ささやかにバッハを 《その2》
                                                   B 鈴木 愼吾
 ヨハネの譜読みも進んで来た、バッハの世界に近付くために一層の努力をしたいものです、出来得ればこの文章に登場するようなバッハの中でも名曲中の名曲は機会を見て出来るだけ聴いて、いろいろなバッハを感じて頂ければ演奏する上で何か役にたつのでは?と思うのですが。以前、合唱界では《歌う人は(音楽を)あまり聴かない》と言われていたことがあったような…。
ではバッハの最後の時代を。
【 苦闘しつつ不朽の名作を残したライプツィヒ 】
1722年6月、ライプツィヒ聖トーマス教会のカントル(音楽監督)ヨハン・クーナウが死んだ。幸せなケーテンの時代に翳りが見えてきたとは言え、バッハがなぜ、経済的にも社会的にも有利な宮廷楽長の地位を捨て一カントルの地位に立候補する道を選んだのかはハッキリしない部分も多い。
後の手紙でバッハ自身はケーテンを去ったのは、妃殿下の音楽嫌い、息子の大学進学、それに収入が増える可能性、を挙げているがこれらは表面的で実際のところは謎のようだ。
現在、理由として有力とされる考えは宗教的な問題。当時のケーテンでは改革派が勢力を伸ばし、バッハのようなルター派教徒は何かにつけて不利益を強いられたと言うもの、息子の大学への進学も控えて敢えての決断だったのかも知れない。
ライプツィヒの当局はクーナウの後任にすぐバッハを指名した訳では無かった。第一に挙がったのはハンブルグの音楽監督テレマン、第二にはダルムシュタットのグラウプナー、しかしこの二人は現職の俸給が上がり待遇が改善されたのを理由に辞退し、第三はツェルプストのファッシュが候補となった。こうして見るとテレマン以外、私たちには殆ど名前も知らない音楽家が候補となっている訳だが、当時のバッハは作曲家としてよるもオルガニストとして知られており、オルガンの演奏をする必要のないトーマスカントルが大オルガニストである必要は全く無かった訳で、バッハに決まった理由は音楽家としてではなく、バッハがラテン語と教理問答を教えると申し出たことが重視された結果だったと言うから今の私たちには想像もできないことだ。こうしてバッハ自身も迷ったであろうトーマスカントルに1723年5月に着任することになった。
トーマス教会のカントルの仕事とは、第一に教師、第二に学校の聖歌隊と町の音楽師によるアンサンブルの音楽監督としてトーマス教会、ニコライ教会、新教会、ペテロ教会の四つの教会に対する日曜祝日の礼拝音楽の提供であった、合唱を受け持つ生徒は54、5人、1つの聖歌隊は12,3人だから4声では各パート3〜4人である。これらの生徒を訓練してオーケストラ付きの合唱曲、モテット、コラールを歌わなければならなかったが、「使用に耐える者17人、使用に耐えざるもの20人、絶望的な者17人」とバッハは名簿に記したと言う。ペテロ教会には単旋律のコラールしか歌う能力が無いものが派遣されたらしい、絶望的とされた17人が主力だったのだろうか?バッハが直接指揮したのは中でも最優秀の第一聖歌隊で主にトーマスとニコライの両教会で複雑な多声音楽を歌ったといわれる。
オーケストラのメンバーもケーテン時代のような充実は望むべくもなく、トランペットのライヒェのような名手は例外的な存在だったらしい。
このような状態にも拘わらずバッハは教会暦のカンタータを必要とする日曜、祝日のためにカンタータ年巻(約60曲、但し、他の作曲家の作品を使うこともある)の作曲に邁進する、月〜水に作曲(と共に写譜)木〜土が練習、日曜の礼拝で演奏、こんな超人的なプロセスを経て創られるカンタータの他に1723年から1725年の二年間にモテット「イエスよ、わが喜び」「マニフィカト」「復活祭オラトリオ」そして「ヨハネ受難曲」などの名作が生み出された。
つづく 
  ヨハネによる受難物語の特徴                                                                                          バス 指原 建司
1. 受難物語からのメッセージ 
 今も、イラクの地では自爆テロが毎日のように繰り返され、日本でも不条理としか思えない殺人事件がこれでもかと報道され、又国内の自殺者も3万人/年を越えている現実を見ると、多くの被害にあわれた人たち、又残された家族の苦しみは、いかなるものなのか、実際「神も仏もあるものか」との思いに捉われていらっしゃるのではないかと思います。時が経ってもその傷は癒えないだろうし、苦しみをどうとらえたら良いか、苦しみに意味があるのかと思い悩むことは昔も今も変わりはありません。そのような苦しみの原因をキリスト教では人間が神から離れ、神ならぬものを求め、頑迷で自己中心的な生活を送っているからだとし、神を求めようとしない人間のどうしようもない愚かさに対し、神が一方的に介入し、我々の罪の身代わりとして、神の子イエス・キリストを送り、イエスの受難による十字架上の死により、神の義と愛が成就され、そこに救いの望みがあると信じております。受難というと、私はルオーのキリスト「受難」をテーマにした連作の画面や、預言者イザヤがBC6世紀のユダヤ人が捕囚の地バビロンからエルサレムに帰還する時代に記した「苦難の僕」の歌を思い起こします。
彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。    (イザヤ書53章4節〜5節)
旧約聖書のイザヤの時代も、現在も、人々はどんな境遇に置かれようと、生きることの中に、喜びや楽しみを求め、触れないようしておりますが、一人一人の心の奥底には、どうしても消えない様々な苦しみがあります。新約聖書の四つの福音書(マタイ、マルコ、ルカそしてヨハネ)に記されたイエス・キリストの受難物語(身代わりの死)のエッセンスはイザヤが預言した苦難の僕が実は神の子であったことにあります。毎年の、復活祭前の受難物語を通して、神から離れやすい私たちの目を神に向けさせ、今日も一人ひとりの傍らに、復活されたイエスが立っておられ「あなたの苦しみを担おう」と語りかけて下さっていることに気づかせて下さいます。
2.四福音書比較によるヨハネの受難物語の特徴
 受難のエッセンスは共通ですが、4人の著者はそれぞれ目的を持って、イエスを描いており、受難物語も少しづつ異なっております。それぞれの著者の思いの特徴を矢内原忠雄「イエス傳」に従って整理し、その中でヨハネの福音書の特徴を考えて見たいと思います。
マタイによる福音書は「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」と書き始めて、ユダヤの血統としてのイエスを描き、イエスが旧約聖書で預言されたユダヤ人の救い主(メシア)であることをユダヤ人に示す目的で書かれております。マルコによる福音書は筆使いが非常に簡潔で「神の子イエス・キリストの福音の初め」と書かれ、一人の人間としてイエス・キリストの姿を在りのままにとくと見て、これはただの人ではなく神の子であるとの結論に達したと記します。ルカによる福音書はギリシア人、ユダヤ人の区別なく種種様々な人物が出てきて、イエスは全世界の人の救い主にであることを示しております。そしてヨハネによる福音書は「初めに言(ことば)があった。言(ことば)は神と共にあった。言(ことば)は神であった」という書き出しでもわかるように神秘的哲学的です。又、この書きだしは創世記「初めに、神は天地を創造された」と類似していること、この福音書には、この書の目的を「あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてキリストの名により命を受けるためである」と書かれており、天地創造の始めから神様に人間救済計画があったことを示す宣教の書です。
イエスの十字架の死を見取った証人に関する四福音書の記事を比較すると、大勢の女性の名が書れており、四福音書著者のうちでヨハネだけがイエスの十字架の死を見取った証人であることがわかります(3/3 ページ 表-1 「書き始めと十字架の死」参照)。
ヨハネは十字架上のイエスから直接イエスの母マリアの面倒を見ることも頼まれており、ヨハネの受難物語には、弟子たちがイエスの捕縛で、逃げてしまった中でイエスの御そばに最期迄仕えた証人としての臨在感があります。

