【パートリーダー会報告】
 
先日の役員会で、5年後10年後も私たちが大曲をいきいきと歌い続けていられるために、若い世代の方を増やしていくことを、みなさんで取り組みましょうという提案がなされました。
一緒に歌ってみたいと思えるような魅力的な演奏をすることも、何より大きな宣伝になるのではないでしょうか。パートリーダー会も知恵を絞っていきたいと考えています。 今期は、以下の2点を推進していくことになりました。
 
@ 音取り目標日の設定・チェック&フィードバック
全曲音取り終了の目標日を、5月の最終練習日に設定しました。6月中に一日練習日を設けて全曲を通し、先生に達成度を確認していただく予定です。目標に向かってひとりひとりが努力し、できなかったところは放っておかずに着実に補っていきましょう。
 
A 姿勢をよくする
姿勢が悪いとよい声は望めません。アンチエイジングの医学の世界でも、姿勢を正すと体の中心部の体幹筋肉が鍛えられ、エネルギー代謝と血流も改善されるとされています。また、腹式呼吸も、気分を安定させる脳内物質セロトニンの分泌が増し、セロトニンは脊柱起立筋に作用するということで、「姿勢と呼吸」は若さと健康維持の重要なキーワードです。背筋を伸ばして体を起こし、顔を上げましょう。椅子に腰掛けるときは背もたれを使わないようにしましょう。よい声はよい姿勢から!!
*おしらせ*
♪2月、3月は、明治公民館の場合は、5時から全体の自主練習を行うことにしました。
予習、復習で確実に身につけていくようにしたいと思います。3月以降も通信に予定を載せますので、ぜひご参加ください。
♪口語体の発音を取り入れていますが、速いとき、伸ばすとき、語尾、語頭など、特に原則があるわけではありません。その都度先生に確認していただくことになっていますので、聞き逃さないようにお願いします。不明の場合はパートリーダーまで。
 
                                                                (文責: A青山)
 
預言者エリヤとその時代背景
                                                     PMS合唱団 土田 貞夫
 預言者を理解するには、彼らの活動した時代の背景を正しく理解することが不可欠です。エリヤが活躍したのは前9世紀の半ば、北王国のオムリ王朝の隆盛期に当たっています。この時代は、イスラエル王国がソロモンの死後(前922年)、南北両王朝に分裂し、南のユダと北のイスラエルがその後半世紀以上にわたって抗争していた時代でしたが、北王国イスラエルの第六代の王オムリの時代にこの争いが次第におさまって両王国が友好的な時代となります。オムリ王朝は北王国に出現した最初の有力な王朝でした。

モーゼに率いられ、出エジプトしたイスラエルの民がシナイ山で神ヤハウェとの契約が成立し(映画「十戒」でおなじみの情景です!)、カナンに入り直面した最大の問題は、砂漠伝来のヤハウェ宗教がカナンの自然宗教に対してどのように対応したらよいか、ということでした。この難問に対し、人々は両者をともに戴き信仰するという方法をとりました。これをシンクレティズム(両宗教混合的)と言います。現代でもよくある問題ですが、まるでどこかの国のようですね(?!)。ともかく、それによってヤハウェの独自性が次第に失われるようになりました。ただ、イスラエルの自覚した良心であった預言者のみは、このようなシンクレティズムの危険を認識し、それに対して強く反撃の声を挙げたのであり、エリヤはそうした預言者の最初とも言うべき人であったと思われます。少なくともエリヤにおいて決定的なヤハウェ信仰の粛清運動が行われたと見られるのです。その意味で、エリヤは旧約思想史の上で画期的意義をもつ預言者でした。

