皆さん こんばんは。
本日は、暦の上では大寒にあたります。 この近辺でも雪の情報が聞かれます。
IMも近いことですので、寒い中の体調の維持に配慮されることを祈ります。
今日は、「阿吽の呼吸」についての話をさせて頂きます。
かなり以前のことですが、テレビの対談でヤクルトの古田選手と高津選手が、この阿吽の呼吸について論じていたのを耳にしたことがありました。
緊迫した場面で登板することの多いクローザー高津の表情でその日の調子が判り、2〜3球の投げたボールでその日調子の良いボールの判定がなされる。即座に彼が投げたボールをサインとして出し、息が合った時は良い結果、逆の時は結果が出なかったと。
これが、一流選手同士の阿吽の呼吸である。
そもそも、阿吽とは何か・・と言うことですが・・・。
これは仏教用語で、「阿」とは、口を開いて発音する最初の存音で、「吽」とは口を閉じて発音する最後の字音となります。
仏教では「阿」を、悟りを求める心(菩提心)とし、「吽」を悟り得た最後の境地(涅槃)にあたるとあります。
寺院の山門の両側に仁王像がありますが、左の方が口を開き、右の方が口を閉じているのに出会います。 神社の狛犬もそうであります。
このことも「阿吽の呼吸」を表し、悟りの世界を表わしているとされます。
ロータリーに身を置く者同士がことを成す時に、意思の疎通の有無が問題視されることが多々あります。暗黙の了解、音声無き対話、阿吽の呼吸なるものがあってしかるべきではないでしょうか。
それが、ロータリーの度量の尺度となり、寛容を売りとするロータリーの真骨頂ではないでしょうか。
我が南クラブに於いても、もっと鷹揚朴素の姿勢が自由に闘歩出来る雰囲気も必要ではないかと感じています。
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