四福音書の十字架でのイエスの最期の言葉を比較してみると(3/3 ページ 表-1 「書き始めと十字架の死」参照)、ヨハネによる受難物語の特徴が更に良く理解できます。
マタイ、マルコは、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか)」の後に大声で叫びイエスは息を引き取られたと記されておりますが、その叫びの言葉は残されておらず、著者達はイエスを「見捨てれた苦難の僕」として描いているように思えます。
ルカは父なる神への信頼の言葉(父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。)と叫び息を引き取るのですが、ヨハネは「渇く」という言葉でイエスが人間の苦悩を深く、人間として味わわれたことを示し、次いで「成し遂げられた」という言葉で、天地創造の時からの神の人間救済の御計画(受難計画)をすべて滞りなく達成されたことを示し、満足された心で、頭を垂れて、息を引き取らたと記したのではないでしょうか。
3.結び
今回は、ヨハネによる受難物語を、個々の出来事(「最後の晩餐」、「オリーブ山へ」、「逮捕と裁判」、「金曜日の朝」、「十字架につけられる」、「イエスの死」)に入らず、福音書の「書き始め」と、「イエスの死」の場面だけを抜き出し、他の福音書との比較からヨハネによる受難物語の特徴を概観しました。
私には、ヨハネによる受難物語は劇的というよりは、神の子が威厳を持って、あらかじめ定められた道を淡々と歩んで逝かれたという印象を受けております。
一体バッハはヨハネの受難物語に対しどのように感じて、受難曲として仕上げたのか、練習の中で松村先生の御指導を受けることが楽しくなって参ります。
表-1 「書き始めと十字架の死」
福音書 書き始め 十字架上のイエスの死の証人 十字架での最期の言葉
マタイ アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。 大勢の婦人たち、ガリラヤから従ってきた婦人でマグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベタイの子らの母もその中にいた。 イエスは大声で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。
マルコ 神の子イエス・キリストの福音の初め。預言者イザヤの書にこう書いてある。 婦人たち、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、サロメ、そのほかにもイエスとともにエルサレムに上ってきた大勢の婦人たち イエスは大声で「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。イエスは大声を出して、息を引き取られた。
ルカ わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおり、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。 イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従ってきた婦人たち イエスは大声で「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」と叫ばれ、息を引き取られた。
ヨハネ 初めに言(ことば)があった。言(ことば)は神と共にあった。言(ことば)は神であった。 イエスの母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリア、そして、愛する弟子(著者ヨハネ) イエスは「渇く」と言われた。イエスはぶどう酒を受け取ると、「成し遂げられた」といい頭を垂れて息を引き取られた。
 
