合宿、お疲れ様でした。例年の3日の日程が2日に凝縮され、かなりハードスケジュールでしたが、音響のよい練習場で一曲一曲を丁寧に見ていただき、自分の中でモヤモヤしていた部分が大分クリアになりました。練習の合間のちょっとした時間や、懇親会に流れる温かな空気に、湘フィルの団員である事の幸せをつくづく感じた合宿でもありました。演奏会に向けてのラストスパートへの良い助走となったのではないでしょうか。
 今年の演奏会のプログラムにソプラノの大沢さんが曲目紹介を書いて下さいました。皆さんには一足早く紹介させて頂きますので、曲づくりの参考に是非お役立て下さい。

 メンデルスゾーンについて     
                                                        大沢 栄子(S)
 
 メンデルスゾーン(1809−1847)はユダヤ系ドイツ人の家庭に生まれた。良く知られているように父は銀行家、祖父は哲学者。豊かな家庭で良い教育を受け、また彼自身も天与の恵まれた才能によって、幼い頃から神童振りを発揮した。
父アブラハム・メンデルスゾーンは、ドイツで生きていくためにユダヤ教からキリスト教に改宗した。当時から、ユダヤ人排斥乃至差別はドイツ国内に強かったからである。ドイツの良き市民として生きるために多くのユダヤ系文化人はこの決断をし、それまで住んでいたゲットーから、都市国家(メンデルスゾーンの場合ライプツィヒ)の城門の中に住むことが許されるのであるが、祖国との決別によって得た市民権という二律背反の間でメンデルスゾーンは、豊かな環境とは裏腹に、生涯精神的な苦悩を背負って生きることになる。
 そのような中で、父が努力の上に立ち上げた銀行家としての成功による富と、祖父の知識人との幅広い交流がフェリクス・メンデルスゾーンに与えた影響は、彼の才能と相俟って、幸いにも彼を大きく成長させた。メンデルスゾーンが知己を得た人々の名を挙げるとすれば、第一にゲーテであり、ハイネ、ヘーゲルであり、音楽関係ではモシェレス、ケルビーニ、ロッシーニ、マイヤベーアといった当時の錚々たる大家であった。そしてメンデルスゾーンはその人たちから最高の賞賛を得ていたのである。
 メンデルスゾーンの音楽の師ツエルターはJ.S.バッハの孫弟子に当たる人で、その師から彼は通奏低音法や対位法、4声部コラールなど古典的な作曲法と形式論を充分に学ぶことができた。15歳で第1交響曲を発表したとき、師ツェルターが「彼はすでにモーツァルトやハイドンと並ぶ作曲家になった」と評したほど、あらゆる作曲法を使いこなすことが出来ていた。その意味では、ロマン派前期を代表する作曲家でありながら、古典的と評されるのである。
 Bachや古典派の技法を学んだメンデルスゾーンは、1829年にバッハの「マタイ受難曲」を再演し、この曲に再び生命を吹き込んで後世に残した功績も大きく、彼を中心に創設したライプツィヒ音楽院は、現在に至るまで優れた音楽家を輩出している。
 作品の豊かさによって成功を収めたメンデルスゾーンであったが、その後彼の作品への評価は大きな揺れに直面する。彼がユダヤ系であり、また父の築いた莫大な富への世間の嫉妬も手伝って、彼は失敗を許されない緊張した立場に置かれ、これが彼の精神にかなりの影響を及ぼしてしまった。
彼の道筋を整えてくれた父はメンデルスゾーン25歳の時に他界し、それにも増して、ピアノの名手でありまた彼の作曲上の良き相談相手であった姉を失った痛手から彼は立ち上がれず、姉の死後6ヶ月、38歳で衰弱しきったメンデルスゾーンは世を去ったのである。
彼の死後もその才能と実力は不当に低く評価され、ナチズムの執拗な追求によって20C前半には彼の作品は抹殺されていた。ライプツィヒのゲヴァントハウスの前に立つメンデルスゾーンの銅像がナチによって粉砕された事件は1936年のことである。そのような状況だったため、メンデルスゾーン研究は近年になってようやく進められ、脚光を浴び、正当な評価を得るようになったばかりである。
 
 メンデルスゾーン交響曲第2番 『賛歌』 (1840) 
 
