『ヨハネ受難曲』                                     (ソプラノ) 大沢栄子

 
ヨハン・セバスティアン・バッハ。彼の名“ヨハン”はギリシア語で“ヨハネ”。
“ヨハン”が、受難曲としては最初に“ヨハネ受難曲”を作ったのは偶然だろうか?
 
Bachは、おそらくトーマス教会のカントールに就任する前年に受難曲の作曲をライプツィヒ市から依頼されていたのだろうと言われている。(Bachが作曲したと言われる受難曲5曲の内1曲は偽作、2曲の楽譜は失われ、「ヨハネ」と「マタイ」だけが現存している。)
この受難曲は、ヨハネ福音書の第18、19章の場面を描いているのだが、それはいきなりイエスの捕縛から始まるのである。
イエスの十字架の受難とは、一体何故起こり、また何を意味するのだろうか。これを知ることは「ヨハネ」を演奏する場合も聴く場合も、まず前提となることであろう。
 
  イエス誕生すなわちクリスマスはしばしばメルヘンのように語られるのだが、まさにその時、キリスト(救い主)誕生という旧約の預言の成就を信じる人々のとった行動は、当時ユダヤ地方を支配していたローマのヘロデ王を震撼させたのであった。権力者にとってイエスは、誕生の時から要注意人物と目されていた。
ナザレの青年イエスの教えは民衆のうちに大評判となり、彼の人気に、それまで人々の尊敬を受けていた宗教学者すなわちパリサイ派や律法学者は嫉妬を感じ、脅威を抱くようになった。イエスは過越祭というユダヤの歴史の大切な祭の時に、首都エルサレムに到着し、民衆の大歓迎を受けた。イエスはそこで弟子たちと共に食事をした。それが弟子たちとの“最後の晩餐”となったのである。弟子のひとりユダは、この世の権力を握ろうとしないイエスに失望して、律法学者らの手に彼を渡すために晩餐の場を立ち去り、金貨20枚と引き換えにイエスを売り渡したのだった。
 
「ヨハネ受難曲」はそこから始まるのである。従って話は捕縛、裁判の場面と、弟子の動揺特にペテロの否認、そしてそれまでイエスを熱烈に支持し歓迎していた群衆が、イエスの形勢不利と見るやたちまち群衆心理で「イエスを十字架につけよ」と狂ったように叫ぶ劇的場面を中心に、十字架刑とイエスの死までが描かれている。
 
  演奏の構成はほぼ4つの役割に分けることができるだろう。
レチタティーヴォ・・・ヨハネ福音書の言葉をそのまま、配役をつけて語り歌う部分。イエス、ペテロ、ピラトなどの人物と、それをつなぐ語りの部分はエヴァンゲリスト(福音史家)が受け持つ。
合唱・・・・・・・・・福音書の群衆の言葉は合唱曲になっている。(コラールは別)
アリア・・・・・・・・物語の進行に沿って湧き起こる思いや感情を歌う。自由詩で主語はIch (私)である。
コラール・・・・・・・起こった事態を我が事として受け止め、それを“神への讃美”“罪の告白”“感謝”に転換して歌う。コラールの旋律は伝統的な会衆歌で、ハーモニーをBachが付けている。主語は基本的にはWir (我々)である。
 アリアの歌詞はBach自身と、ブロッケスによるもの、コラールはBachによる歌詞のほか、当時歌われていたコラールの中からBachが周到に選び出したものである。
 
合唱団は、ある時は群衆のひとりになって“イエスを十字架につけよ”と叫び、そのすぐ後で、“イエスは十字架の深みまで降りて我らを救ってくださった”と信仰者の心を注ぎ出すコラールを歌う。合唱曲はドラマの筋を運ぶので、全体に荒々しい表現が多く、コラールとの温度差が大きい。合唱団はかなりの二重人格を演じながら、それぞれの心境を充分に表現しなければならない。これはある意味で、合唱としてとても醍醐味のある、やり甲斐のあるところで、ドラマとしての成否と曲全体の骨格を合唱団は担っていると言えよう。そしていつもコラールは、ドラマの進行に楔を打ちながら、次へと橋渡しの役目を負っている。
 
 初演1724年の第1稿から晩年の1749年演奏時の第4稿までに、Bachは改訂を繰り返し、大きく変化を加えた。有名なコラール“O Mensch, bewein dein Sünde gross”(おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け)が第2稿の冒頭に置かれたりもしたのだが、第1稿の“Herr, unser Herrsher”(主よ、我等の支配者よ)が「ヨハネ」の第1曲に再度変更された。ここにBachが意図した「ヨハネ」の主題、すなわち“神の権威を持つイエス”という把え方を見て取ることができる。“O Mensch・・・”はその後、マタイ受難曲の第1部を締めくくるコラールに転用された。
 
