◆美少女、そのポルノ的なるもの 2004.1.6
   

 美少女というものがある。
 一般的には、現実に存在する美しい少女のことを意味するけれども、今自分が言おうとしているのは、フィクションの世界のヒロインだ。それもアニメの世界のヒロインである。
 きゃぴきゃぴしていて、無垢で、怒ったり泣いたり感情表現が激しくて、でも、頑張り屋さんで鈍い。
 そんなヒロインのことである。
 アニメという世界に現れる、ヒロインとしてのかわいらしさ、少女としてのかわいらしさを凝縮した女のコ像──それを今「美少女」と呼ぶことにしてみると、「美少女」──秋葉系文化の偶像──は徹底してポルノ的だ。
 ポルノ的というのは、別に濡れ場があるという意味ではない。たとえば、『作家養成講座官能小説編』(KKベストセラーズ)の中で、官能作家・睦月影郎氏がポルノに対してこのようなことを言っている。
《一言で言えば、官能小説というのは妄想がつむぎ出すフィクショナルな世界であり、そこに登場する女性像というのも、現実の世界に存在するリアルな女性ではなく、あくまでも男の妄想の中に存在するイマーゴでしかないのです》
 イマーゴというのは、成虫という意味でも、ラテン語で言う再現模像という意味でもない。偶像、理想像という意味だ(精神分析で、「幼児期に形成されたまま保存されている、愛する人の理想化された概念」(『英和大辞典』研究社)のことをイマーゴという)。
 睦月氏が指摘していることは明解だ。ポルノはフィクショナルである。ポルノのヒロインは現実世界に存在せず、妄想の中に存在するイメージでしかない。
 同じことは、官能作家・館淳一氏が別の箇所でも指摘している。
《いわゆるポルノ三原則というのがありますね。つまり、いつセックスしても妊娠しない、生理には決してなっていない、そして犯された場合でも必ずオルガスムスに達するという。これはまさしくリアリズムの対極であって、読み手の妄想を現実的な考慮によって醒ましてしまわないために、あえて男性の欲望実現の障害になるようなことは書かないわけです》
 リアリズムの対極であるというのは、現実世界に存在するリアルな女性とは対極的だということだ。
 ポルノのヒロインは、現実世界のリアルな女性をトレースしたものではない。むしろ、徹底して妄想の中の存在であり、現実には存在しないイメージ的存在なのだ。 こんなふうに言ってもらえたらエロいな、こんなかっこうしてくれたらエロいな、こんなふうにしてくれたらエロいな、という空想のイメージを集積したのがポルノのヒロインであり、その妄想──イメージ──の集積が、ポルノなのだ。「こんなふうに言ってくれたらエロいだろうな」という妄想的イメージは、実生活でそれを体験した場合はかえって興醒めになるものなのだけれど、ポルノやポルノのヒロインは実生活という現実の世界を切り離したところ──妄想の世界──で成り立っている。
 アニメの「美少女」というのも、これに近い。「こんな女のコがいたらな」「女のコがこんなかっこうしてくれたら」「女のコがこんなことを言ってくれたら」「女のコがこんな時にこんな反応を見せてくれたら」、そういう女のコに対する妄想と憧憬のイメージを集積したものが、「美少女」ではあるまいか。現実の女の子はこう反応するよ、こういう精神構造をしているよ、ということは、「美少女」には関係ない。むしろ、現実の女の子はこうである、という現実を切り離したところから「美少女」はスタートしている。ひたすら女のコへの妄想へ突っ走ったところから、「美少女」は生まれている。その意味では、「美少女」は徹底してイメージ的であり、したがってポルノ的なのだ。

   

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