先週は、日本酒の始まりについて話しました。酒づくりは女性の仕事であったこと、しかも神にお供えする「御神酒」は若い未婚の女性の噛んだ米を吐き出して作った酒でなくてはならなかった、とのことでした。こうした酒づくりの裏には、日本人独特の女性崇拝の信仰があった、とも言いました。
ところが、日本は父系社会だと考える傾向にありますが、その考えは必ずしも正しいとは言えません。なぜかと言いますと、神事にかかわることもそうですが、平安時代までの日本は「妻問婚(通い婚)」や「招婿婚」が行なわれていた母系社会でした。
鎌倉時代になって武士の世界は父系の象徴だったと言えるでしょう。しかし、商家では跡継ぎには実子でなく、優能な婿養子・娘婿を迎え入れて家業を継がせるという「養子」制度がありました。そのため、商家では女児が生まれるのを望んだとも言われます。有能な婿養子を選べるからです。武家でも血統にこだわらず、婿養子を取ったようです。現代でも経営者や名家が婿養子を迎えることはめずらしくありません。中には二代、三代にわたってということもあります。こうした制度は母系社会の流れに乗っているといってもよいでしょう。
篠山出身の河合隼雄先生(臨床心理学者・元文化庁長官)の名著『母性社会日本の病理』もそのタイトルからして一目瞭然です。河合先生はヨーロッパの父性原理の社会に対して、日本は母性原理が優位な社会だとの説を唱えていらっしゃいます。
豊かな自然で海に囲まれた島国、稲作中心の農耕社会、集団主義、情緒的思考、察し(場の空気を読む)の文化など日本社会は、ヨーロッパのように強力なリ−ダーがぐいぐい引っ張っていく率先垂範型の父性社会というよりは、調和や協調を大事にする母性社会と見るのが妥当です。
明治の時代になって、『家父長制』が確立されたではないか、と言う御仁もあろうかと思いますが、一家の金銭管理は嫁または姑がやっていたし、育児の権限・責任も母親または祖母です。こうしたことから、みかけだけの家父長制だ、という学者もあります。
やっぱり、日本社会は父性原理よりも母性原理の強い社会です。そこからどんな「病理」が発生するかについては、河合隼男先生の名著、『母性社会日本の病理』をお読みください。
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