このプロローグの曲は、着実に近づきつつある事態を暗示するかのように整然と運ぶ弦の音型(これが他の楽器や合唱の音型にも現れ、第1曲を支配する)の繰り返しの上に、木管が嘆きの歌を歌い、続く合唱は、イエスの受難を通して表される神の栄光を力強くその上に乗せて、悲劇と救いの二重性を示しつつ「ヨハネ受難曲」が始まるのである。
物語の大筋は、レチタティーヴォによって聖書の言葉どおりに運ばれる。
アリアは話の筋を中断しつつ、そこに湧き起こる感情を情緒豊かに歌うのだが、Bachは彼のmusik wort(音楽語 アルベルト・シュヴァイツァーが詳しく研究している)を駆使して、オーケストラ部分に底流の情景を描写させている。例えば第7曲のアルトのアリアに終始流れる低弦の通奏低音、第8曲のソプラノのアリアに絡みつくフルートなどに曲の持つ性格が表されているのを聴き取ることができるだろう。この絵画的或いは心理的なmusik wortは、全体の至るところで聴くことができる。
 捕えられたイエスを大祭司が裁き始める。イエスの陳述に対し下役がイエスを打つ。第11曲のコラールが割って入るが、この後に今日は、Bachが第2稿でここに置いたバスのアリアにコラール旋律を組み合わせた、美しい曲を挿入することにしている。
弟子ペテロはイエスの成り行きを人々に混じって恐る恐る見ているのだが、「お前はあの人と一緒にいた弟子ではないか」と見咎められると思わず「いや違う違う」と否認してしまう。第10曲から第12曲までがその場面であるが、ここにBachはヨハネ福音書にはないマタイ福音書の中の「ペテロの後悔の涙」を挿入し、第13曲のアリアと第14曲のコラールによって、人の心の弱さに目を向けて第1部を締めくくる。
受難曲は教会の礼拝のために作られたので、当時は第1部の後に説教が行われた。
 
