4つのテスト
  1.真実かどうか。2.みんなに公平か。3.好意と友情を深めるか。4.みんなのためになるかどうか。
今回例会プログラム
次回例会プログラム
7月31日
卓話 味地会員
8月7日
会員増強月刊にちなんで
(会員増強・選考委員会)
今日のソング「 四つのテスト 」
中辻会長 山内幹事
岡林40周年実行委員長
林田委員長
塔下 真次様
塔下様  柴田会長
 
■2003年7月17日(木) 晴れ  第659回  No.3
点鐘(18:30) お客様
柴田会長 塔下真次様(三田RC)
中辻 剛様(柏原RC会長)
山内 悦男様(柏原RC幹事)
岡林 克昌様(柏原RC)
中島 忠様(三田RC)
住谷 義弘様(三田RC)
小西 正明様(三田RC)
 「 それでこそロータリー 」 
■会長談話

皆さん こんばんは。 と言っても外はまだ昼間のようですが...

 本日は、柏原RCより中辻会長、山内幹事、岡林40周年実行委員長の3名様、三田RCからは中島、住谷、小西の3名様にお見えいただいております。いらっしゃいませ。

 本日のプログラムは前三田市長の塔下真次様をお招きしまして、たっぷりとお話しをいただきたいと存じます。

 過日、激戦の三田市長選も終わり岡田市政が2期目に入りました。その直前、5期20周年に渡り、今日の三田市の礎を築かれました同氏の思い出話、ご苦労話等のお話しを会員一同楽しみに聞かせていただきます。 後程よろしくお願い申し上げます。
 先週、先々週と各委員会からの今年度の基本方針、活動計画を発表していただきました。ご苦労様でした。 すべての発表者に対して敬意を表したいと思います。

 本年度、私共のクラブは15年目を迎えております。節目の年ということになります。節は固くしっかりしたものでなければなりません。是非、発表内容の実現に対してご尽力賜りたいと存じます。 ”言うは易し、批判も又易し、が、行うは難し”ひとつでも行動に移して困っている多くの人に「手を貸そう」ではありませんか。

 今年度、大前会員が2680地区のR財団委員会の国際親善奨学金委員に選ばれており、ご活躍をいただいております。 全員で拍手でもってそのご苦労に対して敬意を表そうではありませんか。   (拍手) 以上終わります。


■幹事報告
職業奉仕セミナー速報が参っております。 9/6講師は元阪神タイガース監督 吉田 義男氏です。 追加参加 OK とのことです。

■委員会報告
●出席委員会
会員数 出席会員 出席率 前々回修正
出席率
25名 21名 84.0% 84.0%
 
本日の欠席者:  坂口 岸田 坂林 中各会員
前々回のメークアップ:


■ニコニコ
中辻 剛会長
山内 悦男幹事
 お世話になります。 今期も何卒よろしくお願い致します。
岡林 克昌様 お世話になります。 よろしくお願い致します
中島 忠様 風の噂で好きな柴田さんが会長になったとか・・聞きました。本当かどうか、立派にやっているかどうか、メンバーの信頼を得ているかどうか、本日は確かめにやってきました。
住谷 義弘様 お世話になります。
小西 正明様 お世話になります。
柴田会長 塔下さん、本日はありがとうございます。
林田会員 関学 野球部ベスト16 進出 甲子園までもうすぐです。でも、遠い・・・
古門会員 お客様、ようこそいらっしゃいました。
関口会員 岡本さん、柴田さん、谷郷さんお世話になりました。
中嶋会員 本日私事の為 早退致します。

■本日のプログラム

   足跡  塔下真次様

 自分の存在を考えるためには  「歴史を振り返って見る」ことが必要かも  三田市のルーツに参考になるのでは?   結果は50〜100年経過しないと不明である。  心の波風もある そんな事を承知の上で話して見たい。

 山に囲まれた田舎育ちの私は大学卒業後 海の関係の仕事を希望し 港湾局に入った 今 78歳である 私の足跡が次世代の餌になればと思っている。   

  北摂整備局初代局長  ダムの問題  プロジェクト  北摂ニュータウン

 年をとってくると自分は何をしてきたか を考える事が必要

 厳しい選挙を通じて 人の心は完成する。 先礼を受けなければ 市民の心

 羽束山から見ると松林が一望できた その山(1,200ha)にニュータウンが計画されていた   その関連事業として 上下水道 ・ 福知山線の複線電化 ・ ダム ・ 高速道路 ・ 不動産 ・ 下水道設備 ・ 土地改良事業 ・ 武庫川の改修の必要 ・ ニュータウンの開発 ・ 河川改修 ・ 農村部土地改良住宅公団 ・ ウッディー工業団地 ・ 近舞線 ・ 小学校 ・ 中学校 等など

  市長に成りたての頃の新聞記者の質問  「新市長は如何に活動されるのか?」 

  県の坂井知事→貝原知事 ニュータウン開発関連事業には大変協力していただいた。「ホロンピア祭典」等を含め
  私はニュータウンと旧市街地との格差がないように開発するのを目標とした。  

 イベント(三田祭り  レンゲ祭り 神社仏閣 文化 等)を多数行い 旧市民と新市民との交流を大切にした。     
 年に数万人 人口は増加した(北海道から沖縄まで全国から転入された)
 三田農協の貯蓄残高が始め50億円から 最大で900億円に膨らんだ

 勢いある時は うまく転がっていくものだ 

 三田市が中核都市として発展する為には 雇用増進更には産業の振興が必要であった。 ニュータウンの開発には青野ダムの水がめは必須であり これを勧めるために北摂整備局長から 三田市長に転じた。 当初計画されていた福知山線の三田駅移転計画(路線をニュータウンの中を貫通するという計画)は 市長という立場で新聞記者に発表した。

 バブルの崩壊直前にニュータウンが出来た もう少し早ければ三田駅前開発も完成していたでしょうし もう少し遅ければニュータウンの完成は難しかったのでは。
 三田の発展は 日本の経済発達との競争であった。 
 反省を忘れてはならない