06/06/02
 いつもポジティブに生きている人って、すごく強い人だと思います。彼は”そうい
う人はネガティブにならなきゃいけない場面でもすり抜けている”って言っていま
すが、それは違うと思う。そういう人はポジティブなのではなくていい加減な人だ、
きっと(笑)。ポジティブな人になるにはネガティブな部分をわかってないとなれな
いと思うな。ただいじめのプロセスに言及してる部分にはうならされてしまう。でも
本当にポジティブな人っていうのはそんないじめには参加しないと思う。ただ止め
に入ろうともしないんだろうなあって気もしてしまう。ネガティブとポジティブ・・・ど
っちも持ってる人がポジティブな人だと、個人的にはそう思うんですけどね。
 
22.「ポリシー」
 「ウーン・・・あの、ボクが歌っていくことっていうのには、世の中の間違ったもの
に目を向けていく、問題意識を持ってほしいっていうこととかのポリシーがあるわけ
ですよね。それが今回の大阪球場をやることによって、2万人という単位は、世の
中一般から見たら少ないかもしれないけど、その2万人の人が来てくれることによ
って、何かのキッカケ、ムーブメントになればいいなって思ったんです」
「パチ・パチ」(1985/8/9) 19歳 02/05/16
 これは大阪球場で行われたライブについて、なぜ大阪球場でやるのか?との問
いに答えたもの。1000〜2000人クラスのホールを周っていた彼にとっては大きな
賭けだったに違いない。なのに彼ははっきりした目的意識を持って、このライブに
臨んでいる。やはり生まれながらにしてアーティストの才能があったんだなあ・・・
と素直に感じとれるコメントです。自分を売り込むのではなくて、問題意識を投げか
けるため・・・う〜む深い!

OZAKI's KEYWORD トップへ