2010/01/05更新
| 国家資格関連投稿より 「ひとつの資格」への不安と期待 今井たよか(全心協役員・あるく相談室京都) |
| 2009年x月x日 |
| 情報収集の困難と不安の声 本号(全心協ニュース No.61)の巻頭言にもありますように、2009年に入ってから国家資格化は急ピッチで進展しています。 その展開が速いため、各団体の役員や委員などの立場になければ、十分な情報を入手することが難しく、さまざまな不安の声も聞かれます。 関係する団体が少なくとも50以上はあるため、各団体から伝達される情報のスピードやニュアンスにも差異が生じています。 動きの全体像がつかめず、自分たちはどこに向かって進んでいるのかがはっきりしないと感じられる時もあります。 このように、急速な進展の時期は、関係者が不安になりやすい時期でもあります。 そして、そもそも、今回の動きが、今までにはなかった新しい着地点を目指していることが、これらの不安の背景にはあると思われます。 「2つ」あった歴史 周知のように、当会などを中心とした医療系の資格推進と、日本臨床心理士会などを中心とした汎用性の資格推進という2つの流れが、 さまざまな議論や運動の末に合流した地点が、2005年のいわゆる「2資格1法案」(「臨床心理士及び医療心理師法案要綱骨子」)でした。 関係者の長年にわたる努力に加えて、議員の方々に大変なご尽力をいただき、議員立法を目指した結果として出来た法案でした。 この法案は、2つの流れを統合することは困難との判断から、2つの資格をひとつの法律に並立させる(=2資格1法案)という特別な形式を持つことになりました。 この「2資格1法案」は、もし成立すれば、医療保健領域に2つの国家資格が並立して存在することになる内容を持っています。 言うまでもなく、医療保健領域では、とりわけ生命に緊密に関わる職能集団として、責任の明確な、体系だったチームによる対処が要求されます。 そのような領域に、同じ「心理」の国家資格が2つできると、それら2種類の有資格者をどう活用して良いのか混乱を生じることが危惧されました。 「2資格1法案」の成立に再考を求める声が医療保健領域から上がったことは、このような現場の戸惑いを考えたときに、十分納得できるものでした。 法案の国会提出は、そこでストップしました。 こうした経過から、きわめて困難と思われた2つの流れを統合する努力が再び始まったのです。 新たな目的地「ひとつの資格」 2つの流れを統合する努力は、2005年以降、水面下でさまざまに模索され、2009年になってようやく表舞台に登場しました。 2009年2月から、「3団体会談」(公式名称は「三団体による資格問題についての会談」)と呼ばれる、 日本心理学諸学会連合、臨床心理職国家資格推進連絡協議会、医療心理師国家資格制度推進協議会の代表者会議が、全体の動きを調整する機能を担っています。 前号(No.60)のニュースにもありましたように、この調整の中で、 「2資格1法案」の実現が困難であることが確認され、 新たに「2資格1法案を起点・ベースとした」止揚の形が模索されるようになりました。 その基本的なコンセプトは、今号(No.61)の巻頭言にある通りです。 そして、この調整の輪には、臨床系心理の職能団体・学会だけではなく、基礎系の心理など、「心理学界全体」が参加しつつあります。 すなわち、現在まさに堰を切ったように進展しつつある「ひとつの資格」への動きは、 心理の関係者全体がひとつの目的を目指すという、歴史的な変化を作り出そうとしています。 そして、私は、それは「2資格1法案」の根っこの部分、国家資格創設の本来の目的である「心理の仕事を社会の人々にどのように届けることがベターなのか」 という問いから再出発することではないかと思っています。 「ひとつ」とはどうすることなのか 長年にわたって、「医療系資格を目指す動き/汎用性資格を目指す動き」 「基礎資格としての学部卒資格を目指す動き/高度資格としての修士修了資格を目指す動き」 「基礎系心理学を臨床心理学の基礎と考える動き/臨床心理学の独自性を強調する動き」など、立場の異なる動きの間で議論が続いて来ました。 今回の「ひとつの資格」は、これらの議論の「AかBかどちらか一方を取る」という形で結論を出そうとするものではなく、 「AとBが並立したままに」しようとするものでもないもののようです。 