東日本大震災被災者の皆様にお見舞いを申し上げます
■ 出会い |
今も居間の書棚には、杉原先生の「憲法読本」が鎮座している。二のジュニア新書の一冊が住田さんとの歩みの原点であった。 (連光寺伊倉 邦子)
初めて立候補された時のことを思い出します。皆で住田さんのシンボルカラー、ピンクのエプロンを着け、同色の大きな旗を手に永山商店街を歩きました。今のようにシャッターの降りた店は無く、魚屋さんの元気な売り声が聞こえる賑やかな通りでした。 (永山 青木 礼子)
|
■ この街で |
住田さんとの出会いは、次男が、まだミルクを呑んでいた頃です。ですからもう30年も昔になります。偶然のように選んだこの街で、いろいろな方と出会い、多くのことを学ばせて頂きました。憲法学習に始まり、婦選会館と出会い、政治と議会に触れ、少しずつ自分なりの歩み方と速さで今日まで来ました。その過程で、議会や自治のあるべき姿も学ぶことができました。30年の歩みの中で、私なりに、みなさんと語ることもできるようになりました。「思い」をつなぐこともできるようになりました。あれも、これも、その根っこに住田さんは居られます。 感謝しかありません。ありがとうございました。 (永山 寺田美恵子)
1972年3月多摩市民となって関わった合唱活動が住田女史との出会いでした。合唱連絡会初代会長として活動された住田さんが、市川房枝氏の“理想選挙”を掲げて1987年の市議選に出ることになり、ニュータウンを中心に“市民のための政治”“多摩の文化振興”を願っていた多くの女性達(その頃は若かった!!)を中心に彼女の出馬を喜んで支える人となりました。 (連光寺 かしわぎすみこ)
|
■ 「たんぽぽ」の根のように |
昭和62年のことです。その前年に永山中学を定年退職した私は、在校生による「三年生を送る会」にメッセージを頼まれました。そのなかにつぎのようなクダリがあります。 「君たちは、今から青春のまっただなかに突入するわけだ。自分の可能性にチャレンジするために勉強したり、体を鍛えたり、前途は洋々としている。だが、それは私たちの時代にもあった。現代の特徴的なことは、全人類が核の脅威にさらされていることだ。君たちが希望通り就職し、幸せな家庭を築いても、それを一瞬にして破壊するのが核兵器だ。 広島・長崎の原爆被害や、昨年ソ連でおきたチェルノブイリの大惨事を思えば、想像できるだろう。核兵器を地球上からなくすために、どうするか。義務教育を終えるに当たって、今後の課題の一つにしてほしい、と思う。」 あれjヽら、四半世紀が経過しました。一昨年四月、オバマ大統領がプラハで「核兵器のない世界」をめざす演説をして以来、世界的規模で核廃絶の気運が高まっています。今こそ、憲法九条の理念を各国に広め、平和な世界のために、わが国がイニシアティブを発揮するときです。道は遠いが前途は明るい、と確信します。 さて、住田啓子さん。長い間の市議会議員としてのご活躍、ご苦労さまでした。百号をこえる「市議会報告」には、多摩市の教育や文化、特に図書館に対する住田さんの高い見識とご活躍が記述されており、いつも感服しておりました。「たんぽぽ通信」ともども、厚くお礼申し上げます。市川房枝の政治理念を受けついだ清潔な民主政治の足跡は、「たんぽぽ」のように、しっかりと地域住民の中に根をおろし、継承発展されていくことでしょう。 住田さん、そして、「なかまの会」の皆さん、ほんとうにご苦労さまでした。 (伊藤 始) |
■ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 今後もお元気で |
「どんな花より タンポポの花をあなたに贈りましょう」のメロディー
と共に、24年前の輝いていた住田さんと、それに劣らずの私たちうぐいす嬢(ウグイスバー)は、市中を選挙カーで廻りました。 運転手は夫達。イ中間にはデザイナーも居て、車の看板、立て看板、通信のニコニコマークやレイアウト等、プロ顔負けです。 選挙中昼食はそれぞれ地区の方々のお招き、事務所には料理名人の差し入れと大感激でした。 親と一緒に事務所へ来ていた小さな子供達の中には、ままごとあそびで「スミタケイコよろしく」‥・そんな子供達も今は立派なお父さんお母さんです。 婦人有権者同盟で学び、地域の合唱や文庫の生みの親でもあった彼女が蒔いた、タンポポの綿毛が確実に広がって花が咲き始めたのではないでしょうか。 (八王子 神田裕子) 「多摩はいいわよ!」。住田さんの一言に惹かれて1994年初夏に多摩市民になりました。 1995年の選挙から四回関わり、市川房枝記念会の政治教室で机を並べたよしみで、後の二度は推薦人代表をお引き受けしました。「なかまの会」立ち上げの頃からのメンバー、お一人おひとりの尽力に支えられて、理想選挙を全うすることができました。期待に応えて市会議員の務めを真摯に果たされた住田啓子さんには心から敬意を表し、今後もお元気で、一市民としてご活動くださるよう祈り、期待します。 (鶴牧 毛利亮子)
|
■ ありがとうございました |
住田議員、24年間市民のために誠心誠意活動してくださいまして心より敬意を表し、感謝申し上げます。ニュータウンの住民は「陸の孤島」での街づくりの夢や希望を叶えるために住田さんを市議会へ理想選挙で送り出しました。入居当初から自治会等地域活動で活躍され、既存地域の方々とも信頼関係があったことや、市川房枝先生のもとで女性の政治参加について長く学ばれていらした方です。議会での一般質問、子どもと教育関係の委員会では綿密な資料と高い見識でよりよい政策を引き出し実現させました。 私たちは住田議員の活躍を誇りに思います。平和憲法をまもる、図書館の大切さを教えて下さいました。今後のますますの御活躍を期待しております (永山 広井 ひより) |