メンデルスゾーンがこの交響曲第2番『賛歌』を作曲したのは、グーテンベルクの印刷術発明400年記念祝典のために、ライプツィヒ市からの依頼によるものであった。
 印刷術発明は1450年、ルネサンスの三大発明のひとつであり、人類の文化の進歩に大きな貢献をした。宗教界にあっては、それまで書写されていた貴重な聖書は一般の信徒が手に取って読むことの出来ないものだったが、活版印刷術によって誰もが手にすることの出来るものとなった。これは聖書のみならずすべての書物、ひいてはあらゆる文化が民衆に開放された出来事で、文明が地球規模に広がり、大きな進展をもたらしたのであった。
 当時ライプツィヒ市は書籍文化では世界一の都市だった。その市から依頼された印刷術発明400年の祝典音楽のために、メンデルスゾーンは曲に3つのテーマを盛り込むことを考えた。“神への感謝”“神への信頼”“闇の世界から光への脱出”であった。この第3番目のテーマには特に、印刷術のもたらした文明の光への思いが込められていることは言うまでもない。
 
曲は第1楽章から第3楽章までというより第1部と言った方が良いオーケストラによるシンフォニアと、第4楽章・第2部に当たる9曲の、独唱と合唱によるカンタータ風の部分に大きく分けることが出来る。合唱部分の比重が重いために、「交響曲第2番“賛歌”」より「交響カンタータ“賛歌”」と呼ばれることも多い。
 
第1部の冒頭、トロンボーンが奏し全奏が繰り返し、トロンボーンが反行形を奏し全奏で反復する、この8小節の主題、特に最初の2小節のモティーフが全曲の中でいかに重要なものであるかは、お聴きいただくうちに判明すると思う。この主題が至るところに現れる。マエストーソの重々しい部分が過ぎて中間部の軽やかな8分の6拍子に移り、聖トマス教会の楽長シャインの作った、モーツァルト・ベートーヴェン・シューマンらにも愛され用いられた旋律が、なんとも懐かしさを感じさせて現れるのだが、このメロディの中途にも主題のモティーフは挟み込まれてくるのである。中間部が終わってアダージオの緩やかな流れに移ってからもこのモティーフのリズムは見え隠れしている。
そしていよいよ第2部になる。合唱が歌い始め、ことばを伴った“賛歌”に入っていくと、あの主題がまさに、「すべて息あるものよ。主を誉めたたえよ!ハレルヤ!」という神への感謝と賛美の歌詞で歌われるのである。
第2部の9曲のうち8曲の詩がルターのドイツ語訳聖書の言葉から引用されたものであり、対訳をご覧いただければ、詩編のいくつか、イザヤ書、エフェソ書などからの引用を、かなり自由に飛び飛びに組み合わせたものとお感じになるだろう。メンデルスゾーン自身の信仰による賛美への道筋を表していると言って良いかと思われる。
「主に感謝しよう。われわれは苦難の中で、主に慰めを受け、さまざまな束縛から主が解放してくださるのを待ち焦がれていた。主はわれわれの望みを聞き届けてくださった」とテノール、二人のソプラノ、合唱が歌い継いだあと、第6曲でテノールは闇と死の恐れを歌う。「《目覚めよ、眠れる者よ。死者の中から立ちあがれ!》と主が言われる。私は暗闇の中から叫んだ。《見張りの人よ。夜はまもなく過ぎ去るのだろうか》。」するとソプラノが短く答える。「夜は去った」。この第6曲がメンデルスゾーンの意図した第3のテーマ、闇から光への脱出であり、喜びに到達する部分である。合唱がそれを受けて第7曲で「夜は去った。これからは神に従って光の中を歩もう」と歌ったあと、曲は突然ア・カペラのコラールになる。
“Nun danket alle Gott”と歌い始めるこのコラールは、かつてはクリューガー作とされていたが、実はリンクハルトが1630年に作詞作曲したことが判明した。有名なコラールで、日本でもよく歌われる讃美歌(いざや共に声打ち上げて)である。J.S.バッハなど多くの作曲家がカンタータやオルガン曲に用いている。「すべての者よ、心と口と手とをもって主に感謝せよ」と歌うこのコラールこそが、メンデルスゾーンの『賛歌』の原点であった。おそらく、初演に立ち会った聴衆、またその後の演奏を聴いた聴衆も、馴染み深いこの讃美歌を、ここで演奏者と一体となって心の内で口ずさんだに違いないだろう。
そして最後に再び、「主の御名は誉むべきかな。主は私にすべての善きことをして下さった。主は闇の中から、また敵の手から救って下さった。私はとこしえに真実なる主の名を呼ぶ」と歌い、もう一度最初の主題「すべて息ある者よ。主を誉めたたえよ。ハレルヤ!」と歌って曲が終わるのである。
最後まで、あの主題が中心となって生きている。この循環形式は、この時期ドイツ・ロマン派の獲得しつつあった方法であり、フランク、シューマン、ワグナー等に受け継がれて行く。
初演は1840年、500人の演奏者によってライプツィヒの聖トマス教会で行われ、聴衆に熱狂的な感動を与えたとシューマンが評論誌に書いている。
第4楽章に合唱を持ってきた交響曲としては、すでにベートーヴェンが「第9」を発表し(1824)絶賛を博した後だった。メンデルスゾーンはその模倣とか二番煎じの非難を避けようと、かなり苦労して全体のバランスを取っていったらしいことが、彼の手紙に記されている。しかしこの『賛歌』はそのような心配を全く無用なものとし、メンデルスゾーンの信仰の発露として、メンデルスゾーンのすべての技法を用いて劇的な効果を挙げた名曲となったのである。
 