「ひとつの資格」の特徴は、できる限りどちらの良いところも生かして、さまざまな意見が含み込まれる形にしようとしているところにあるようです。 上記の基本コンセプトをひとつひとつ見てみましょう。 @「医療系資格か/汎用性資格か」 基本コンセプトでは ・領域汎用性の資格とする ・医療機関においては医師の指示を受ける資格とする とあります。 これは、「汎用性」すなわち医療・保健・福祉・教育・司法・産業・各種相談機関などさまざまな分野の心理の仕事に一律の国家資格の網をかけると同時に、 医療機関においては「医師の指示」を受けるということで、医療提供施設での業務のみにチーム医療の一員として一定の責任を求める形と考えられます。 すなわち「汎用性資格」の中に「医療系資格」に要請されていた責任性を取り入れることで、ひとつの資格がすべての領域で活用できると同時に、 医療提供施設では医療諸制度に適合した形で活用できることを目指していると考えられます。 A「学部卒資格か/修士修了資格か」 上記の基本コンセプトでは ・受験資格者: @学部卒+大学院(修士)修了者 A学部卒で数年間の実務経験をした者 となっています。 この部分は、「ひとつの資格」の検討が始まった段階では「学部卒を2種または補、大学院修士修了を1種または正」とするというものでした。 しかし、それでは資格が2階建てになって「2資格」と同様に現場の混乱が危惧されました。 そのため、受験資格については、本年9月以降、 「学部卒+大学院(修士)修了者」と「学部卒で○年間の実務経験をした者」という2つの養成ルートが共存する「ひとつの資格」という案に変化しています。 これは、学部教育で、基礎系から臨床系までの心理学の基本(基礎実習を含む)と医学・社会学・関係法規などの関連科目を幅広く学び、 それを最低限の基礎と位置づけるものになると予想されます。 そして、その基礎の上に、臨床実習の充実した大学院(修士)、または、実務者から指導の受けられる臨床現場において、 直接に人と関わる態度や技法およびその研究方法を習得する期間を設けた上で、国家試験の受験資格が得られるものを要望していると考えてよいでしょう。 基礎の上に置かれるトレーニングと研究の場として、大学院と臨床現場の2つのコースを設けることは、 心理の仕事に要求される質の高さと多様性を共に満たす案ではないかと思われます。 B「基礎系心理学を臨床心理学の基礎とするのか/臨床心理学の独自性を強調するのか」 この点は、資格のコンセプトに直接書かれていませんが、資格のカリキュラムの内容にこの議論が反映されるのではないかと考えられます。 基礎系心理学も臨床心理学も、「こころ」を一定の科学的な態度で探求するという根っこは共有しているのだと思います。 神経科学の発展やさまざまな解析方法の開発など、基礎系心理学が臨床心理学に提供できる資源は豊富です。 しかし、直接に人と向き合って「今ここ」で何をなすのかという時には、臨床、すなわち実地に人に関わるための態度と方法を経験し探求していることが必要でしょう。 できるかぎりすべてをカリキュラムに加えることが望ましいとは言え、実際の単位数は有限です。 どの分野に重点を置くかについては、資格が臨床の場で活用されるものであることを十分に踏まえた上で、バランスのとれた議論が望まれると思います。 このように、三者会談の調整に基づきながら進められている「ひとつの資格」に関する検討は、従来の議論を「止揚」する、 すなわち、今までのものとは違う形の中に今までのものを生かしつつ、より高い段階に進もうとする姿勢で臨まれています。 「人に付く資格」と「場に人を付ける資格」の違い 日本には、心理専門職の認定資格がさまざまな形で存在しています。 学会認定だけでも16もの資格があり、主なものとして、 財団法人日本臨床心理士資格認定協会の認定する「臨床心理士」、社団法人日本心理学会の認定する「認定心理士」などがあります。 これらの認定資格は、大学・大学院の養成課程の整備や研修活動の充実を通して心理専門職の資質向上に寄与して来ました。 認定資格が特に貢献できるのは、個々の心理専門職の資質向上面ですが、結果としてさまざまな制度の中で活用されている実績もあります。 