初めて男が女と付き合う場合、2つのパターンが多い。
(1)おれはありのままの自分を見せるんだ! と
我が道をゆくパターン
(2)ふられるのは怖いから、とひたすら彼女に合わせる、
彼女の道をゆくパターン
さて、どっちがいいだろう。
硬派か。軟弱か。ハードランディングか、ソフトランディングか。
(1)我が道をゆくタイプ
ありのままの自分を見せるんだ! と言うと、いかにもかっこよく聞こえる。 女に媚びるなんて最悪だ! 男は男だ! と硬派の匂いが漂ってきて快感を誘う。
しかし、ちょっと待て。
恋愛は相手あってのもんだぞ。
ところが、「おれはありのままの自分を見せるんだ!」という言い方に、相手はない。見せられる相手のことはどうするつもりだ? 女は、なんでもかんでも受け止められるわけじゃない。許容度、包容力にも差はある。包容力もある女性なら、ありのままの自分をぶつけてもうまくいくかもしれないが、そうでない場合は終わりだ。「ありのままの自分を見せる」という美名のもとに自分をぶつけて、その結果得たものは別れという悲惨さ。最後に涙するのは男なのだ。
なぜ、そうなるのか。
答えは簡単、相手のことを考えなかったからだ。
彼女を失うのは怖い。でも、あからさまに彼女のご機嫌取りをするのは癪に障る。それで反動的に相手のことを全然考えない方向に走る。不器用なタイプである。
(2)彼女の道をゆくタイプ
我が道をゆくタイプとは逆に、とにかく彼女に合わせる、女に従順なタイプがいる。
「君の好きにしていいよ」
な〜んて彼は言う。相手のことも考えてくれる。というか、ひたすら合わせてくれる。いかにも相手のことを考えているように見えるが、だまされてはいけない。
彼女のことなんか考えていないのだ。
自分が彼女に嫌われないように動いているだけなのだ。思いやりを偽装した自己チュー。彼女を失うのが怖いから、相手の意向を聴いているだけ。軟弱なること限りなし。自分なんてあったものではない。
彼はひとつの勘違いをしている。
女がほれるのは、相手が男だからである。女々しいからほれたわけではない。嫌われたくないと思えば思うほど、女は彼に魅力を感じなくなってしまう。自分にきついことも言えず、謝り、肯定してばっかり。ひたすら従順な男に、女が魅力を感じつづけられるだろうか?
かくして、男はふられることになる。どうして? と尋ねる男に、女は答える。
「やさしすぎたから」
それは、あなたが男らしさを失ったからと言われているのだ。
我が道をゆくタイプも、彼女の道をゆくタイプにも、共通しているものがある。
それは、
彼女を失いたくないという気持ちだ。
ただ、その気持ちの向かい方・表れ方が違うだけだ。反動的な方向(一切女を構わない方)か、保守的な方向(一切女にかまける方)か。
どちちも、ともに他者がない。同じ穴の狢。どちらがいいという問題ではないのだ。どちらも、ともに低レベルなのだ。
恋愛は自分だけでするものではない。
相手あって成り立つもの。相手とするものだ。
自己チュー脱却。偽装で考えるのではなく、相手の立場、相手の受け止め方を考えること。
自分をさらけだすのも、相手を見ながらにしよう。「おれはありのままの自分を見せるんだ!」と叫んでいる人。
釣りをするとき、あなたは釣り竿を池に垂れるや、「おれは釣りたいように釣るんじゃ!」といきなりリールを回しますか? それと同じことをしているんですよ。普通は、魚の動きに応じて、回したり戻したりするでしょ?
相手にひたすら合わせるのも同じ。彼女に従う人。あなたがしているのは、
魚に釣られることです。「ぼくは魚を傷つけたくないから」と言って、だれが池の底に引きずり込まれますか?
終わってしまったら終わり。
別れてしまったらそれはそれで仕方がない。いい意味での覚悟からスタートすること。やみくもに、喪失を怖がらないこと。そしてなによりも、
相手を見ること。女だっていろいろいるんです。あなたの思い込みで行動したって、しくじるだけですよ。