■4つのテスト
1.真実かどうか。2.みんなに公平か。3.好意と友情を深めるか。4.みんなのためになるかどうか。
今回例会プログラム 次回例会プログラム

2月23日
クラブ懇話会
シークレットスマイルデー

3月2日
会員卓話
関口会員


■2017年2月16日(木) 晴れ  第28回  No.1295

点鐘(18:30) お客様  歌
大前会長



「我等の生業」


■会長談話

  今宵はプロバスクラブ・せせらぎ会と三田南ロータリークラブとの合同例会です。この日が来るのを待っておりました。せせらぎ会の皆様、どうぞくつろいでいただいて、お楽しみください。
 さて、今日は「生と死」についてほんの少しだけ触れてみたいと思います。縁起でもないと、思われるかも知れませんが、人がどんなに華やかな人生を送ろうとも、その最後の幕は死であることは言うまでもありません。
 日本人の死生観には宗教や哲学がないといわれていますが、死をどう迎えるかということに関心を持つことはとても大事なことだと思います。
 脚本家の橋田寿賀子さんが90歳になって「私は安楽死で逝きたい」と公表したことも話題になりましたが、以前から日本では、尊厳死、あるいは安楽死についても議論が遅れていて、少しずつ先進国に追いつきつつあるところです。
 ところで、論語に『未だ生を知らず いずくんぞ 死を知らん』という言葉があります。皆さんご承知の通り「生を知らずに、どうして死を理解できようか」が一般的な解釈ですが、それは違うと言う人があります。「死を知らずして、どうして生を理解できようか」というべきだ。人生がたった一回限りの大事なものであることを「死」によって理解していくのが人間の智慧なのだ、と言うのです。この説を唱えるのは親日家で元台湾総督の李登輝です。大病して悟りの境地に至ってわかった、とのことです。彼はクリスチャンでもあります。
 正岡子規は『悟りとは いかなる場合でも 平気で死ぬることかと思っていたが、それは間違い。悟りということは いかなる場合でも 平気で生きていることだった』と言っています。
 人間以外の動物は死後の世界には関心がありません。今を生きるだけです。動物たちは、すでに悟りの境地にいるのでしょうか。   
 李登輝の言葉と正岡子規の言葉をどう解釈したらよいのか、悩んでしまいます。


■幹事報告 
1.

ガバナーエレクトより、委嘱状の送付と2017-18年度、地区委員会の記入依頼が届いております。

2. 地区ガバナーより、第1回日本RYLAセミナーロータリアン参加のお願いが届いております。

3.

地区ガバナーより、在籍、連続出席確認のお願いが届いております。
4. 地区ガバナーより、地区大会の内容決議(案)が届いております。
   
■委員会報告
●出席委員会
会員数 出席会員 出席率 前々回修正
出席率
7名

5名
(免除1名)

88.88%

100%

 
本日の欠席者:柳田会員
前々回のメークアップ:なし

 

 

■ニコニコ
大前会長 せせらぎ会の皆様を歓迎して!

■本日のプログラム

プロバスクラブせせらぎ会との合同例会