東大を退官して今、北里大学で教鞭を取っている
養老孟司先生がこんなことを言っていた。
「自分たちの子供の頃は、洗濯機もなかったから、母親は忙しいわけです。子供を構ってる時間なんてない。だから好き勝手やってましたよね。その分、自立したというか……」
昔は母親べったりではなかったのである。恐らくべったりされていたのは、母親が
膨大な家事労働から解放されている一部の裕福な家庭だけだったのだろう。マザコンは局部的、特権的なものだったのだ。
だが、今の母親は、子供につきっきりである。母親というのは習性でできるだけ
子供から危険を遠ざけようとする。
PTAなど最たるものだ。
保育園も、もはや危険を遠ざけようと神経質になっている馬鹿な母親たちでいっぱいである。かくしてマザコンは絶望的なほど全国的に広がってしまっている。
母親ウイルス蔓延である。
なぜこうなってしまったのか。
恐らく、
三種の神器が関係している。
洗濯機が家庭に導入されたことで、主婦に、
圧倒的な時間が生まれたのだ。その上、
核家族化の進行が、子供を母親べったりにさせてしまった。
核家族が誕生する前は、必ず祖父や祖母がいて、母親集中にはならないように制度的に回避がなされていたのに。
刮目すべきは、
洗濯機の導入と、
核家族化という2つの現象が、恐らく
1960年代に起こったということだろう。そして、子供が幼いうちに洗濯機を備え、核家族化してしまった都市圏の家庭から、
子供への過保護が進行してしまった。
もし、上の仮説が正しいとするなら、さらに洗濯機の導入と核家族化の進行が
60年代後半にかなりの割合で広まっていたとしたら、過保護で育てられた子供たちは、ちょうど
今時25才未満になる。仕事をしている30歳以上の人たちが気づいていることだが、
1971年以降に生まれたガキとは仕事の話ができないらしい。
着々と、母親べったりの温床が整備される真っ最中の1964年、新幹線が登場している。先日東海道から引退したばかりのあの0系のまるいフェースラインは、母親暴走の象徴だったのだろうか。