オムリは政治的にはむしろなかなか有能な君主でした。しかし、政治的・経済的な理由からフェニキアと友好関係を結んだ結果、異教がイスラエルに侵入し、これが滅亡の原因となりました。特に、その子アハブにフェニキアのツロのイトバルの娘イゼベルを妃として迎えたことがオムリ王朝の致命的要因となり、直接的にエリヤの出現の背景となったわけです。アハブが、その異郷の妻のためにサマリア(北王国イスラエルの首都)にバールの神殿を建てたのですが、これは主として政治的な意味をもつもので、アハブが宗教的にヤハウェに背いたものでは必ずしもありませんでした。しかし、このような王の態度と、一般民衆の曖昧な信仰は、預言者エリヤにとってはヤハウェに対する背信として映ったのです。預言者にとっては、シンクレティズムそれ自体が背信に他ならなかったのですが、ただ極端な排他的思想によるものではなく、何よりも異教の道徳的頽廃がその理由でした。ただ単に、「我が仏尊し」とするような独善的な宗教観ではなかったわけです。

 このようなエリヤの異教の神バールに対する戦いはカルメル山の対決で頂点に達します。当時カルメルはイスラエルとフェニキアとの係争の土地であり、ヤハウェとバールが対立したところでした。エリヤの時代に、ことにイゼベルによって直接フェニキアの宗教がイスラエルに導入されたため、このヤハウェかバールかの問題が政治的にもイスラエルとフェニキアの両者に関連を有するカルメルにおいて殊に先鋭化して現れたことは、そのような歴史的事情からみて不思議ではありません。エリヤが王とすべての民をカルメルに集めたのは、そのような政治的事情に基づく重要性のためでもあったのです。その意味で、エリヤの戦いはイスラエルの宗教史上、また政治上でも極めて重大な意味をもつものでした。エリヤは、イスラエルの王と民にヤハウェとバールの間の二者択一の決断を促し、「あなたがたは、いつまでふらふら迷っているのか。もし、ヤハウェが神であるなら、それに従え。もしバールが神であるならば、それに従え」(列王記上18:21)と迫ったのでした。このような預言者的方向づけによってイスラエルの宗教は初めて本来の道に戻されたのです。エリヤがモーゼの精神を継ぎ、イスラエルに対する神の唯一性を他の神々に対して主張したところに、彼の思想史上の独自な地位がありました。預言の歴史においてエリヤを見る時、彼の特徴は彼が単に神の言葉を伝えた言葉の預言者ではなく、行為の預言者であったということです。
 
物語のあらすじ−−エリヤ、バールの預言者たちを滅ぼす
 
 当然のことながら、エリヤは旧約聖書の預言者たちのうちでもっとも偉大な人物の一人として崇められています。聖書の中でのエリヤについての伝承(列王記上17-22)は、前9世紀初め、前述のようにイスラエルのオムリ王朝期のものとされています。イスラエルがユダから分離して約50年たったころのことでした。イスラエルの首都をサマリアに移したのはオムリ自身でした。これはおそらく、各部族との古い結びつきから自由で中立的な場所に首都を移したいと彼が考えたためでしょう。

 オムリの息子で王位継承者のアハブは、フェニキアのティルス出身のイゼベルと結婚し、その結果多くの財産を首都と王国にもたらしました。しかし、この結婚は同時にフェニキアの神バールの祭儀をイスラエルにもたらすこととなりました。このことと、イゼベルがヤハウェの預言者たちを殺害したこととのために、ヤハウェは厳しい旱魃で王国を罰したのでした。エリヤはオラトリオの冒頭でこのことを預言しています(序唱)。

サマリアにおいて厳しい飢饉をともなったこの旱魃がつづいて3年目に、ヤハウェはエリヤにアハブのところに行くように命じ、「私はこの地に雨を降らせる」と宣言しました。エリヤは行ってアハブがヤハウェを捨ててイスラエルを破滅させたと非難しました。彼はまた、自分を「イゼベルの食卓に着く四百五十人のバールの預言者」と対決させるように要求しました(列王記上18:19)。