■ 希望の光 |
先日、「自分の一票が社会を動かせるとは思えない」と中学生の娘が言いました。なぜ、そう思うのでしょう。それは経験がないからです。小さな草の根のような活動が、やがて実を結び、大きなものを動かす力となりうる事を知らないからです。 「市民は自分たちのためにより良い社会を作ることができる」という事を私たちは次世代に伝えていかなければなりません。そのためには、私たち有権者が社会の一員である事を自覚し、議会に声を届け、民主的に豊かな社会を作る努力を怠ってはなりません。世の中を変えるのは1人のスーパーマンではなく、地道な政治活動の積み重ねであり、市民一人ひとりの声の集約でなければならないのです。 この不信の時代に理想とする政治活動を実践してみせた住田啓子という政治家を、私たちが議会へ送り出した事実を誇りに思います。住田さんが、どの政党にも属さず、市民派として私たちのために働いたことに対し、その勇気と信念の強さに尊敬と感謝の念を禁じえません。住田啓子さん、ありがとうございます。そして、住田さんを議会へ送り出した仲間たち、ありがとうございました。 (飯能市 堀 美和子)
|
■ 西享子さんと住田けいこ議員と私 |
1980年永山に越してきて30年になります。PTAを通じて西惇子さんと知りあい、家族ぐるみのお付き合いでした。西さんから住田けい子さんを紹介され、初めての選挙から関わらせていただいています。政治には距離を置いていましたが住田さんを知り、政治はひとりひとりが関っていかなければいけないことと認識しました。 住田さんが議員になった初期の頃、私は仕事(保育ママ)をしていましたので、なかまの会のミーティングや作業のときは子どもたちを見ていました。そのお子さんたちも成人され、立派に巣立ちました。時の長さとなかまの会の方々の結束の強さをひしひしと感じています。 しかし、私にとっていちばん残念なことは、西さんを失ったことです。2009年8月31日、西さんと連絡のつかないご家族の電話でお宅へ駆けつけましたが、そこにはテレビをつけたままで意識のない西さんが横だわっていました。前日の衆議院議員選挙の結果を確認していたのでしょうか。私たちの長年の念願だった「政権交代」を確認できたのでしょうか。あれから1年3ヵ月、ご家族の願いも虚しく意識の戻らないまま旅立っていかれました。ご冥福をお祈りいたします。 最後になりましたが、今後の住田さんの益々のご活躍を期待しています。 (永山 原静子)
住田けいこさん、長い間私たちのまちの為に力を注いでくださりありがとうございました。感謝申し上げます。多摩市で初めての理想選挙で当選。なかまの会で知り会えた多くの方々と学習会や催し物など開き勉強できたことは、私の一生の宝物です。 (永山 我妻 千恵子) |
■ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 感謝致します |
なかまの会の一員となって選挙、作業などに関わってきました。議会の傍聴を経験し市政への関心も高まり感謝しています。ありがとうございました。住田さん、お疲れさまでした。 (連光寺 井上克代)
多摩市での生活に慣れた頃、パルテノン多摩ができました。その記念演奏会に参加したのが私の合唱活動のはじめであり、近隣以外の友人に恵まれるきっかけとなりました。 (鶴牧 荻原晶子) 長い間、多くの方々に支援されてきた「住田けいことなかまの会」。私は短い時間でしたが、作業をしながらいろいろ学び経験させていただき感謝しております。これからの住田さんの新しい始まりを楽しみに期待したいと思います。 (連光寺 宮内美和子) 住田さん、なかまの会のお仲間、ありがとうございました!!家庭と職場の限られた空間で生活していた私は定年後、当会の諸活動に参加、次第に空間が拡がってゆきました。国政はマスコミを介し知り得ますが、大切な足元の市政等の把握は希薄でした。が、住田さんをパイプ役として知ることが出来『多摩市』の理解も深まりました。多くを学ばせていただき且つ強い連帯感と喜びを共有出来たのは幸せでした。 (桜ヶ丘 山岸 圭子) 図書館について思うこと すべての市民の学習権を保障する―図書館はその基盤です。蔵書構築と職員が生命線です。どういう資料を揃えるか、蔵書の質と厚み。それをフル活用して適切に提供できる職員群。近視眼的でなく将来まで見据えた長期的展望、経験の蓄積、次世代の育成が不可欠です。住田さんは市議会で度々図書館問題を取り上げ、その本質を問い続けてこられました。有難うございました。市民の願いが反映されるよう、今後もみんなで知恵と力を寄せ合ってがんばりましょう。 (唐木田 鈴木久美子) 住田さんの四半世紀に亘る議会活動に幕が下りようとしています。言い知れない寂寥感を覚えます。あるべき地方自治を目指し、真摯な取り組みをされた住田さん。多摩の古い土壌はすこしは変わっているように思えます。ほんとにご苦労さまでした。怜俐でありながら、限りなくあたたかい住田さんは政治の仕事が天職のような稀有な方です。これは「なかまの会」の幸せでもありました。そして「なかまの会」を支持支援してくださった方々、またおなかまの皆さまの友情に心から感謝申し上げます。 (連光寺 おかもとみつえ) 24年間、みなさまに支えていただいたお蔭で、長く「たんぽぽ通信」をお届けすることができました。心より感謝いたします。最後になりましたが、様々な形でご支援下さった大勢の方々に会計担当よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。 (連光寺 舟橋君代) |
■ お知らせ 住田けいことなかまの会は、5月末日をもって、 長い間ほんとうにありがとうございました。 |