◆アマチュアのレビューは駄目か? 2000.11.18
   
 アマチュアの書いたものだから、インターネットのレビューは駄目なのか?
 作り手としてレビューを見る場合に限って答えるとすると、NOだと思います。逆に、アマチュアだからこそ意見になる。
 たとえば。
 FORESTERというソフトハウスが作った『DOLL』という3Dゲームがあります。ぼくなんかは凄く評価しちゃうんですが、あれはゲームじゃない、っていう声もあるようです。
 物書きの人は、物書きの見方をするみたいなんですね。
 たとえば普通の人なら反応しないようなほんのひとつの台詞でも、なんだこれは! と過敏に反応してしまう。こういう子ならこんな台詞を言わねえよってところでヒロインが変な台詞を言ったりすると、今の、場の力で言わせたやろう、と思っちゃう。その瞬間に醒めちゃうんです。
 でも、『DOLL』ではそういうのがなかった。
 むしろ、短い台詞や少ない会話のなかで、しっかり主人公の性格や、ヒロインの王女ぶりを出していた。それが同業者として、見ていて凄くいいレベルの仕事だったんです。4枚組のCD−ROM1枚1枚にちゃんとエッチシーンを1回ずつ用意していたことも、エロゲーらしくバランス取っているなあ、と感心できたんです。
 いいセクシュアル・エンタテインメントだと思いました。
 でも、そういう見方をしたのは、ぼくがエロゲーのシナリオライターだったからだと思うんです。
 「ゲームだからいろいろ自分で参加できるんじゃないか?」と思って買ったユーザーさんは違う意見を出しちゃうでしょう。ゲームじゃない、という声は、その見方を反映したものだと思います。
 でも、その意見が間違っているかというとそうではない。むしろ、ぼくのような見方をする方が少数派でしょう(少数派だからといって単純に間違っている、ということでも勿論ありませんが)。

 エンタテイメントって、大衆という、いわば同時代の素人さんにどれぐらい楽しんでもらえるか、ってものだとぼくは思います。
 専門家の見方が間違っているわけじゃないけど、普通の人の見方が間違っているわけでもない。見ている視点や高さは違うかもしれないけれど、それもまた一つの見方なんです。言い方がきつかったり、怒りをバケツの水のようにぶちまけたものがあったり、「ストーリー性」とか「ゲーム性」とかの 明確な言葉の定義がなかったり、個人的感想なのに客観の代名詞である数字をつけたりしているために、素直に吸収できないことがあるだけで。

 以前、自分が作った『リエゾン』というゲームを評したもので、こんなものがありました。曰く、話が暗い。このライターは才能がない。
 読んだときにはコノヤロ〜ですけど、今は当たっているなあ、って思います。自分でプレイすると、他のゲームに比べれば暗いというか主人公が内気だし、お話も淡々と進むだけで、ドキドキワクワク、エンタテインメントしているわけじゃない。
 だから、暗いと言ったレビュアーさんは、あのゲームの一面をちゃんと言い当てていたんだと思います。
 『学園性白書2』というゲームを評したものでも、こんなのがありました。3人のレビュアーが集まって感想を言っていたんですが、その評価が10段階で
  1
 10
  1
 1が最低、10が最高点です。
 まさに、お見事!(笑)という感じでした。
 最低点の1をつけた二人は、ゲーム性がまったくなく一本道であること、どう足掻いたって主人公が死んじまうことに対して怒り、最高点の10をつけた人 は、ストーリーのもの悲しさ、はかなさを高く評価してくれていました。

 上の2つのゲームのレビューのことでぼくが言いたいのは、だからアマチュアさんのレビューは駄目なんだ、ということじゃないんです。その逆です。
 レビューは集めて総体として見れば、もの凄い意見になるんです。
 アマチュアさんのレビューの問題は、レビューを一つだけ取り出して見ただけでは、真実の一部しか見えないということなんです。
 ある単品のレビューが言い表しているのは、あるユーザーさんにどう作品が受け入れられたかであって、一部分です。他のタイプのユーザーさんにはどうだったか、ということはレビューを1つ読んだだけではわからないんです。単品のレビューで、そこまで指摘しているものは本当に少ないんです。
 インターネット上のレビューというのは、パズルのピースみたいなものです。
 全部集めると、ゲームがどのようにユーザーさんに受け止められたかの全体像が見えて来る。つまり、パズルが完成するんです。
 だから見る方も、単体ではなく、レビューを複数集めて総体で見るべきなのでしょうし、レビュアーの方も、自分が書いているものは全体の一部分なのだという意識で書くべきなのでしょう。
   

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