木下貴雄

合意管轄条項と就業規則

  • 取引先と取り交わしている契約書には、裁判を起こす場合は会社の所在地を管轄する地方裁判所に限定することを記載しているのですが、就業規則には記載しなくても良いでしょうか?
  • 個人的には記載しなくても良いと考えていますが、どうしても心配なようでしたら記載してはいかがでしょうか。

合意管轄条項と就業規則

会社から遠く離れた地方で裁判を起こされると、弁護士費用が余計に掛かったり、移動の時間が掛かったりして面倒ですので、裁判上の紛争が生じたときのために予め訴え出られる管轄裁判所を特定して、契約書に記載することがあります。

従業員とトラブルが起きたときのことを考えて、そのような合意管轄条項を就業規則に記載するべきかどうかということですが、記載したとしても、実際にその規定が活きてくるケースはかなり限定的と思います。

従業員とトラブルが起きたときに、従業員が申し立てる機関や制度としては、主に次のものがあります。

  1. 労働基準監督署への申告
  2. 都道府県労働局(紛争調整委員会)による あっせん
  3. 労働審判
  4. 民事訴訟

それぞれの制度の概要を見て見ましょう。

1.労働基準監督署への申告

賃金や残業手当の未払等があって、労働基準法に違反していることが明らかな場合は、通常、従業員は労働基準監督署に申告をします。

労働基準監督署が申告を受理すると、申告に基づいて、賃金や残業手当の未払等の労働基準法違反があるかどうか、会社の調査を行います。そして、労働基準法違反が発覚したときは、会社に対して是正するよう勧告や指導を行います。

もちろん、この場合は、会社の所在地を管轄する労働基準監督署が対応しますので、他府県に出向くよう求められることはありません。

2.都道府県労働局(紛争調整委員会)による あっせん

あっせんとは、労働問題の専門家が第三者として間に入って、会社と従業員の双方が譲歩して話合いによる解決を目指す制度です。話し合いで解決、合意しなかった場合は、あっせんは打ち切られます。

あっせんは、解雇や雇い止め、賃金の不払い、労働条件の引下げ、配置転換、嫌がらせ等の個別的な労働紛争が対象になります。労働基準監督署で取り扱える内容は、労働基準法や労働安全衛生法に違反しているものに限られますが、あっせんは、それより範囲が広いです。

そして、都道府県労働局の紛争調整委員会による あっせんは、「個別労働関係紛争の解決の促進に関する法律」に基づいて実施されている制度で、この法律の施行規則の第4条において、

「個別労働関係紛争の解決の促進に関する法律第5条第1項のあっせんの申請をしようとする者は、あっせん申請書を当該あっせんに係る個別労働関係紛争の当事者である労働者に係る事業場の所在地を管轄する都道府県労働局の長に提出しなければならない。」

と規定されています。あっせんの申請書は、従業員が在籍していた(在籍している)会社の所在地を管轄する都道府県労働局長に提出することになっていますので、この場合も、他府県に出向くよう求められることはありません。

3.労働審判

労働審判は原則3回以内の審理で終了しますので、通常の民事訴訟と比べて早期の解決が図られます。また、通常の民事訴訟はどちらが正しいかを判断しますが、労働審判ではトラブルの実情に合った柔軟な解決案が示されます。

話合いにより調停が成立するか、労働審判に対して期限内に双方が異議を申し立てなかった場合は確定し、裁判上の和解と同じ効力が発生します。一方、労働審判に対して異議を申し立てた場合は失効し、自動的に通常の訴訟に移行します。

労働審判もあっせんと同様に、解雇や雇い止め、賃金の不払い、労働条件の引下げ、配置転換、嫌がらせ等の個別的な労働紛争が対象になります。

そして、労働審判は、労働審判法に基づいて実施されている制度で、この法律の第2条において、労働審判手続に係る事件は、次の地方裁判所の管轄とすることが規定されています。

ここに申立人の住所地は含まれていませんので、原則的として相手方の所在地を管轄する地方裁判所になります。したがって、従業員が申し立てる場合は、従業員が在籍していた(在籍している)会社の所在地を管轄する地方裁判所になります。