     (続きは来月号をお楽しみに)
 
湘南国際村センターでの合宿終了
                                                           合宿委員長 S土肥 明子
 
「富士を望み、眼下に相模湾が広がる。緑豊かな湘南の丘の上に立つ湘南国際村センター」チラシの謳い文句のように、合宿2日間は真夏の様な晴天に恵まれ、はじめての湘南国際村での合宿となりました。
 1週間前に4名の団員が出席出来なくなったとはいえ、参加率91.7%とかつてない多数参加となりました。(団員146名中、宿泊者116名、その他の参加者18名。総計134名)定員230名の響きの良い国際会議場での練習、100名規模の新会場ルミエール(男声分奏用に使用)。宿泊室は各部屋とも各種アメニティーが完備し、リゾートホテルの様な気分で過ごすことが出来ました。
 今年はドボルザーク期に比べて少ないとはいえ、新入団員24名を迎えての大所帯の合宿となりました。全体練習、分奏、カフェテリアでの夕食、そして又分奏、全体練習とハードスケジュールながら、あっという間に一日の予定も終わり、ホワイエでの懇親会。アルトの小林さんのソロを始め、芸人揃いの新入団員に大拍手=懇親会の極めつけ、全団員の期待の目が注がれた先生方5人によるボディーパーカッションは、それはそれは見事な演奏でした。個々に異なった楽譜を見ながらのボディタッチ、口笛あり、ため息あり、全身をたたいての名演奏に大喝采。アンコールは出来ません?体中がアザだらけで1週間たってもまだ残っているそうです。お忙しい先生方がいつ練習なさったのでしょう=有志によるアンサンブル、ルターの“クリスマス・ララバイ”は素敵な曲でした。クリコンにぜひ歌いたいですね=和気あいあいと、笑いと拍手に包まれて、あっという間の90分。進行役の佐々木さん、御子柴さん、青山さんも見事なトリオでした。 翌朝、センター前の朝市に葉山御用邸にお泊まりの天皇、皇后両陛下がお見えになられ、湘フィルの団員との交流もありました。二日目も午後5時までという強行軍ではありましたが、充実した盛りだくさんの合宿でした。台風も合宿の翌日まで待ってくれて本当に良かった=
 初めての湘南国際村での合宿。5人の先生方を始め、合宿を支えて下さった合宿委員の皆さま、本当にありがとうございました> 先生からも大変良い合宿でしたとの感想をいただきました。

