皆さん今晩は 素晴らしい好天気がつづいています。桜は各地で10日も早い満開となり、春霞もともない素晴らしい花見を楽しめたことでしょう。
4月5日は24節季の「清明」です。清明とは「清浄明潔」の略で「万物ここに至りて皆潔斎にして清明なり」という意味があります。満開の桜をみると、全てのものが生き生きしているように見えるなぁ、さあ、花見だ!ということでしょうか。「こよみ便覧」には、「万物発して清浄明潔なれば、この芽は何の草としれるなり」と記されています。期間としては、この日から次の節季の穀雨前日まで15日間で、この頃季節的にすがすがしい南東の風が吹くので、清明と名ずけられました。 草木清明、風光明媚
RI2680地区ガバナー瀧川好庸さんのガバナー月信No.8からです。(勝手な抜き取りですが悪しからず・・)
新会員のシェルドンも、カーター同様改革派でした。奉仕と拡大を説きハリスも賛意をよせるのですが、クラブそのもののスタートが互恵親睦ですから、奉仕に対する理解がなかなか得られず、両派は例会で激しくぶつかります。この大揺れの議論の最中に、ラグルスが歌を歌い出します。この歌で例会は平静を取り戻し、以来ロータリークラブの例会で歌をうたうという伝統が生まれたといわれています。
緊迫した状態もやがて均衡を失いハリスは1908年10月に、任期途中で会長辞任に追い込まれ、シェルドンも情報拡大委員長の任を解かれ、親睦互恵派が有利になり始めます。この間もロータリークラブは増殖を続け1910年には全米で16を数えていました。この状況を見たペリーは、更に増殖しようとするクラブを連合体と組織し、この連合体の執行部に、ハリスとシェルドンを迎えます。
連合会初代会長についたハリスは、その就任挨拶で会員全員に迷惑をかけた反省の言葉を述べ、親睦と奉仕はどちらが上、どちらが下という関係ではなく表裏一体であり、ロータリーは親睦と奉仕の調和の中に宿ると悟ることになります。ここにロータリーの理論といえる理論が出来てくるのです。ロータリーの思想の原点ができあがったのは、1910年頃のことであり、創設から5年間は試行錯誤の期間でありました。 |