  第2部。場面は第23曲まで、ローマから派遣されている総督ピラトの法廷に移る。ピラトの尋問に答えるイエスにピラトは何の罪をも見出すことが出来ない。ピラトはイエスを釈放すべきだと何度も言うが、群集はすでにそれを容認しない。群衆は、王は皇帝であり、神の子と自ら語るイエスではないと、皇帝への忠誠を唱えるのである。ピラトは、“祭の時に行われる恩赦をイエスに”と呼びかけるが、群衆は「バラバを!」と叫ぶ。この「バラバを!」という第18曲の叫びは、捕縛の場面で“誰を探しているのか”という問に「ナザレのイエスだ」と答える第2曲の2回の群衆の叫びに共通しており、オーケストラや通奏低音にはこの後も同じ音型が数回用いられて、曲全体の統一性も図られている。一方第16曲の「不法行為」と「殺す」を意味する“Übeltät”“töten”は半音進行と短2度の不気味な不協和音で表現され、これは第23曲の「十字架につけよ」と叫ぶ場面でも同様である。しかしそのすぐ後で「律法に照らして処罰を」と訴え、また「皇帝こそ王です」と擦り寄る群衆は、妙に整然としたフーガで声を揃えるのである。処刑に携わるローマ兵士たちの、軽率なあるいは卑屈な態度の描き方も聴いていただきたい。
結局ピラトは群衆が暴徒化するのを恐れて、イエスを十字架刑に処することを決めてしまう。ここにも権力に追従する群衆や、正しいと思うことを貫けない人間の弱さが描かれる。
イエスは十字架を担いでゴルゴタの丘へ登っていく。バスが第24曲でイエスについて行こうと歌うが、合唱は“wohin?”(どこへ?) と何度も問う。イエスを信じてついて来た筈の弟子は、今やどうして良いのか確信のない問いを繰り返すのみである。
イエスは毅然と座している。母マリアの姿を見出したイエスは、第29曲で母の今後を弟子のひとりに委ねる。
 十字架刑が行われる。イエスは第29曲のレチタティーヴォの終わりに、「成し遂げられた」と叫んで息を引き取る。これは、旧約聖書に語られていた、「救い主は人々の罪の身代わりとして殺される」という預言の成就を意味している。この悲劇的な場面に、第33曲でBachはもう一度マタイ福音書から「その時神殿の幕は裂け、地震が起こり・・」を挿入して、この十字架の出来事が如何に重大なものであるかを強調するのである。
 十字架刑のあと、バス、テノール、ソプラノのアリアが続く。それぞれにこの出来事が自分にとって何を意味するのか、確認しようとしているかのようである。バスと共に静かに歌うコラールに、今は弟子たちがイエスの死を人間の罪の贖いと確信して受け留めた様が表現されている。
そして有名な第39 曲の合唱“Ruht wohl”は今や群衆としてではなく、コラールと同じ信仰者の群れとしてイエスの死を受け止め、“安らかに憩え”と埋葬の歌を歌う。これまで殆どが荒々しい群衆を演じていたポリフォニーの合唱曲の中で、この美しいホモフォニーの曲は、歌う者の心を温かくさせる。Bachはこれをコラールと同じに位置づけたと考えて良いように思われるが、Bachは通例通り最後にコラールを持ってきて、曲を終わる。それはイエスの死を悼むのでなく、イエスの憩いの懐にいつの日か抱かれることを望むコラールである。
 Bachは「ヨハネ」においてはコラールを多用した。コラールの旋律そのものは、16C初頭ルター以後の教会で歌われるようになった伝統的なものだが、それは多くの作曲家にとって素材の宝庫であった。Bachも「ヨハネ」に計13回のコラールを登場させているが、第14曲は28、32曲にもハーモニーを変えて現れ、第2稿から挿入する第11曲の後の曲には旋律のみ出てくる。第3と第17、第15と第37も同様であり、原旋律は8曲である。調もさまざまであり、特に第5、15、37曲に16Cなかばには殆ど使われなくなったdorisch,phrygischなどの教会旋法をも用い、多彩な魅力をちりばめている。Bachのコラール編曲は数知れず、371曲を収めた彼の4声コラール集にも収まり切れていない。
 コラールは会衆讃美歌であるが、ドイツの讃美歌が特にコラールと呼ばれるのは、他の欧米の曲(Hymn)と異なり、1音1音ハーモニーが変わる特徴がある。メロディーは同じでも自由な変化が可能であり、それだけに作曲家の力量が表れることになる。
ちなみに第5曲“Dein will gescheh, Herr Gott”は、ルターの宗教改革後最初に作られた1524年の8曲のコラール集に収められた“Vater unser im Himmelreich”(主の祈り)を少し改変したものであり、コラールとして作られた最古の1曲である。また第11曲“Wer hat dich so geschlagen”の原曲は1450年頃生まれたHeinrich Isaakが、当時歌われていた民謡の旋律を用いて「インスブルックよ、さらば」という美しい合唱曲を書いたものが1536年のコラール集に転用されたものである。
 
「ヨハネ受難曲」の演奏回数は「マタイ受難曲」より少なく、それだけ「マタイ」のほうが親しまれていると言って良いだろう。しかし私たちは「ヨハネ」を選んで演奏する。歌うにつれ、この受難曲の音楽表現の深さに引き込まれて来ている。
  
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   ‘演奏会CD’…  ¥3,500
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    テノール(福音書記者) 横山和彦さん  
 
音楽部声楽科同大学院独唱科修了。渡辺高之助 高橋修一両氏に師事。在学中、「芸大メサイア」芸大定期ヴェルデイ「レクイエム」にソリストとして出演。NHK FM新人演奏会出演 卒業後、宗教曲のソリストとして多数の作品に出演。主な作品としてバッハのカンタータ、クリスマスオラトリオ、ヨハネ受難曲、モーツルト「レクイエム」「ハ短調ミサ」メンデルスゾーン「詩編」「聖パウロ」など。また、ヘンデルのメサイア、ベートーベンの第9のソリストは多数行っている。オペラでは、モーツルト「魔笛」のタミーノ、ドニゼッティ「愛の妙薬」ネモリーノなど、主役で出演した作品を初めとして、多数の作品に出演。1992’文部省の在外研究員としてウィーンに留学し、ウィーン国立音楽大学オラトリオ・リード科教授のW・モーア氏のもとで研鑽を積む。留学中、リサイタルを開催し成功を収める。帰国後、1993’、1995’に行ったリード・アーベンドはいずれも好評であった。グループ・ナーベ、オペラクリエーション・イン・青山各会員。東京学芸大学助教授。