地方裁判所は全ての都道府県に設置されていますので、この場合も、他府県に出向くよう求められることはありません。

4.民事訴訟

民事訴訟法では、原則として被告の所在地を管轄する裁判所に訴えを提起することになっているのですが、原告の所在地を管轄する裁判所に訴えを提起することも通常は認められています(訴えの内容によります)。

以上により、労働基準監督署への申告、都道府県労働局(紛争調整委員会)によるあっせん、労働審判については、就業規則に管轄の合意に関する記載をしなくても、会社の所在地を管轄する機関において調停や審判等が行われます。

これらの場合については、就業規則に管轄の合意について記載をする意味がありません。合意管轄条項は、従業員から民事訴訟を提起される場合にのみ活きてきます。

遠方で民事訴訟が提起される可能性

それぞれの機関・制度で受け付けている件数は、年度によって異なりますが、およそで言いますと次のとおりです。

機関・制度1年間の受付件数
労働基準監督署への申告約30,000件
都道府県労働局による あっせん約 5,000件
労働審判約 4,000件
民事訴訟(労働関係)約 3,000件

労働関係の紛争については、労働基準監督署に申告をして終わるケースが多く、他とは桁が1つ違います。

また、企業間で契約をする場合は、相手方が遠方にいるケースが少なくありませんので、契約書に合意管轄条項を記載する意味はあると思います。しかし、労働契約を締結する場合は、ほぼ毎日会社に通勤しますので、退職後に引っ越さない限り、申立てをする(元)従業員は、会社の近くに住んでいるケースが多数です。

以上により、「合意管轄条項を就業規則に記載して良かった」と思えるケースはかなり限られます。

合意管轄条項を就業規則に規定することによる悪影響

会社から遠く離れた地方で裁判を起こされるリスクを回避するだけのことであれば、就業規則に記載しても良いかもしれません。しかし、合意管轄条項を就業規則に記載することによって生じる悪影響も考慮するべきです。

例えば、就業規則に「労働契約に関して裁判上の紛争が生じたときは、会社の本店所在地を管轄する裁判所を第一審の専属的合意管轄裁判所とする」といった記載があったとします。このように記載している就業規則を見た従業員は、どのように思うでしょうか。

と、心配になるのではないでしょうか。勤務を続ければ、疑いが晴れるかもしれませんが、少なくとも、会社に対して良い印象を与えることはありません。

それぞれの捉え方によりますが、総合的に考えると個人的には、就業規則に合意管轄条項を規定することで得られるメリット(遠方で裁判を起こされない)より、デメリット(従業員に与える悪い印象)の方が大きいように思います。

なお、裁判に訴えられる前に自主的に解決できるよう規定の1つ1つを工夫して作成していますので、私が関与して作成する就業規則には、合意管轄条項は不要と考えています。

就業規則の記載例

それでも、就業規則に合意管轄条項を記載したい場合の記載例を示しますと、次のとおりです。

「労働契約に関して裁判上の紛争が生じたときは、会社の本店所在地を管轄する裁判所を第一審の専属的合意管轄裁判所とする。」

通常は、入社時の誓約書に「就業規則を遵守すること」を誓約内容の1つとして挙げていると思いますし、労働契約法でも、合理的な内容の就業規則を周知していた場合は、その就業規則が労働契約の内容になることが規定されていますので、就業規則に記載していても有効と考えられます。

ただし、管轄裁判所の合意は契約書で取り交わすことが通例ですので、従業員と取り交わす場合は、就業規則より雇用契約書で定めておいた方が確実です。雇用契約書の場合の記載例は、次のとおりです。

「本契約に関して裁判上の紛争が生じたときは、会社の本店所在地を管轄する地方裁判所を第一審の専属的合意管轄裁判所とする。」

なお、私の経験上、管轄裁判所の合意について記載している雇用契約書は見たことがありますが、就業規則に記載しているものは1回も見たことがありません。

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