◆世紀末、参加型のクリエイター 99.8.14




 またまた面白い言説を見つけたのでご紹介。ひかわ玲子というファンタジー作家の『ひかわ玲子のファンタジー私説』(東京書籍)からの抜粋です。

 時々、小説家になりたい、どうしたら小説家になれるのか、と問いかけてくる人がいます。どうして、小説を書きたいのか、と問い返すと、小説家になることが憧れである、などというとんちんかんな答えが返ってくることがあります。
 普通、小説を書く、ということについては、動機が、モチベーションがあるはず、とわたしは思うので、その動機について、わたしはさらに問います。
「どうして、何を書きたくて、小説を書くの?」
「何を主張したくて小説を書くの?」
 すると、小説はおもしろいから、小説を書くのはおもしろそうだから書きたい、といった答えが今度は返ってきたりします。
 何かを主張するために、虚構を築きたい、というのはわかるのです。さんざん説明して来たように、その中心に現実の主張がなければ、虚構は無意味です。おそらく。本来的には。
 でも、どうも時々……わたしは、小説を書きたい、あるいは小説家になりたいという願望に、主張をしたい、という欲求以外のものを感じ取ることがあります。(中略)なんというのでしょうか。わたしは、それを”参加する感覚”と呼んでいます。決して、何かを主張したいのではない、ただ、他人と主張を共有したい、あるいは大きな何かと自分とを同一化して、主張した気分を味わいたいのかな、という感じでしょうか。
(中略)
 なぜ、小説を書くのか。さしたる、小説を書く、物語を作る、というモチベーションをもたなくても、「小説家になりたい」と願う。おそらく、この「小説家になりたい」の”小説家”は、”イラストレーター”であってもいい、”声優”であってもいい、という人がかなりあるのではないか、とわたしには感じられることがあります。なんらかの形で、仮想現実であるカルチャーに関与したい。心地よい虚構という現実に、参加し、関与する、ということは、目の前にある現実に参加する以上に確かな手応えがある場合が、可能性があります。

 ううむ、と唸ってしまったよ。
 今のクリエイター志向って、ひかわ玲子さんの言う通りやん。カルチャーの創造に関係しているんだ、と思いたい人って、結構多いんやないかな。同人が流行ってる理由の一つが、ここにあるかもしれん。夏コミ・冬コミも言ってみたら参加型のサブカルチャー創造やしな。美少女ゲーム作りたいって面々にも、こういうの多いと思うよ。
 ソフトハウスにおった頃ね、ときどき電話掛かって来たりするんよ。「入りたいんですけど」って。
 希望の職種はなんですかって聞くと、「何がありますか?」。説明すると、「じゃあ、CG」。CGは今募集してないんですよ、と答えると、「じゃあ、シナリオ」。
 「じゃあ」とはなんやねん。
 結構、こういうのってどこのソフトハウスも経験してることなんよね。世の中変なやつが多いな、なんて話をしてたけど、ひかわ玲子さんの文を読んで頭スッキリぃ! ただ、「参加」したいだけなんやな。
 参加するクリエイター。
 昔はクリエイター=もの作る人言うたら「主張する人」やったのに、嘆かわしきことよ。「クリエイターになる」ことと、「クリエイターである」ことは違うのに。
 ちなみにひかわ玲子さんはこんなことも言ってたりする。

 これは、別に、小説の世界だけでなく、たとえばアニメや、過激な主張をもつビジュアル系のロック・グループのファン集団の中でもよく起こることであるような気がします。

 一部の女性同人コミック作家と、ビジュアル系ファンがともに全身黒装束なのって、ただの気のせい?

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