皆さんこんばんは。4月も最後の週になりました。雨の日が続きましたが、ようやく春らしくなってまいりました。
今年は雨で花見はもうこの辺では桜が散ってしましました。日本人にとって花といえば桜でしょうね。桜は日本を象徴する花でもあります。万葉集にこれを愛でる歌があることからも平安時代にはすでに貴族たちによって花見が盛んに行われていたことがわかります。しかし、ひろく庶民にまで花見が広がったのは八代将軍徳川吉宗が飛鳥山や隅田川の土手などに桜を植樹した江戸時代からのことではないでしょうか。江戸っ子たちはこぞって花見に出かけ、桜の下で歌や踊りを楽しみながら持参の弁当を食べたのでしょう。花見団子という言葉もこの頃から使われ始めたと考えられます。地方においても花見で飲食をする習慣はあり、折口信夫によれば、春先に花を愛でて、その花の咲き具合から作物の豊凶を占ったと言っています。つまり、農耕民族である日本人にとって、花見は越年の生存に関わる重要な年中儀礼だったのです。しかし一方では、桜のイメージに死がつきまとってもいます。梶井基次郎が「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と表現したのは、その好例であります。もちろん桜イコール死という考えは、明治以降の戦時期における国家主義的イデオロギーに利用されたという意味も含まれていたでしょう。しかし、梶井が見抜いた桜イコール死というセンスは、あるいは日本の神話に由来する深い洞察であったということもできます。古事記によれば、天孫降臨で日本の地に降りてきたニニギノミコトが桜の精であるコノハナノサクヤ姫を妻に選んだ罪によって、その子孫(天皇・日本人)は永遠の命を断念させられることになったという件があります。4月29日は、地区協議会です。ご出席される方々はよろしくお願いいたします。以上会長談話を終わります。ご清聴ありがとうございました。 |