◆眼高手低 2001.1.5
   
 眼高手低という言葉がある。
 他人の作品を批評することは上手でも、自分で作るのは下手であること(『スーパー日本語大辞典』)というのが、その意味だ。作り手が陥りやすい病気である。
 たとえば、小説。
 自分で書くようになると、だんだん目が見えてくる。こいつは小説として下手だとか、あれは文章として下手だ、とかいうことがわかるようになってくる。そうなってくると、あれこれ評するのが知らぬうちに快感になって、気がつけば批評家気分であれをバッサリ、これをバッサリ。その評も、当たっているからたちが悪い。  
 ところが、自分が下手と評しているレベルのものを自分で書けるかというと、実は書けなかったりすることが多い。上がったのは評価する眼力だけで、肝心の「いいものを生み出す力」は平行線のまま。すなわち、眼高手低。哀しきアンバランス。
 評価する力と、いいものを生み出す力と、どっちが作り手にとって本願なのだろう。
 作り手というものは、いいものを作ってなんぼではないのか。まさか、他人の作品に甲乙をつけてなんぼではあるまい。
 眼高手低は危険だ。
 自分の中の批評家を育てすぎると、ケチをつけることだけ覚えてしまう。その結果、他人のいいところを素直に受け入れ、盗み取ることが難しくなってしまう。
 そうならないためにも――自分への戒めとしても――批評家気分に陥って、眼高手低にならぬように気をつけたい。
   

タイトル一覧に戻る
トップページに戻る