大阪の森友学園の問題をめぐって「忖度」という言葉が国会でもよく使われるようになりました。忖度とは、人間関係における実に日本人らしい心情を表す言葉です。日本の社会では日常的に行われているといってもよいかも知れません。例えば、会社や役所などの会議や仕事のうえでも上司の「思い」や「意向」を忖度して発言したり、行動するといったことはよくあることです。上司からすれば、「愛いやつじゃ」となるわけです。また、上司が部下の「希望」や「願い」を忖度すれば、「みなまで言うな、まかせておけ」となります。
常識的には下位の者が上位にある人に対して「意をおしはかる」ことではないかと思います。「魚心あれば水心」もこれに近い心の動きと言えるでしょう。「日本の文化は察しの文化」とも言われる所以です。
それにつけて思い出すのは、歌舞伎の十八番のひとつである『勧進帳』です。そのあらすじは、源頼朝に謀反を疑われた源義経が奥州・平泉へと落ち延びる途中、武蔵坊弁慶を先頭に山伏姿で安宅の関を通り抜けようとした時、関守の元にはその情報が届いており、「通行罷りならぬ」となります。そこで、弁慶は白紙の巻物を取り出し、勧進帳であるかのように読み上げて、通行しようとしますが、関守は強力(ごうりき)に身をやつした義経を見て「義経に似ている」と言って通行を認めません。弁慶はその疑いを晴らすために主君の義経に向かって「お前がいるために疑われるのだ」と金剛杖で叩いて、無礼を働きます。関守は弁慶の嘘をみやぶりながらも、その心情をおしはかり、(忖度して)騙された振りをして、通行を認めるという話です。
義経と知りつつ弁慶の胸中を察した関守の取った行動は、私たち日本人は美談と受け止めますが、アメリカ人は関守の行動は職務違反としか解釈しません。
話を現実に戻して「森友学園」より、さらにさらにスケールの大きい「官邸最高レベルの意向を<忖度>」したのが「加計学園」の獣医学部だと伝えるマスコミもあります。「忖度」も功罪相半ばするものなのでしょうか。
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