自動車王、ヘンリー・フォードが1926年に著した『わが一生と事業』という本の中で、「ときどきデザインを変更することよって古いモデルが陳腐なものとなるようにしたり、古いモデルを修理する部品がなくなったとか、新しいモデルを巧みに宣伝して買わなければならないようにすることが、よい製造方法であり、また倫理にも反しないと考えられている。こういうのが上手な事業であるとか、また事業の目的は人々をしてしばしば買うようにさせることであるとか、何でも長持ちするように作ろうと努力することはへたな商売である、と聞かされてきた。
われわれの事業の原理はこれとは全く対立する。われわれはできるだけ長く使用に耐えることのできる製品を作るという以外に、どう考えても顧客に奉仕する道を見出すことができない。顧客が買った自動車を陳腐なものにするというのはわれわれの喜ばないところである。われわれの製品の一台を買った人は決してそれ以上買う必要がないことをのぞんでいる。
われわれは以前のモデルが、もはや古くさくて役に立たないものだとするような改良は決して行わない」と述べています。
長い引用になりましたが、ここから先は、経済については全くの素人であることをことわったうえでの、私の感想です。フォードがこの本を著したのは今から91年前のことです。彼も言っているように、当時、次から次へと新製品を買うようにさせることが事業の目的であって、長持ちするように作ることは下手な商売だと言われていました。しかもそれは商売倫理にも反しなかったのです。
今の世の中も消費者の購買意欲をあおることによって経済を活性化しています。しかし、フォードはこの原理とは全く逆で、できるだけ長く使ってもらえる製品を作ることがわれわれの事業の原理だと言っています。そしてここがロータリアンの末席を汚している私の心に響くところですが、「それ以外にどう考えても顧客に“奉仕”する道を見出すことができない」という件(くだり)であります。奉仕ということばが使われています。ロータリーでいう“奉仕”の概念は、これとは別物なのでしょうか?
あれから100年近く経っていますが、「もうそれは古い」として消費を拡大することが経済発展に繋がると言う原理と、全く逆に永く愛用してもらう製品を作ることが顧客への奉仕の道だと言うフォードの信念の間に生じる私の葛藤はまだまだ続きます。 |