 対決はカルメル山上で行われました。イスラエルの人々はヤハウェとバールとどちらがより強い神であるかを見極めるために集まり、その面前で対決が行われました。どちらの神が、呼びかけられたときに、たきぎと裂かれた雄牛の犠牲の上に火を下すか、まずはバールの預言者たちの設けた犠牲、次にエリヤの設けた犠牲について試されました。バールの預言者たちは踊り、身体に傷をつけてバールが彼らの願いを聞きいれてくれるよう乞うたのですが無駄でした。エリヤは自分自身の祭壇を設けました。エリヤがヤハウェを呼び求めると、「主の火が降って、捧げ物と薪、石、塵を焼き尽くし、溝にあった水をもなめ尽くした」(列王記上18:38)。エリヤの指示によって、人々はバールの預言者たちを捕らえ、エリヤは彼らを惨殺しました。


 エリヤおよびその後継者エリシャとオムリ王朝の王たちの物語は、旧約聖書に繰り返される王と預言者との衝突のよい例です。初期イスラエルでは、エリヤもエリシャも神の使者であり、奇蹟を行い、その技能を次の世代に伝えるものでした。それゆえ、火の戦車がエリヤをつむじ風とともに天に上らせたあと、そのあとを継ぐべきエリシャがエリヤのマントを拾いあげると、彼の上に「エリヤの霊がとどまった」のです。

 聖書(列王記)の記述ではオムリ王朝を否定的に見ていますが、この王朝の名声は高く、王朝が途絶えたあとも、イスラエルはアッシリア人に「オムリの国」として知られていました。また、オムリ家の支配は北王国において比較的平和で繁栄した期間を作り出しました。ユダから分離してからその繁栄の期間までの50年のあいだに、イスラエルは近隣の国々との戦争によって弱体化していました。国内の安定も、王位継承問題によって脅かされていました。この問題は、ひとつには王位継承は王の神の法に対する服従にかかるとする北王国の預言者たちの信仰に起因します。もし王が神の法に従わないなら、災難が王とその王朝につきまとうとされたのです。

この信仰を背景として、エリヤはフェニキアのバールの祭儀に対する戦いを挑んだのです。バールをイスラエルに導入したのはイゼベルと言われていますが、イスラエルにはもともとカナン人が大勢いました。彼らはバール崇拝とはなじみが深かったのです。しかしながら、エリヤを指導者とする純粋なヤハウェ信奉者たちと、宗教的寛容という実際的な政策を掲げるイスラエルの宮廷との間には、かなりの緊張関係があったようです。
 
(今月号と来月号に渡り、土田氏がPMS合唱団のために書かれた文章をご本人の承諾を得て掲載させて頂きます)
 
 ×××××× 新プロジェクトに湘フィルの未来への希望をたくして ØØØØØØ 
 
  役員会報告にもありますように、先週の役員会には松村先生も出席され、湘フィルの未来をもっと真剣に考えていこうという話になりました。5年先、10年先を見据えた取り組みを具体的に推進するプロジェクトを立ち上げようと。
 
  松村先生を湘フィルにお迎えして、早くも17年(18年目かな)になります。 この貴重な年月に湘フィルは着実に成長し、一歩一歩歴史を刻んで来たわけですが、ロボットならぬ身の悲しさ、私たち団員もまた同じだけ年をとってきました。
  将来、湘フィルが長いこと魅力ある合唱団で有り続けるためには、若い人達の力が欠かせないことは、皆さんも痛感されていることと思います。
  「でも、あまり年のことばかり話題にされると悲しくなってしまうわ。年をとったら、湘フィルにはいられないってこと?」・・・いえいえ、そうではなくて、私たちが長く歌い続けられるために、今から、若い人が喜んで入ってきてくれる様な魅力ある
  合唱団にしていきましょうよということなのです。若い人が沢山入ってくれれば、平均年齢は確実に下がるのですから
 