       合宿こぼれ話・・・
                                                               S柏木 ちづ子
 
 心地よい疲労感の残る合宿2日目の朝。センターロビー前では、いつもの朝市が開かれていました。 近隣の農家の方の‘生産物直売所’です。でも何かいつもと様子が違う・・・???
「天皇、皇后両陛下がいらっしゃるのよ!」と耳打ちされ、納得。見れば玄関前のスロープにも何人もの人が等間隔に立ち、物々しい雰囲気です。
 この朝市を楽しみに御用邸からお出ましになるとのこと。運が良ければお見かけできるかな…と軽い気持ちで玉ねぎなどを買い、私服のSPに促されながらお行儀良く、…でも練習開始時間を気にしながら待つこと暫し。黒塗りの車から両陛下と紀宮様が降りてこられました。にこやかに、優雅に、物静かに…。テレビなどで拝見するお姿そのままの両陛下に、何とも暖かみを感じた瞬間でした。
 湘フィルの団員はじめ、一目お会いしようとする方々の声に丁寧にお答えになりながら、いよいよ私達(ここにも湘フィルメンバー数名)の前にお立ちになりました。そこで何と陛下から「何年ぐらいやってるの?」皇后様からは「メンデルスゾーンはきれいでしょ?」「混声なんですね」…云々。湘フィルのお話をいろいろさせていただく光栄に与りました。その場をご一緒していた団員が差し出した楽譜、モーツァルト“Kyrie” を丁寧にご覧になる皇后様。「9:30から練習が始まります。よろしかったらどうそ…。」という団員の声に思わず照れ笑い(?!)なさる陛下。名札を見つけて「ソ・プ・ラ・ノ…ね!」とおっしゃった皇后様の明るくやさしいお声。全てが宝物のようなひとときでした。
 「湘フィルの方、練習が始まります!」という一声で、一人残らずその場を離れた湘フィルの団員もスゴイ!!
 いよいよ帰り道。通い慣れたセンターを離れ、御用邸の前の信号で止まった時のことです。私達の車の目の前を、この時を待っていたかの様に御用邸の門の内から数台の車が滑り出て来ました。窓からは陛下がにこやかに手を振っておられる!沿道の方々と一緒に私達も車の中で一生懸命手を振っていました。
 Lobt der Herrn !!  お健やかに過ごされますように…!と祈らずにはいられませんでした。
 
                        以上、“一日皇室レポート”でした。
 
         ≪ 今年のクリスマス・コンサート ≫
合宿中にクリスマス・チャリティーコンサートの選曲委員会が開かれました。
『限られた練習時間でも(7・8回)完成度の高い演奏をしよう』というコンセプトのもと、 以下のように構成や選曲のプランが練られました。
 
  * 休憩を入れず、T部構成とする   * 神父様のお話をお願いする
  * ソプラノ独唱、ピアノ連弾の他、フルートの演奏を入れる
  * 音取りに時間をかけないで歌える「キャロルは流れる」、「聖なる都」のような
 定番曲を増やしていく
 
 * 具体的な曲目としては
   ・ バッハ カンタータ147   ・メンデルスゾーン 「讃歌」より
   ・ラター  クリスマス・ララバイ ・「キャロルは流れる」から アヴェ・マリア
   ・アンコール  聖なる都    ・全員合唱  きよしこの夜
   ・その他 楽しいキャロル、オーソドックスなクリスマスソングを2.3
 
 曲が決まり次第、早めに楽譜をそろえて自主練習などを取り入れていきたいと
 思います。よい演奏ができますよう、いろいろと工夫をしていきたいと考えています。
 皆さまのご協力をお願い致します。
                   クリスマス・コンサート担当 A.青山道代
 
            湘フィルの皆様へ
 
 去る6月13日及び14日の後藤道雄の葬儀に際し、多くの方にご参列頂き、
心籠る厳粛な式を執り行うことができました。ここに深く厚く御礼申し上げます。 鈴木神父による司式を始め、教会の方々のお力添えに感謝致します。又、松村先生と安原先生による聖書の朗読は、その一節々々があんなに心に沁みたことはありませんでした。そして、ドヴォルザークのスタバト・マーテル 第3番!
湘フィルの皆様の声が聖堂の後方から響いてきた時、「ああ!これで主人も心安らかに昇天出来るなあ」と深い感謝と感動を覚えました。
 思えば6年前の眼底出血以来、極度に衰えた左目の視力、それに加えて聴力も次第に弱くなり、この1年程は気力、体力にも衰えが目立つようになっていました。楽譜の読みにくさ、練習中の先生の説明の聞き取りにくさ等には大分苦労していたようで、そんなことから来る精神的な鬱も食欲不振の原因になっていたと思われます。でも本人はそれなりに頑張って、湘フィル在籍中に他界し、皆様の記憶の中にあるうちに見送って頂けたのですから、こんな幸せなことはありません。本当に有り難うございました。生前皆様から頂いた数々の御厚情に対し、心から御礼申し上げます。
 残された私は湘フィルに行けば、皆様の温かい友情で迎えて頂ける事を支えに、又新しい気持ちで歌っていきたいと思いますので、今後ともどうぞ宜しくお願いします。               
                    2004年6月23日  後藤 久子
        
