28.「ハウンド・ドッグ」

 「心からハウンド・ドッグっていいなあ、ってすごくインスパイアされたんだ。初めて
見る人には楽しいコンサートかもしれないけど、わかってる人には、大友さんの生
き様もわかるし、それに抱容力みたいなのをすごく見せてくれたでしょ?彼らを見
に来る人はそういうのを求めるし、ボクもそういう姿を求めるし。なんかね、自分自
身の悩んでる姿を押しつけるだけじゃダメだと思ったんです」
「パチ・パチ」(1985/11/9) 19歳 02/05/22
 彼は同じ事務所の先輩である「ハウンド・ドッグ」のコンサートに数回足を運んで
いる。ステージとして自分たちの生き様や経験を披露する彼らに、彼は尊敬の念
を抱いてた。でも「尾崎豊」のステージ・スタイルは彼と聴衆が一体となって共に悩
んだり、考えたり、喜び合ったりする、そういうものが一番合ってるし、魅力だとボ
クは思うんですけどね。等身大の彼を感じることを聴衆は望んでいたんだと思う。
 

114.「離れるということ」

 「今回もいろんなことがあっていろんな人と離れることもあった。今まで人にやっ
てもらってたことが全部自分にかかってくるようになって、”今までこういうとこが大
変だったんだ。だからああいったとき、コミュニケーションがとりにくかったんだな”
とかが、すごくよくわかるようになった。離れるってことは、時間をかけてその人と
また出会うために自分が成長していくための期間だと思ってる。シャットアウトする
のではなくて、その人とのことを振り返って”いったい何を考えていたのか”ってこ
とをひとつずつ自分の中で整理することだと思う。もう一度出会える機会は必ず
来るだろうし、そのとき新たなお互いのコミュニケーションが図れるだろうって」
「GB」(1992/5月号) 26歳 04/07/10
 この頃の彼の周囲に対する振る舞いのひどさというのはあまりにも有名ですが
いざその人たちがやっていたことを自分がやらなければならない状況に追いこま
れた時、その人たちがいかに大変だったかを身をもって知ることになります。た
だそこで彼は決して後ろ向きにはならず、そのいざこざを逆にプラスに転じさせよ
うっていう意志があったんですよね。だからこういうコメントを残しているんだと思
います。ただ、彼が忘れていることがあるとするならば、壊れた関係を元に戻すと
いうことをそれほど大きなことだとは思っていなかったことです。人と人との信頼っ
ていうのは、彼が言うほど簡単じゃない。それに早く気づいてほしかったですね。
 

113.「母親の死」

 「母親を失ってからいろいろな人との出会いを逆に求めるようになりました。いろ
んな人とつきあえばつきあうほど、それを理解するってことはすごく難しいなあと
も思う。でも昔だったら、夜9時に友達から電話がかかってきたら”今日は休ませ
て”って断ってたんだけど、今はパッと駆けつけちゃう。いろんな人とつきあって
いきたいっていうのは、最初はその(母親の死に対しての)寂しさを慰めたいって
いう意味だったのかもしれない。でもそのときからのつきあいによって、お互い言
いたいことを言えるようになった」
「GB」(1992/5月号) 26歳 04/07/09
 ボクはまだ両親とも健在なんですけど、もしどちらか片方でも今親がいなくなっ
たとしたら、きっと自分を知らず知らずのうちに支えていた何かが崩れてしまった
ようなそんな感覚に陥ってしまうような気がします。彼が今までは気乗りしなかった
つきあいも進んでするようになったのは、きっと誰かと話でもしていないとお母さん
のことを思い出してしまうからだったのだろうと思います。彼は自分の会社の役員
としてお母さんを入れ、かなりつらくあたっていた時期もあったようですが、そのこ
とも母の死を早めてしまった原因なのだろうと自分を責めたのかもしれませんね。
 

89.「バンド・ブーム」

 「僕が休んでいる間にバンド・ブームがあって僕より下の世代がみんなそういうバ
ンドに憧れてギターを持ち始めたんだけど、夜中のオーディション番組とかを見て
て、まるでウケだけを狙っているように見える連中でもね、”あー、コイツら本当はこ
ういうことが言いたいんだろうな”と思うようなこともあったし、いい感じだなって思う
バンドも出てきた。でもバンドがブームになってビジネス的にも円滑に利益を生ん
で回転しはじめてさ、その状況で”本当にミュージシャンになるとどうなるかわかる
?”って教えずに、彼らが純粋に音楽をやろうとしたとき、それを育む場所や要素
がそれほどないんだって気づいたら、僕と同じように失望するんじゃないかな?」
「GB」(1990/12月号) 24歳 04/06/15
 自分がホントに目指してる音楽を作る状況に恵まれなかったと感じていた彼は
自分の後輩ともいうべきバンドブームの申し子たちを見てこう思ってたようです。
考えてみればレコード会社側はビジネス、ミュージシャン側は多くの人にてっとり
早く自分のメッセージを多くの人々に伝える手段と考えているわけだから、両者
がなかなか同じ意見になるっていうほうが珍しいことなのかもしれない。デビュー
した頃の彼は、どちらかっていえば恵まれていたのかもしれない。ただ彼の存在
が大きくなればなるほどレコード会社は彼をビジネスの駒と見てくるわけだから、
やはり納得するところまでいくには自分で会社を作るしかなかったのかもなあ。
 

91.「反発」

 「10代の頃の反発っていうのも、誰かに反発するってわけじゃないんだよね。きっ
と自分自身に反発してるんじゃないかと思うんだけど。自分に与えられたモノに対
して受けとめるだけの許容量がないんで、何かにそれをすり替えてるんだろうなっ
て最近は思える」
「GB」(1990/12月号) 24歳 04/06/17
 このコメントってなんだかすごくよくわかるなあ。たとえば自分に予期せぬ規制
とか試練が与えられたとき「なんで自分がこんなことしなきゃならないんだよ!」っ
ていう不満感が、そのまま誰かへの反発心として生まれていたような気がします。
だけどよくよく考えてみると、当時は自分にそれだけをこなす許容量・・・つまり実
力が不足していたってだけのことなんだよね。人間って生きていくうちにいろんな
反発心が生まれるものだけど、そのとき生まれた反発心っていうのは、きっとその
あとに訪れる試練のための棒高跳びの棒のような気がします。そして決まってそ
の頃のことを振り返るときに「当時はたかだかあんなことで・・・」と笑い話にしてし
まえそうな、そんな感じがします。

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