◆モノリスの神話 1999.9.3
   
 まず、前置き。
 『Gamer’s Life』というメールマガジンがある。
 エロゲー専門のメルマガだが、そこで恋愛ゲームTomorrowという記事があった。 その第九回のテーマが、「顧客満足の達成と作品性との関係」であった。
 本稿は、それへの反論としてGamer's Lifeに掲載されたものです。
 では、実際の内容をどうぞ。

 秋風碧さんの「恋愛ゲームTomorrow(第9回)」について少々。
 話をする前に、知らない人のためにも、まず確認。
 第9回のテーマは「顧客満足の達成って、作品性とどう関係してんの?」ということだった。
 作品性というのは、作り手から受け手に向けて放たれた何らかの「メッセージ」のことだ、と秋風氏は言う。だが、この定義は誤解を招きやすい。秋風氏は作品性を「心の最も深い部分を揺さぶる『何か』」とも言っているからだ。このあやふやさが議論を空転させている。そのことはあとで詳述するとして、要約に移ろう。
 顧客満足と作品性はほとんど同じものだと秋風氏は言う。
 ところが、美少女ゲームには「萌え」と「媚び」というものがある。この2つは作品性=「心の最も深い部分を揺さぶる『何か』」とは相いれない。
 でも、ユーザーはその2つをよろこんでいる。顧客満足から見るともちろん2つは肯定事項だ。
 するとそこで問題が発生することになる。「萌え」と「媚び」をめぐって、顧客満足と作品性(=「作り手から受け手へのメッセージ」)が食い違ってしまうのだ。
 恋愛障害者のための補償装置として美少女ゲームが機能してしまっている以上、「媚び」は不可避だ。では、どうするか。
 秋風氏は、実力のあるメーカーだけでも「媚び」を脱却して「生きた」恋愛のゲームを目指してほしいと言う。そして、それが真の意味での顧客満足になるのだと結んでいる。

 要約としては以上だ。では、反論に入ろう。
 (1)定義の曖昧さが作品性と顧客満足の議論を空転させている
 作品性がメッセージなのか、心を揺さぶるものなのか、はっきりしない。
 もし心を揺さぶるものならば、「萌え」と「媚び」をめぐって作品性と顧客満足が対立することはない。「萌え」はキャラクターへのフェティシズムであり、それはゲームへの満足につながる。また「媚び」は美少女ゲーマーの心を揺さぶるための装置であり、これまた顧客満足とつながるからだ。
 では、逆にメッセージだった場合はどうか。
 作品性と顧客満足の間には直接的連関がなくなる。メッセージ自体が多様であり、したがってそれに対して好意的反応を起こす受け手は選ばれてしまうからだ。メッセージが即顧客満足とつながっているわけではないのである。
 さらに言えば、秋風氏が指摘する通りに人が受容可能でかつ好む「物語」が、その人の文化的・社会的背景、嗜好、心象など彼が有するバックグラウンドによって決まるとするならば、メッセージは確率的にしか届かない>ということになる。そんな状況では、顧客満足はロシアン・ルーレット状況と変わらない。満足するかどうかは、届いてみなきゃわからない。

 (2)「生きた」恋愛ゲームは真の顧客満足にはなりえない
 「媚び」を脱却した「生きた」恋愛ゲームは、恋愛障害者という受け手にとってそれこそ「つまらないもの」だろう。秋風氏の指摘が正しいとすれば、恋愛障害者は幼児性・無垢性への志向があるということになる。それは「生きた」恋愛ゲームとは反対のベクトルに位置するものだ。恋愛障害者からすれば「生きた」恋愛ゲームはブーイングものである。面白いと思ってくれるのは恋愛健常者だけ、という寂しい状況になる。
 この状況では、なぜ「生きた」恋愛ゲームへの方向が真の顧客満足になるのか、疑問だ。

 (3)ポストモダン的進行
 市場は一枚岩ではない。恋愛を軸にして見るなら、恋愛障害者と恋愛健常者がユーザーを二分している。といっても、大勢は恋愛障害者のほうにあるというのが大方の見方かもしれない。
 この状況は恐らく変わらないだろう。
 「媚び」の問題は「今後の美少女ゲームが恋愛健常者向きのものを指向していくのか、依然として恋愛障害者向きのものを指向していくのかによって変わってくる」と秋風氏は指摘しているが、疑問だ。
 社会が急速に断片化され、細分化してしまった現在のポストモダン的状況では、恋愛健常者向きの指向と恋愛障害者向きの指向が同時に並立していくというのが正しい見方だろう。日本人ならだれでも知っている「歌謡曲」という存在が80年代末に消え、現在ではポップならポップ、演歌なら演歌とそれぞれの「島」において勝手に盛り上がっている状況が訪れている。だが、ポップ島の人間は演歌島の人間のことを知らない。演歌島の人間もまたポップ島の人間のことを知らない。日本というモノリス、一枚岩は無数の島々に砕け散ってしまったのだ。
 美少女ゲームもまた然りだ。ソフトのリリース数が増殖しすぎたため、ポストモダン的状況に陥っている。そのなかで、恋愛障害者指向か恋愛健常者指向のどちらかへ変化していくことは想像しにくい。業界全体がモノリスのようにある一つの方向へ向かうということは、もはや望めない。美少女ゲームは、志向的に恐らくばらばらに進行していくだろう。

 メールマガジン『Gamer’s Life』第69号掲載

なお、文中の「恋愛障害者」「恋愛健常者」は、秋風碧氏の表現をそのまま使わせていただきました。
 

モノリスとは、一枚岩のこと。

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