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Nobitan face
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ヤアおれのびタン。
オレはモノが大好きヒトが大好き自分が大好き
だからその3者が共に引き合うようこのホームーページで
オレなりの「モノ」との付き合い方を紹介した。

最近、モノに関する雑誌が巷にあふれかえってる。
パラパラとめくって見ると「ブレイク必至」とか「ブレイク寸前」とか「〜がいまヤバい」なんて
そういう評価を基準にして選んだモノと楽しく付き合っていけるのかねェ?
流行り廃りのその時だけのカッコよさなんてすごく虚しいヨ。

優れているとか劣っているとか、出来るとか出来ないとか、有るとか無いとかそんな比較だけの
他人からの評価でしか自分の存在を維持できないヤツなんてぜんぜんカッコよくない。
だって本当のカッコよさって見た目のカッコのことじゃないでしょう。自分自身と向き合って
泣いてもがいて、そっからにじみ出てくるのがカッコよさじゃないの?

ハヤリ・スタリを大切にしているヤツったらサ
あれだけ騒いだレッドウィングのブーツだって、ソール減ったら捨てちゃうんだって。
ああいったブーツって履きこんだほうが自分っぽいシブさでてくるんじゃないの?
何で絵描きが自分のクツをよく題材にするのかというと皮の質感がオモシロイってのもあるけど
そこに宿る年輪やそのヒト自身の歩みを描きたいからだと思うヨ。オレらは人生の旅人でしょ
いろんな経験や想いをともに歩くのがクツなのよ。シワひとつキズひとつが歴史なワケ。
昨日今日でつくれるものではないんだ。ソール張り替えれば一生付き合えるんだからさ。

だからおれはモノ選びの基準に「長く付き合える」を前提にしている。
それと欠かせないのが造り手の想い。モノを手に入れるということは同時に
そのモノを造ったヒトの想い・願いを分けてもらうということ。
そのコダワリを感じるモノにこそおれは想いを寄せる。

モノに良いも悪いも無いと思う。それぞれがそれなりだと思う。
そんなモノたちを選ぶのは自分自身。自分なりに付き合えばイイと思う。
モノに囲まれ想いに囲まれつつ、この時間はいつしか過ぎ去り
やがて全てと別れるときが必ずやってくる。
そのときはただ一言。

「ありがとう」


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