皆様今晩は。11月24日(月)に第8回骨髄バンク&さい帯血バンク支援チャリティゴルフに行って参りました。柳田会員、下山会員、川上会員と雨の中、社会奉仕事業の一環として協力をさせていただきました。
さて、今から10年程前になりますが、「キレる子どもたち」という言葉がマスコミに取り上げられていました。一見普通に見える比較的おとなしい子供たちが、何かをきっかけに突然豹変して、傷害事件や殺人事件をおこしたことを評して「キレる」という言葉がつかわれていたようです。以来、子供たちはすぐに、「キレる」という言葉を使います。ところが、最近マスコミ報道によりますと「キレる大人」が多くなってきていると報告されています。大人の条件は、仏教的にいうならば、身(行ない)・口(言葉)・意(思い)の三業の有様が整っていることでしょう。「業とは、身体・言語・心による人間の働き・行為。行為は必ずその結果をもたらし、また現在の事態は、それを生む行為を過去に持っているとする思想です。」慈悲と智慧に裏付けされた三業を確立することが、社会を生きる人としての目標となります。しかしこの大人が現代社会の中ではどんどん少なくなってきております。社会の中で、日常語となったこの「キレる」という言葉の意味について、考えたいと思います。キレるとは、「つながり(縁)が切れること」だと考えます。つながりには三つあります。「人とのつながり」、「大自然とのつながり」、そして「自分とのつながり」です。この三つのつながりは、個別にばらばらにして捉えることはできません。つながりを実感できなくなると、人は時として生きるつながりを失い、自他の命を切り捨ててしまうことがあるようです。現代社会は、このつながりを積極的に切る方向に進んでいるようです。生産効率や費用対効果ばかりを優先する社会の風潮は、その元凶のひとつのように思われます。私たちが今なさなければならないのは、一つひとつのつながりをしっかりと結び紡いでいくことなのではないでしょうか。ご静聴ありがとうございました。
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