皆さん今晩は。昨日来、急に暖かい日が続きます。気候の急変には体調管理に十分お気をつけください。
前回、第23回例会では、“人生100年時代”の話をしましたが、今回は今から約二百年前、江戸時代後期の絵師で90才まで活躍したと言われる「葛飾北斎」の話です。
「七十年前画く所は実に取るに足るものはなし」(70才前に描いた絵は実に取るに足らないものだった)75才時に出版した「富嶽八景」の跋文(あとがき)にそう記した。当代随一の人気絵師が自ら、70才以前の画業を否定したものです。跋文はさらに続きます。「七十三才にして稍其禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり」(73才で動物や草木の姿がいくらか分かるようになった)、「九十歳にして猶其奧意を極め」(九十歳になれば奥義を会得し)、「百有十歳にしては一点一格にして生けるが如くならん」(100才をかなり超えた頃には、作品一つひとつが生きているようになるだろう)75歳から自分の絵はまだまだ進歩し続ける、これからが本番だ。という宣言である。
葛飾北斎(1760年〜1849年)は、江戸本所の割下水(墨田区亀沢あたり)に生まれ、19歳で浮世絵師・勝川春章に入門、1流1派にこだわることなく、様々な画風や画題に挑戦し、雅号も30回ほど名乗り変えた。住まいも90回以上引越ししたという。創作に没頭して他のことに無頓着な暮らしぶりだったようだ。
70歳を過ぎて富士山をテーマとした風景画「富嶽三十六景」を世に出す。75歳時の作品「富嶽百景」の跋文では、「画狂老人卍」と名乗っている。
北斎は90歳まで生きた。当時としては異例の長寿だが、臨終の床ではなお、こう言い残したという。「あと5年あれば、真の絵師となったものを・・・」 |