皆さん今晩は。寒い寒いと言っていた如月2月も終わり、今日から弥生3月です。この声を聞くと何だかはや暖かくなるような錯覚に陥りそうですが、三寒四温の謂れの通りまだ安心出来ず、うまく対応していくしかありません。
平昌五輪では日本の冬季五輪史上最高のメダル数を獲得し誠に目出度い限りです。ことに女子種目の大変な活躍で、誠に賑やかに、華々しく日本にとっては大変盛り上がった冬季オリンピックでした。ここに至るまでの裏話の放映を見る度に、すさまじい鍛錬と、この競技に向けての精神訓練などに、涙なしでは見られないような長く厳しい時間があったことを思い知らされます。選手の皆さんは、すぐに次の大会に向け出発したり、練習に入ったりしておられることだと思いますが、これが本命とはいえ頭の下がる思いです。 RI2680地区ガバナー瀧川好庸さんが、ガバナー月信No2から1年かけて『ロータリーその初期にロータリーの心を学ぶ「変われるものだけが生き延びられる」』と題して、誕生以来112年の歳月を経て今日に至る、ロータリーの誕生から学び、どう変遷し育ち、今日に至ったのかを追いかけてみたいと言われています。皆さんももちろんお読みのことと思いますが、No8まで既に7回連載されており、話はかなり進んでいますが、感銘するところがありますのでほんの一部を紹介します。
国際ロータリーは創立時、たったの4人でした。それが110年の星霜を経て、会員120万人を超える世界的な組織になっています。なぜロータリーが誕生したのか、その背景や理由、ついで、この大発展へとつながったのはなぜかを探っていきたいと言っておられます。
ロータリー発祥の地はシカゴは、1833年には人口200人にすぎない寒村でした。30年を経ずして6万人の一大都市に変身したのは2本の運河が開かれ、目鼻の利く土地投資家が雪崩込む。鉄道が敷設され、シカゴは一挙にアメリカ内陸部の交通の要衝に発展する。ヒト・モノが集積し、穀物の一大集散地や最大のストックヤード(牛囲い)設置、穀物・畜産の大中心地になる。鉄鋼床も点在し、鉄鋼業も著しく発展、19世紀中葉以降のシカゴは大活性化で沸き立つ大都会でした。人・物・金が集まり、一攫千金・アメリカンドリームを求め東部や大陸からぞくぞく人が集まりました。
ポール・ハリスは弁護士で、卑しい人間の、殺伐たる相談ばかり。彼は心安らぐ、心癒される友が欲しかった。安心して仕事が出来る状況がほしかった。そうした中で、ハリスは良い友達がいないか探し、洋服商ハイラム・ショーレ、石炭商シルベスター・シール、鉱山技術者ガスターバス・ローアとローアの事務所に集い、胸襟を開いてつきあい、信頼して仕事を融通し合う4人の仲間を作りました。自己防衛のための親睦と相互扶助、これがロータリーの始まりだったのです。
当時のシカゴにはハリスたちのように人間的な暖かさを求め、安心して仕事がしたいという思いを抱く実業家は多かった。それはハリスたちのようなグループがかなり数多く誕生していることからも伺えます。以下は何時かに・・・ |