          後藤道雄さん追悼記
                                                      B山口 太郎

  梅雨晴れの茅ヶ崎カトリック教会で、ゆかりの方々参列のもと、77才の生涯を宗教 音楽に捧げられた後藤道雄さんの葬儀が厳かに行われた。
 伺うところ、教会の聖歌隊での出会いがご縁で結婚され、それぞれお仕事傍ら教 会や色々な合唱団で活躍しておられる。お子さん達も又、同じ様な道を歩かれてい ると伺い、幸せを絵に描いた様だと羨ましく思いました。
 ご夫妻は20年前、湘フィルが結成された当初からの団員で、特に故人は、テナー パートの重要メンバーでした。また一時湘フィルが分裂の危機に瀕した時は推されて 代表となり、そこで松村努先生をお迎えし、色々な困難を乗り越え、今日の盛況を見
ることが出来ました。又、毎年12月恒例となった、この教会のクリスマス・チャリティー・ コンサートは、既に13年も続き地元の名物となっております。この催しを実現出来たことは後藤代表、松村先生のご盡力のお陰と思っております。
 告別式進行の途中、故人のご希望とのことで、ドボルザーク作曲“スタバト・マーテ ル”を歌い、故人と一緒の舞台を想い出し、追悼のよすがとさせて頂きました。
「歌うことは祈ることである」と申します。我々がよく舞台に乗せる‘ミサ’や‘レクイエム’ は、本来カトリック教会の葬儀進行の附属音楽であることを再認識することが出来ました。  宗教音楽が教会を離れ、舞台芸術として演奏される今日、我々は原点に立ち返っ
てその意味を体得すべきでしょう。‘あわれみの賛歌’‘栄光の賛歌’‘信仰宣言’‘感 謝の賛歌’‘平和の賛歌’などはこの様な機会と場所で歌われるために、本来作曲されたもので、音楽効果だけを強調した劇場音楽ではない筈でしょう。
 「芸術は感動である」という言葉があります。まず本人が感動し、それを芸術作品の 演奏を通じて聴衆に伝えなければ本来の演奏とは云えません。ご一緒に練習したメ ンデルスゾーンの“讃歌”や、来年10月のバッハの“ヨハネ受難曲”も故人と一緒に 歌っている気分で精一杯歌えれば、故人にも聴衆にも最高の贈り物になるであろうと 思います。

 告別式で会葬者に配布されたカードに曰く、

  『私は復活であり、命である。私を信じる者は死んでも生きる。 ヨハネ 11-26 
         後藤道雄 昭和 2年3月16日生
              平成16年6月11日帰天
        神よ、彼に永遠の安らぎをお与え下さい。』

 今年の“讃歌”や明年のヨハネもきっと天国の合唱団で共演されるだろうことを信 じて。
 
     ÌË 2004年 7月&8月の練習日程 ËÌ

7月






8月

  3日(土)
 
 10日(土)★18日(日)
 24日(土)

 31日(土)
  7日(土)
 14日(土)
 21日(土)
★29日(日)

  玉縄学習センター      18:15 〜 21:00
                  ※19:00 〜ソプラノパートヴォイトレ
  明治公民館         18:15 〜 21:00
  明治公民館         18:15 〜 21:00
  玉縄学習センター      18:15 〜 21:00
                 ※19:00 〜アルトパートヴォイトレ
     お 休 み
  リリスホール        18:15 〜 21:30☆
  玉縄学習センター      18:15 〜 21:00
  リリスホール        18:15 〜 21:30☆
  リリスホール        18:15 〜 21:30
 
     ※ パートヴォイトレは1F第1集会室で行います。
     ★ 7/18、8/29 は日曜日の練習です。お間違いなく>
     ☆ リリスホールでの練習は21:30までとなります。