◆オーバー・アチーバーという高学歴 2004.1.2
   

 知能テストの原型がつくられたのは1905年のことだそうだ。元々の目的は教育だった。それが、シュテルンがIQ(すなわち知能指数)を導入したことから思わぬ展開を迎える。IQの高さ=頭のよさ、という間違った図式が広がり始めるのだ。
 知能指数とは、比である。
 さらに言うなら、発達速度である。
 式で言うと、「精神年齢/実年齢×100」。
 IQとは、実年齢に対してどれくらい知能が発達しているか、その発達速度を見るものだ。頭のよさを判定するものではないのである。
 少し例を挙げよう。たとえば、10歳の子がIQ120だったとする。それは、10歳の子供たちのなかでは、知能の発達具合が速いという意味合いなのだそうだ。同様に、30歳の大人がIQ90だったとすると、30歳の人たちと比べると知能の発達具合が遅いということになる。
 IQが高いからといって、即頭がいいというわけではないのだ。幼少時のIQの高さは、確かに記憶力のよさとよくつながっている(子供時代IQが高かったという人は、たとえば主題歌を2回聞けば歌詞を覚えられたとか、映画を一度見れば全部の場面を覚えていられたなど、著しい記憶力が目立つ)。だが、IQの高さが、即、学力に通じるわけではないのである。
 それを示すかのように、オーバー・アチーバーという言葉がある。
 知能水準に比べて著しく学力を示す児童のことを、オーバー・アチーバーというのだそうだ。英語ではover achiever。achieveは獲得するという意味で、over achieverは、水準以上に取得している人という意味合いである。
 さて、このオーバー・アチーバー、簡単には「学力偏差値−知能偏差値」が10以上の児童とされている。要は、学力水準が知能水準を遥かに上回っているということだ。東大京大といった難関大学には、オーバー・アチーバーが多い。単に知能偏差値が高い人間は少ないようだ。難関大学を突破するためには、どれぐらい学習内容を習得しているかという学力の方が必要だからだろう。
 さて、このオーバー・アチーバーには種類がある。天然物と養殖物である。
 親に強制されることなく自分から勉強してオーバー・アチーバーとなった天然物だと、「社交性があり、根気強く計画性があり、達成動機も高い」と言われている。しかし、塾や両親などの強制で過剰に学習をさせられてオーバー・アチーバーとなってしまった、いわば養殖物だと、「学習活動の自立が遅れるだけでなく、勉強のため友達と遊ぶ機会を奪われていたので協調性に欠け、学級集団において孤立化の傾向を強めていく。また、依存的で服従的傾向が強い。そして、いつも心理的重圧を強いられているので学年が上がるにつれ学習活動から逃避しようとする」。
 東大・京大という、いわば一流大学と言われる学校に通う子たちには、こういう養殖物のオーバー・アチーバーが多いと思われる。だからこそ、東大卒や京大卒は、会社では「使えない」と言われるのだろう。反対に、塾などに通わず、勉強時間も短いのに東大・京大に入ってしまった者は、天然物なのでむしろ使えるということになりそうである。
 だが、問題は東大・京大だけではない。
 早大や慶応大学といった、いわゆるトップクラスの大学にも言えるはずなのだ。そして、何よりも一番の問題は、この養殖物のオーバー・アチーバー、すなわち学力は高いが「協調性に欠け」「依存的で服従的傾向が強い」、そのくせプライドは高い人材が、大量に銀行や会社組織に、幹部候補として流れこんでいることなのだ。
 組織を潰す養殖物オーバー・アチーバー。現代の入試システムでは、高学力=高学歴ということになっているけれど、高学力=使える社員、というわけではない。これから学生を採用する時には、塾に通っていたのか、受験生時代の勉強時間は短かったのかを質問して天然物か養殖物かを見極めてみるのもいいかもしれない(自分の意思で塾に通い自ら勉強して天然物となっている連中の可能性もあるけれど)。

   

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