皆さんこんばんは
本年も8月15日の終戦記念日を迎えました。
あの忌まわしい戦争、そして敗戦から早や61年の歳月が経過しました。
マスメディアでは、総理の靖国神社参拝の是非をめぐり、連日物議をかもしておりますが、戦争体験者のひとりとして、今回発売されました「語り継ぐ7000日、昭和と戦争」というタイトルのビデオを購入いたしました。
私は、当時小学4年生で、「撃ちてし止まぬ」「鬼畜米英我等の敵だ」「欲しがりません勝つまでは」「この感激を増産へ戦い抜こう大東亜戦」など、数々の戦意高揚の標語のもと、現在の子ども達とは比較にならない、徹底的な戦時教育や軍事教練を受けました。
中学生になると軍需工場への学徒動員と苛酷な日々を送りました。
日常用品の欠乏は極限に達し、その中で、昭和17年2月15日、シンガポールが陥落し、その戦勝のお祝いとして頂いた小さなゴムボールの柔らかな感触は60年余り経った今日でも覚えております。
昭和19年、戦況は更に厳しさを増し、当時中学生だった私達の日課は、強制疎開と称して、焼夷弾攻撃による延焼を防止する為、住宅密集地帯の解体要員として繰り出され、学業は二の次の毎日でした。
昭和20年に入りますと、攻撃の頻度は日増しに増え、爆弾、焼夷弾はおろか、朝の通学電車には、ロッキーP38型戦闘機による機銃掃射を浴び、帰りの駅では、グラマン戦闘機の機銃掃射を避けるため、阪急電車の石橋駅のプラットホームのコンクリートの厚みで九死に一生を得た経験があり、青春時代はあるはずも無く、戦争犠牲者の一人でもあります。
めぐり来る8月15日を迎える度毎に、毎年のように戦争の悲惨さを思い出しております。
現在、停戦中のレバノンとイスラエルの戦闘が終結し、ロータリーソングの中にある平和の尊さをすべての人達が味わうことを念じつつ、本日の会長談話を終わります。
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