  そのためには、もっともっと湘フィルのいいところを世の中に(特に若い人たちに)知ってもらう必要があります。口コミもモチロン大切だけど、新しい市場を開拓していかなければ、時代に取り残されていってしまいます。みんなで智恵を出し合って、いい方法を考えていきましょう。そして私たち自身もまた、魅力ある団であり続けるために古い体質を改善し、常に新しく生まれ変わっていかなければなりません。役員会では、こんな意見も聞こえてきました。「最近、合唱以外のことを自由に語り合う場がなくなってきたよね」と。「こんなことできたらいいね」「こうしたら、もっとよくなるんじゃない?」「こんなことやってみたい」等々、湘フィルの未来を自由に語れる場ができたらいいなと思います。難しいことや堅苦しいことではなく、気楽に夢が語り合えるような。

  新プロジェクトの具体的な構想はまだまだこれからです。でも湘フィルを大切に思う人たちが集まってワイワイガヤガヤ、気楽に意見を交わせるようなものであってほしいと願ってます。湘フィルが何より好きというあなたにこそ参加してほしいのです。
  先日、職場でこんなことを言われました。「昨日と同じというのは、現状維持ではなく、後退なんですよね。なぜなら世の中は日々変わっていってるんですから。だから常に勉強し続けなければいけないと思ってるんです。」と。
  私たちも新しく変わっていくことに恐れることなく、勇気を持って歩んでいける団でありたいと思います。
                                                           広報:A 寺部
エリア期の新入団員です。〜 どうぞよろしく> 〜
       (入団順 2/10現在)

浦沢 さん(A)横浜市    下田 さん(S)三浦郡
柳   さん(S)横浜市   今角 さん(A)横浜市
石橋 さん(A)茅ヶ崎市  堀   さん(S)茅ヶ崎市
武田 さん(A)藤沢市   井出 さん(A)横浜市
山寺 さん(A)横浜市   陣内 さん(S)茅ヶ崎市
中目 さん(B)藤沢市    有田 さん(B)横浜市
平野 さん(S)藤沢市   平原 さん(S)中郡
                             
 
      ÌË 2007年3月&4月の練習日程 ËÌ        
                                       
2月
3月




 4月
  24日(土)
   3日(土)
  10日(土)
  17日(土)
  24日(土)
  31日(土)
   7日(土)
  14日(土)
* 22日(日)
  28日(土)
明治公民館★        18:15 〜 21:00
玉縄学習センター      18:15 〜 21:00
玉縄学習センター     18:15 〜 21:00
明治公民館★       18:15 〜 21:00
明治公民館         18:15 〜 21:00
明治公民館         18:15 〜 21:00
玉縄学習センター     18:15 〜 21:00
玉縄学習センター     18:15 〜 21:00
明治公民館         18:15 〜 21:00
明治公民館         18:15 〜 21:00
                               
 * 4/22は日曜日の練習です。午後に自主練が入る可能性があります。
 ★ 明治公民館の★印の日は、ホールと文化室、又は音楽室での分奏を予定しています。   男声パートが移動しますので、スリッパの用意をお願いします。
    《分奏会場》 2/24・・・音楽室    3/17・・・文化室
   音楽室にはスリッパの用意がありますが、文化室にはありません。また、数の不足も考えられますので、男声は各自でご用意いただくようお願いいたします。
   女声はホールのまま。移動はありません。

      ♪ 自主練のご案内 ♪

明治公民館での通常練習では、3月いっぱい、17:10 〜 18:00に 
パートリーダーによる自主練が全パート対象に行われます。
音取り、リズム読みなど苦手克服に全員で取り組みましょう
 

      ♪ チラシまきのお手伝いを> ♪

団員募集はこれから1〜2ヶ月がピークとなります。
一日でも早く、一緒に歌える仲間を増やしましょう=
友人、知人への勧誘は勿論、各種演奏会でのチラシまきを宜しくお願いします。
配布可能な演奏会情報がありましたら、役員までお知らせ下さい。
      ♪‘エリア’音取りCDについて ♪

パート別の練習用音取りCDです。  
ご希望の方は、各パートリーダーまでお申し込み下さい。
各パートとも 1セット ¥3,800 現品引き換えとなります。