キミのMEMOから |
2人で、ちょうど水戸黄門様御一行のように、前後からサポートしながら登ることに なったのだが。前日に、山麓の中房温泉に1泊し、翌早朝に出発。 もともと父は山ヤさんだったが、もっぱら中低山や沢登りをしてきた”ヤブこぎ派” で、まあ、ふつーの80歳よりは健脚だとは思うけれど、なにしろ 真夏のキツい登りで、途中で何回か、バランスを崩してのけぞることがあり。 でも、どうしても「自分のザックは自分で背負う!」と言い張るのを、無理矢理 はずして、息子に担がせながら…… 登山地図に書かれた、標準コースタイムの約1.7倍の時間をかけて、なんとか 標高2763m燕岳山頂付近の山小屋に辿りついた。 この山小屋、山と渓谷社が集計した「泊まってよかった山小屋」で、 ずっと全国第1位に選ばれているだけあって、食事も部屋もよく 山小屋の主人からは「80歳で、この合戦尾根を登ってきた人は、めったに いませんよ!」と言われたり、 夕食前には、念願の”槍ヶ岳の残照”も見ることができて、父はすっかり満足。 ところが、大変だったのは翌日の下山! 途中から、足のブレーキが効かなくなり、なんどもつんのめって 前をゆく息子のザックに寄りかかり、同時に、わたしが父のザックを背後から掴んで かろうじて転倒をまぬがれながら……… 最後は、もう中房温泉が見えている平地で、足が棒のようになって進めず、 2人で左右から肩を抱えながら、ようやく帰着。 仕事のある私は、翌朝帰路についたが。父と息子は、その後2日間も逗留し 温泉療法をせざるをえなかったのだった。 (現在の私は、傘寿になるにはまだ5年余あるけれど、 もう3大急登を登って燕岳に立つなんていう元気は全くありません) |