 
2005年湘南国際村センター合宿のご案内
                                              合宿委員 S.土肥 明子
 
 2005年バッハ「ヨハネ受難曲」公演強化合宿のお知らせを致します。昨年に
 引き続き、遥か富士山と駿河湾を望む高台。環境に恵まれた国際村での集中練習
 となります。音取りも終わる時期にあり、曲づくりと歌い込みの為の重要な合宿。
 団員交流の懇親会も予定しています。全員参加で、よりよい練習に致しましょう>
 
    日 時   2005年6月4日(土)、5日(日)
    場 所   湘南国際村センター
             〒240-0198 神奈川県三浦郡葉山町上山口1560−39
             5 046−855−1800
 
    日程概要     6/4(土)
          12:30   集 合
          18:00   夕 食
          21:00   練習終了
          21:30 〜  懇親会
    6/5(日)
  9:20   発声開始
 12:00   昼 食
 15:30   おやつタイム
 17:00   解 散
            ※ 開始 ←→ 終了は昨年同様となります。
             詳細は追ってお知らせ致します。
             全員参加を目標に、今からスケジュールの確保を
             宜しくお願い致します。
 
新入団員です・・・どうぞ

    ソプラノ  佐久間さん
            藤田  さん

 ☆今回は紙面の都合で載せられませんでしたが、新入団員の紹介コーナーを企画しています。
 お楽しみに>

  ÌË 2005年3月&4月の練習日程 ËÌ
         
 3月









 4月
 5日(土)

12日(土)




19日(土)
27日(


2日(土)

 9日(土)
17日(


23日(土
30日(土)
 茅ヶ崎市民文化会館大ホール   18:15 〜 21:00

 明治公民館            18:15 〜 発声(ホール)
          男声:文化室  19:00 〜 21:00
          女声:ホール  19:00 〜 21:00
    ※後半がホールでのtutti になる可能性があります。
      その時の終了時間は 21:30
 明治公民館           18:15 〜 21:00
 男声:玉縄学習センター   18:30 〜 21:00
 女声:明治公民館       18:15 〜 21:00
 男声:玉縄学習センター分室※  18:30 〜 21:00 
 女声:玉縄学習センター    18:15 〜 21:00
 リリスホール           18:15 〜 21:30
 男声:玉縄学習センター    18:30 〜 21:00
 女声:明治公民館        18:15 〜 21:00
 明治公民館           18:15 〜 21:00
 リリスホール           18:15 〜 21:30
     
・会場により開始時間、終了時間が違っています。場所、時間ともに確認を!
・会場づくりのため、各会場とも練習開始10分前までにお集まり下さい。

・準備、片づけ、清掃まで、全員で協力して行いましょう!
明治の会場では早出自主練(17:10〜)を組むことがあります。
 パートリーダー会からの連絡にご注意下さい。
 
  ※ 玉縄学習センター分室は玉縄学習センターとは場所が違います。お間違えなく>     
   玉縄学習センター分室       50467−44ー2219
  JR大船駅西口から徒歩3分(川沿いの道を藤沢方面に)
駐車場はありません。付近にも停められませんので、玉縄学習センターの駐車場を使うか、公共の交通機関をご利用下さい。