      バ ス(イエス)     水野賢司さん
 
東京芸術大学卒業。同大学院修了。在学中安宅賞受賞。伊藤亘行、芳野靖夫の両氏に師事。毎日コンクール2位、日伊コンコルソ2位入賞。芸大メサイアのバスソロを歌う。皇居にて御前演奏を行う。オペラから歌曲、宗教曲、ルネッサンスから現代曲、シリアスな曲からコメディー、演歌に至るまで、幅広いレパートリーを誇っている。日本人としての特質を生かして、日本語の歌に関しては特別の思い入れがあり、多くの作品に関わってきている。大中恩氏をはじめ間宮芳生氏、入野義郎氏、松村貞三氏、吉川和夫氏、青島広志氏、團伊久磨氏、伊福部昭氏、等の歌曲やオペラを歌う機会を得た。又、若手作曲家に新作を委嘱して「THE WORLD OF KENJI」のタイトルでユニークなリサイタルを主催する。オペラではヴェルディ、プッチーニ、ヴァーグナー、モーツァルト、ビゼー等、コンサートではバッハ、ヘンデル、ハイドン、ベートーベン、モーツァルト、フォーレ、ブラームス、オルフ等のソリストとして、ドイツリートのリサイタルではシューベルトをはじめ、シューマン、マーラー、ヴォルフ等の歌曲を演奏。舞台、録音、後進の指導等幅広く活動している。東京音楽大学教授。

       テノール         田中 誠さん
 
国立音楽大学卒業。同大学院オペラ科修了。80年にスウィトナー指揮のヘンデル「アチスとガラテア」でオペラデビュー。以来「ヴォツェック」、「魔弾の射手」等、多数のオペラに出演。95年「さまよえるオランダ人」でワーグナー作品に初登場。98年「ワルキューレ」でも好評を博した他、
02年「ニュルンベルグのマイスタージンガー」ではワルター役で出演し、気品ある美声と長身が役にうってつけと好評を得た。93年に日生劇場における松村禎三の新作オペラ「沈黙」で主役ロドリゴを演じ絶賛を博し、95年同劇場での再演、2000年新国立劇場・二期会共演公演でも同役を演じ、さらに深みのある演奏で高く評価された他、邦人作曲家の作品「忠臣蔵」、「羅生門」等にも出演し、存在感のある重厚な役作りで好評を得ている。コンサートのソリストとしても、ヘンデル「メサイア」、マーラー「千人の交響曲」、シェーンベルク「グレの歌」等を歌い活躍している他、日本歌曲の演奏にも意欲的に取り組み、日本各地でコンサートに出演している。個人でも、清水脩「智恵子抄」や原久貴「中原中也歌曲集」等でリサイタルを開催し、さらに表現の幅を広げている。二期会会員。

        ÌË 2005年9月&10月の練習日程 ËÌ
         
 8月 27日(土)  明治公民館               18:15 〜 21:30
 9月  3日(土)  茅ヶ崎市民文化会館大ホール   18:15 〜 21:30
     10日(土)  リリスホール             18:10 〜 21:30
  ☆ 18日(日)  茅ヶ崎市民文化会館大ホール   18:15 〜 21:30
     24日(土)  リリスホール              18:15 〜 21:30
      28日(水)  茅ヶ崎市民文化会館大ホール   オケ合わせ 18:00集合
      29日(木)  茅ヶ崎市民文化会館大ホール    発声:練習室1(下図参照)
    30日(金)  茅ヶ崎市民文化会館大ホール    19:00 〜 オケ合わせ 
10月  2日(日)  
                第16回演奏会 『ヨハネ受難曲 BWV245』
                横浜みなとみらい大ホール  17:00開演
                ※ 集合時間等くわしい日程は次回通信にてお知らせします
          
      8日(土)  明治公民館              18:15 〜 21:00
     15日(土)  明治公民館              18:15 〜 21:00
     22日(土)  玉縄学習センター           18:15 〜 21:00
     29日(土)  玉縄学習センター           18:15 〜 21:00

 ☆9/10は18:00の開始です。 全曲通し練習(アリア除く)とソリストと通奏低音オーケストラ部分が参加
  ☆9/18は日曜日の練習です。お間違えなく=
                      
   《 ホール利用に当たってのご注意 》
 
♪いずれの利用日も受付大ホール楽屋口(ジャスコ側)です。
 オケ合わせの時は、1F駐車場からも入れますが、原則大ホール楽屋口をご利用下さい。
♪利用は舞台のみです。客席には入れませんので、ご注意下さい。
♪荷物は舞台袖、またはコインロッカーにお願い致します。
♪ホール内は飲食厳禁です。