これらは、言わば「人に付く資格」として、柔軟な活用が可能なものであると考えられます。 それでは、認定資格がさかんに活用されているのに、さらに国家資格が必要とされるのはなぜでしょうか。 それは、国家資格は認定資格と異なり、「場に人を付ける資格」だからということが言えるのではないかと思います。 つまり、国家資格は、医療を提供する場、教育を提供する場など国民のニーズに応じる場を国や公共団体が制度的に提供し、 そのような場で活用する職種について国が責任を持って養成を行うという性質のものと考えられます。 国家資格には税金や社会保険料が投入されますので、活用する場を何らかの形で規定しない国家資格は考えにくいでしょう。 国家資格と認定資格の相補的関係 このように、国家資格は、その職種を法律と行政の管理の下に置くことで、その仕事を提供する人と利用する人との関係に一定の安全を保証しようとするものと言えるでしょう。 それは、認定資格のように自由に活用できるものではなく、一定の縛りを引き受けることによって、より幅広い公共性・公益性を持とうとするものであると考えられます。 認定資格は法律の縛りを受けるものではありませんので、いくら高い資質を保証するものであっても、その活用に国の責任が問われるものではありません。 また、有資格者が諸制度の中でどのような責任性を負うのかが法的に規定されたものでもありません。 そして、その責任性の問題から、国家資格がない現在の状況では、心理専門職が診療報酬の中で十分に活用されることが困難であり、 さまざまな施策への活用にももどかしさがあるように感じられます。 国家資格があって始めて、さまざまな法律の下にある政策や制度に位置づけての明確で安定した活用が可能になると言えるでしょう。 国が責任を持つ国家資格には、最低限の資質の担保が求められます。そして、より高度で専門分化した資格を追求するには認定資格がふさわしいと言えるでしょう。 今回の「ひとつの資格」の検討に際して耳にする不安の中に、「国家資格ができたら認定資格はどうなるの?」というものがあるようですが、 以上のように国家資格と認定資格の性質の違いを整理すれば、見通しは立つのではないかと思われます。 認定資格は国家資格にできないことを補う役割を担うことが可能でしょう。 大変な努力を要することではありますが、認定資格のそのような役割は、国家資格が創設された後も引き続き活用されて良いものと思われます。 「ひとつの資格」への期待 以上、前号(No.60)と今号(No.61)の巻頭言に簡潔に書かれた内容について、私見を連ねて来ました。 これは、この間の急速な動きに対する不安や動揺の声をさまざまな場で見聞きした経験から、全心協役員の一人として、検討の材料を会員に提供したい思いで書いたものです。 先に述べたように、国家資格化にはメリットばかりがあるのではなく、国の管理下に置かれることで不自由な面や、やりにくくなる面もあるかもしれません。 それでもなお、医療や教育や福祉などの公共の場およびチームで、より責任ある安全な形で心理専門職を配置することが可能になるならば、 国家資格化することがベターであると考えられるのではないでしょうか。 もちろん、これまで認定資格のそれぞれを通して、また、認定資格のどれにも参加しなかった方々を含めてそれぞれの心理専門職が続けて来た努力は、 十分に「ひとつの資格」の中に生かされる必要があると思います。 いくつもの異なる見解や立場があると思いますが、それらはそれぞれに存在理由を持っています。 したがって、それらの異なる立場は、できるだけすべてが「ひとつの資格」に生かされることが望ましいと思います。 長い年月をかけて、今やっと「ひとつの資格」を目指して、すべての関係者がひとつのテーブルの席に着きつつあります。 そこでは大いに議論を尽くし、しかもどこかで「区切り」をつけて、新しい時代を始める必要があります。 その「区切り」を受け入れて同じテーブルに着くことができれば、国家資格の名称を決めるという難題にも、現実的な解決がもたらされるものと信じます。 国家資格化という大変なコストが必要な推進運動を、次の世代に先送りしないためにも、今回の「再結合〜reunion〜」のチャンスが最大限に生かされるよう、 微力を尽くすと共に、皆様のご協力を心よりお願い申し上げます。 |